夢の中が真っ赤に燃えた

 
 トントン、トンドン、・・・・・・・
 ドアを叩く音がする。
 軽くというより、撫でるような叩き方である。
 それでも、静寂の中では、確固たる意志を持った音量がある。
 枕もとの時計の針は、まだ夜中が始まったばかりを示している。
「どうしたの?」
「火事だよ」
 穏やかではない。
 飛び起きて、戸を開ける。

 燃えているような火の光りは見受けられないし、焦げ臭さなども、まったくしない。 
 本人の様子にも、火事という異常事態への緊迫感は見られない。
「どこ?」
「そと」
 いつものように外は、真っ暗闇になるのを阻止すべく、灯っている街灯の光しか見えない。
 第一、サイレンなどの音も聞こえない。
「どこ?」
「さっきまで、火事だった」
「どこが燃えていたの?」
「そと一面、真っ赤に燃えていた」
 理由が判明して、ホッとした。

 昨日の夕方、デイサービスから帰ってくるのを出迎えた。
 最近、送り届ける道順が短くなったのか、送る人数が減ったためなのか、待ち合わせ場所に着くのが、予定の時刻よりもずいぶん早くなっている。
 15分前だったが、やはり既に着いていて、介護センターの送迎バスがハザードランプを点滅させて待っていた。

 挨拶を済ませ、引き取り、50メートルほど公園内を歩く。
 久しぶりに、夕日が眩しかった。
 ちょうど正面に、まだ元気いっぱいの太陽が、目を開けていられないほど、眩しく目に突き刺さる。
「いい天気だね~」
「まぶしいね~」

 眩しそうに、両手で陽の光を遮っていた。
 そうしても防げないほど、強烈な夕焼けであった。

 室内に入り、居間のカーテンを開けると、直接 夕日は差し込まないものの、建物類を真っ赤に染めていた。
「真赤だね~」
「まるで燃えているみたいだね」

 ここ数日は日中に晴れていても、夕方には小雨が降ったり、降らないまでも曇りになっていた。
 気温もそんなに寒くないので、戸は閉めたまま、カーテンを閉めないでおいた。
 反射する深紅の夕日は、しばらく部屋いっぱいに満ちていた。

 強烈な夕日が、燃え盛る火と映ったのも止むを得まい。
 きっと、夢の世界では、まだ真っ赤に染まっているに違いない。
 日増しに寒さが増す時期、夢の世界は、暖かなようだ。
 
 

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ハイキングに遊びが加わる

 
 最近のトイレハイキングは、情景が変わった。
 1、2分毎に1時間半ほどの"長距離ハイキング"は影を潜め、
10分位の間隔を開けることが多くなった。
 寄る年波には勝てなくなった、と思いたいが、加齢による体力低下などは、微塵もない。
 何かが変わったのだが、その理由を推測できないでいる。

 思い当たるとすれば、7か月ぶりに抽選に当たって出かけたショートステイであろうか。
 希望というかお願いとして、2つを伝えた。
 1つ目は、適時に声をかけてもらって、できるだけ自分でトイレに行くようにしてほしい。
 もう1つは、昼の間には寝ないよう注意してほしい。
 この2つである。
 個室なので、いつでも好きな時に、自由に寝れるからである。

 帰宅する時の説明では、初日に7回もの"お漏らし"の介助をしたが、声かけを実施した結果、徐々に減ってきたという。
 最終日の日誌にも、4回と記入されている。
 トイレの介助ではなく、"お漏らし"なのである。
 半減したと評価することもできようが、効果は疑わしいと思いつつも、口には出さなかった。

 思い起こせば、トイレの中に、トイレットペーパーの"雪山"ができたのも、ショートステイから帰ってからである。
 1晩で消費されるトイレットペーパーも、格段に増えた。

 今晩こそ確認しようと思っていたところ、案の定、始まった。
 こちらの部屋のドアを少し開け、覗いてみる。
 トイレのドアは閉まっているので、中の様子は分からない。
 ただ、トイレットペーパーの回転する軽快な音が響いている。
 コロコロコロと、まだ続いている。
 やがて、水が流れる音とともに出てきた。
 こちらは、暗闇の中の隙間から見ている。
 気付いてはいない。

 10数回も続いただろうか、今度はドアが半開きになっていて、うかがい知ることが出来る。
 便座の前に腰を下ろし、慣れた手つきで、トイレットペーパーを両手に巻き取っている。
 糸を紡いでいる姿だ。
 巻き取った量に満足したのか、投げ捨て、水を流して出てきた。
 "本来の目的"のために、やって来たのではなかった。
 パジャマをおろす行動は、まったく見られなかった。
 出て行こうと思ったが、やめた。
 今までの行動パターンから推定すると、もう終わる頃である。

 もう1回、儀式が行われて、今夜のハイキングは終わった。

 しばらくして、トイレに入ってみた。
 トイレの中には、"雪山"はできていなかった。
 ちゃんと流されていた。
 新しい遊びにつきあわされ、身が細りきったトイレットペーパーの芯が、3個、寂しそうに転がっているだけだった。
 
 

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