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2007年7月

田舎の主治医

 母の診療のため、帰省した。
 毎月の行事になった。
 だれも住んでいない実家が、無事かどうかの確認も、目的の1つだ。
 その他の用事で、毎週のように、帰る月もある。

 うだるように暑い日だった。
 あじさいも、まだ咲いていたが、心なしか、うなだれていた。

 代々、お世話になっている主治医は、医院の同一敷地内に、住んでいる。
 先代の"大(おお)先生"は、すでに隠居をしているが、いたって健在で、その息子である今の代は、50をちょっと超えた歳である。
 自宅から、100メートルも、離れていない。
 方向オンチとなった母でも、一人で出かけようとする唯一の場所で、診療の時間外や休日などお構いなしに、いつも住居の方に押しかける。
 もちろん、電話での予約や確認など、いっさい、したことはない。
 医者も、内心はわからないが、愛きょう良く迎えてくれる。
 一度だけ、
「近くの病院に行かれたら、いかがですか」
と、助言されたことがあった。
「いかない」
との、きっぱりとした一言で、二度と言わなくなった。

「休みの日に、自宅に押しかけるのは、迷惑では?」
と、聞いたことがあった。
「オシメを、替えてやった」
「ご飯を、食べさせたこともある」
「泣いていた時、・・・」

など、昔に面倒を見たのであるから、当たり前との考えだ。
 それでも、"若先生"の誠心誠意は、変わらない。

 次いで、メンタルケアの受診のため、車で5分ほどの病院に向かう。
 介護認定を申請する時に、主治医から紹介された医師だ。
 こちらも、総合病院であるにもかかわらず、いつも愛想が良い。
 診療のつど、入院を勧められ続けたため、前回の診療時に、病室を見学させてもらった。
 その病棟内は、思ったよりも解放されていて、束縛の様子は、みじんもなかったが、何となく、雰囲気が違う。
 シロウト考えではあるが、おとなしくなる薬でも処方されているのか、おとなしすぎる。
 まだまだ4割、3割(?)程度の正気が残っている母を、入れるわけにはいかないと思い、ことわっている。
 
 前回に採取した血液検査の結果は、まったく、どこも異常はないとのこと、気のせいか、残念そうに聞こえる。

 母への診療よりも、私への問診が中心である。
 ここの病院は、なんとなく変、と感じているようで、
「それでは、おばあちゃん、来月も来てね」
の問いには、
「ありがとうございました」
「さようなら」

で応え、来月も来る、との言葉は、決して発しない。
  
 月1回のセレモニーが終わった。

 

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新車で、偉くなる (つづき)

 ある時、
「お前も、出世したものだ」
と、いたく感心し、
「たいしたもんだ」
しきりに、感じ入っている。 
 何のことか、分からない。
 気にしないまま、しばらく月日が過ぎた。
  
 昨年まで、高速道路のプリペードカードを、愛好していた。
 なくなったため、新車には、ETCを付けた。 

 いつもの帰省で、利用した。
 首都圏では、ETC専用レーンが次々と設置されているが、田舎は、まだまだ、一般との併用出口が多く、すいている。
 前の人がお金を払っているのに、
「いいよ、いいよ」
と、係員が手で、そのままの通過を、うながす。
 助手席で、聞こえるはずもないのに、
「お世話になりました」
と、頭を下げている。
「また、タダにしてもらった」
「ありがたい」
と言う。
 代議士が国鉄に乗るように、フリーパスで利用している、と思ったようだ。
 笑止千万が、まだまだ、つづいている。
 JRも、いまだに国鉄である。

 支払いがなされる仕組みなど、理解できるはずもない。
 話しをしても無理と思い、いっさい説明はしていない。

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すてきな、カーナビ麗人と

 15万キロを超えたのを契機に、新車に切り替えた。
 約13年ともにした愛車にも、カーナビはあった。
 初めて市場に出る前の、プロトタイプである。
 メモリーカードで、首都圏、北関東、東北、東海など、それぞれの地区カードを入れ替えて使う。
 その後の、カーナビの進歩は、すごい。
 当然、音声案内が付いている。
 ドライブ、買物など、音声で案内してくれる。

 田舎に帰る車中で、
「この人は、心のやさしい人だ」
「かわいいし、美人で、良い子だ」

と、つぶやく。
 はじめ、何のことか、わからなかったが、カーナビの音声を、人と勘違いしているのだ。
「会ったことがあるのか」
と聞く。
「ないが、言葉もハッキリしているし、声を聞けばわかる」
 奇想天外である。

 しばらく分岐がなく、案内の声がしないと、
「お茶の時間かしら」
「お昼休みで、食事に行ったのかしら」
「身体の具合でも、悪いのかしら」

となる。

 乗るたびに、かん違いをし続けている。
「今日は、すてきなワンピースを着ている」
「後ろで髪を束ねていて、とっても、にあっている」
「28歳か、29歳位の、かわいい子」
「結婚はしたが、旦那が病気で亡くなったため、今は、ひとり」
「子どもは、いない


 話の途中途中に、
「会ったことはないが、・・・・・、と思う」
が付くので、まだまだ正気は、残っている。

 水を得た魚のように、得意げに、おしゃべりは、続く。
 以来、実家までの、約3百キロの道のりが、近くなったように感じる。

                            【つづく】

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三保の松原へ

 三保の松原に行ってきた。
 富士山と、伊豆や箱根に次いで、お気に入りの場所の一つである。

 浜辺の入り口にある出店で、おでんを食べるのが、いつもの楽しみの1つだ。
 今日は、寄らなかった。
 外国人、それもチョット黒い肌のグルーブがいたため、すぐさま、車に乗り込んでしまったからだ。
 太平洋戦争中に、負ければ、アメリカ人が攻めてきて、
「女、子供も含めて、皆殺しにあう」
と教育されていたようである。
 終戦後、田舎にも、進駐軍が立ち寄った。
 はじめて見たアメリカ軍は、見上げるほどの黒人兵士だったようだ。
 まさに、大事件だったのだろう。

 今度、小柄で優しそうな肌の濃い外国人を、紹介してみようか?
 
 ドライブ中に、看板を次々と読み上げている。
 気分が乗っている時の、いつもの表現である。
 目に入った文字を、次々と読んでいく。
 地名を除けば、読みは間違っていない。
 さすが、元・小学校教師である。
「エス・テー・ピー」
と、聞きなれないコトバが、耳に入った。
 STOPのことのようだ。
 英語を読めるとは、今まで、気付かなかった。

 帰宅してから、夕食時に、ぼそっと、つぶやく。
「今日は大阪に行って、名古屋にも行って、楽しかった」
 道路案内の標識に、出ていた行き先のことである。
 それらの標識の近くで起こった出来事が、
「大阪でのアイスクリームは、おいしかった」
「名古屋のソバも、おいしかった」

となる。
 行ったとされる地名での説明が、しばらく続く。

 なぜか、荒れていれば日本海、穏やかな海は太平洋なのである。 
 海岸を走っていて、漁港など、囲まれた海岸に出ると、
「いつも、太平洋は、穏やかだね」
であり、少し走って外海に出ると、
「やっぱり、日本海は、荒れているね」
と、なんの疑いもない。

 もうすでに、二者択一、「1」か「0」かの、デジタル社会で生きているのだ。

 今日の三保の松原は、日本海であった。

 

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7回目のデイサービス

 はじめ嫌がっていたが、やっと行くようになった。

 自治会の集まりや、近くの病院ですら行かない母を、介護センターの職員などが、懸命に説得して、しぶしぶ、1度だけ行くことに納得させた。
 老人会と、いつわってのことである。

 1回目のデイサービスから帰ってくると、異常に緊張している様子が、ありありと見えた。
 思っていたものと、大きく違っていたようである。
「変な人が3人いて、時々、叫ぶため、襲われると思った」
 自分は正常と思っているだけ、まだましである。
「男の人が大勢いて、こわかった」
 戦前の教育のためか、見知らぬ男性との接触は苦手である。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 2度とは、行こうとしなかった。
 3週間ほど間をあけて、「もう1度だけ」ということで、再開した。
 回を重ねるごとに、嫌がる素振りが、少なくなった。
 介護センターの皆さんの献身的な対応には、頭が下がる。
 数年前に相談しに行っていれば、と、少し悔いている。

 帰ってくると、元気そのもの。
 クツを脱ぎすて、自室に入り、寝ようとする。
 しぶしぶ出てくる。
 そして、
「お昼は、ぐじゃぐじゃのそうめん、まずかった」
「おやつに、プリンが出た。おいしかった」
「踊りをやった。楽しかった」

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
と、笑みを浮かべながら、しばらく続く。

 最近の、パターン、純真無垢である。

 

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