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2007年8月

持ち続ければ、夢は、必ず叶う

 
 今回の帰省中、実家でも、行ったり来たりのトイレ・ハイキングが、はじまった。
 古い家で、廊下の床は、板張りで長い。
 障子一枚で、隔てられているだけある。
 声をかけても止めないだろうから、とても、寝ていられない。
 夜明け前であるが、間隙をぬって、そっと抜け出し、車に乗り込む。

 田舎も記録的な猛暑であるが、旧盆を過ぎれば、夜には気温が下がる。
 クーラーを止め、窓を開けて、ゆっくり走る。
 実に、すがすがしい。

 最近の町並みの変化は、加速されている。
 まず、昔の街を取り囲むように、広い道路ができた。
 その沿線に、いろいろな大型店舗や、全国の有名チェーン店が建ち並び、もはや、都会と何ら変わらない。

 子どもの頃に、よく行った諏方神社が見える。
 こちらの周囲も、昔の面影はないが、境内は、時間が止まっていた
 江戸時代から、元服を迎えるまでの子どもは、外で物を買って食べる、いわゆる、買い食いは、許されていなかったが、唯一、この神社のお祭りの時にだけ、認められていた。
 あれほど、大きく見えた鳥居や拝殿も、今は、小さく見える
 幼き頃、父から強く言われていた一つに、
「今まで感じていた物事が、変わって見えた時は、何故なのか、自分自身、じっくり見なおすこと」
と、禅問答のようなものがあった。
 代々伝わっていた、家督を継ぐ者への教え、と記憶している。
 このような話しは、”小言”として聞こえ、真剣には聞いていなかったので、定かではない。

 拝殿が小さく見えるのは、単に、背たけが伸び、目線が高くなっただけのことでは、なさそうだ。
 ふと、答えらしきものが、頭の中に浮かんだ。
 夢の大きさに比例していたのだ。
 知らず知らずの間に、自分が描いている大きさが、変わっている。
 幼き頃は、漠然とはしていたが、夢が大きかった。
 今は、限られた小さな夢しか、持ち合わせていない。
 夢の大きさが、見える拝殿の大きさに、反映しているようだ。
 叱咤激励の声が、聞こえた。

 家に戻ると、寝ている。
 声をかけずに、そっと別の部屋に入る。
 しばらく経って、声をかける。
「ご飯にしよう」
「おはよう」
 晴れやかに、起きてくる。
 すでに、外出する衣服に着替えていて、そのまま、寝ていたようだ。
 早く、どこかへ連れて行ってよ、との催促か。
 
 食事をすませ、出かける。
 なにも言わず、諏方神社の前を通る。
「ここは、昔と、まったく変わっていないね」
と、なんの屈託もない顔をしている。
 常々、
「持ち続ければ、夢は、必ず叶う」
と言っていた母だけは、残り、わずかな視界になっても、夢を決して捨てず、持ち続けている、のかも知れない。
 
 

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旦那さんが、代わった

 帰省した際、髪が伸びていたので、昔から行き付けの美容室に連れて行った。
「まあまあ。いらっしゃい」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「お元気?」
「おばあちゃんも、お元気そうで」
 ・・・・・・・・・・・。
 通常のオバチャンと、なんら変わることがない挨拶が続く。
 小1時間位で散髪できる、というので、あずけた。

 迎えに行くと、お茶を飲みながら、美容師夫婦といっしょに、楽しそうに、話しをしている。
 いつもの額のお金を渡す際、
「ずいぶん、悪くなったわね」
「大変ね」
「進むのが、少しでも遅くなるのを、祈ってます」

と、小声で言う。
 迎えに来た姿に気づき、
「ごちそうさま」
「おまんじゅう、おいしかった。ごちそうさま」
「今度、また来るね」

と、立ち上がる。

 車に乗り込み、しばらくすると、
「あそこ、若い旦那さんを、もらったんだ」
「初めて会ったが、いい人だったヨ」
「昔を、よく知っているから、きっと、遠い親戚からもらったんだ」

 美容室の旦那さんであるからか、いつも髪は、さっぱりしている。
 50代にしては、確かに若く見えるが、奥さんの方が4歳も若いはずだ。
 サラリーマンと聞いている旦那さんは、前の人のままで、代わっていない。
 いっしょに住むようになってからは、日曜日にしか連れて行:けなかったので、いつも会っていたはずだし、話しも、していたはずだ。
 きっと、旦那さんの方が、ビックリしたのでは、ないだろうか。
 そうだ。
 このことを、言っていたのだ。

 繰り返して、言っている。
「いつ、もらったんだろうか」
「お祝いは、どうしようか」
 会話の中には、前の旦那さんはどういう人だった、いつ亡くなったのか聞いた、との言葉は、出てこない。
 ご焼香に行こう、も出ない。
「若い旦那さんを、もらった」
は、
「ああ、さっぱりした」
と同じくらい、数多く、話しに出てくる。

 次の予定は、前回、寄らなかった親戚まわり
 きっと、”今度は、うちに来る"と、待っているはずである。
 着いた。
 歓迎してくれる。
 話しの内容を聞いていると、いつも、同じ話を、繰り返している。
 お互いに、よほど楽しかった思い出なのか、話したことを忘れているのか、うかがい知ることはできない。
 年寄りたちの話しが、際限なく続いている。
 
 どこに寄っても、話しの内容などは、ほぼ同じである。
 平和で、穏やかな時が、過ぎてゆく。

 ありがたいことに、弟や妹の顔と名前は、いまのところ、しっかり覚えている。
 たまにではあるが、それぞれの配偶者には、自信がなさそうな時がある。
 叔母の息子を、旦那さんと、かん違いすることがある。
 直接その場で、口にこそ出さないが、会話がになっている。
 帰りの会話に出てくるだけ、まだ、正気が勝っているのか。
 親子なのだから、当然、似かよっているし、同じ時間軸で考えると、昔の同じ年の頃では、そっくりだったのだろう。
 こちらは、変わっていく姿を優先して、記憶を入れ替えているが、頭の中が、その時々の時点で止まっていれば、おかしくはないのかも。

 叔母の皆さんのは、一応、元気である。
 さすが、母は長女、一日之長か、一歩、先んじている。
 
 

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影は、だいじょうぶ?

 母の受診のため、毎月の行事になった帰省をした。
 8月が終わろうとしているのに、うだるような暑さが続いている。

 ちょっと出足が遅れたため、メンタル診療を先にした。
 着いたことを告げると、すぐに呼ばれる。
 いつもの母への問いかけを、2~3個終えると、私への問診である。
 ほどなく、
「進みましたね」
「どうしますか」

と、聞く。
 前に、病室を見学させてもらっていて、雰囲気は知っている。
 入院している人のレベルまでは、まだ、至っていないと、確信している。
 いや、確信したいとの願望か。
 まだ、ショートステイなるものも、経験にしていない。
「もう少し、がんばってみます」
と答える。
「困ったら、次の診察日の前でも、連絡下さい」
「いつでも、対応しますから」
と、親切である。
 今回から、漢方薬も併用することで、診療を終えた。

 次に、昔からの主治医に向かおうとしたが、すでに正午になっていた。
 いまは、高血圧の診療を、お願いしている。
 今日の午後は、休診と聞いていた。
 食事時間を避け、13時過ぎに、戸をたたいた。
「薬だけも、もらえないか」
と聞くと、
「診療しないで、薬だけ出すのは違反だから」
と、こちらに気を使って、診てくれた。
 さらに、
「会計は締めてしまったので、次回お支払ください」
とのこと。
 こちらの医者も、誠に、親切である。
 車に乗り込むと、
「今日の若先生は、変な格好をしていた」
「何か、あったのかな」

 自宅であるから、いつもの白衣姿ではなかった。 

 母の一番下の妹のところへ向かう。
 親戚に訃報があり、その立て替えをしてもらったからだ。
 いろいろ、他愛ない話しを終え、
「お姉さん、近くに知っている良い施設があるから、入ろう」
「いつでも姉妹に会えるし」
「毎日、会いに行くから」
「都会に一人でいるよりも、いいわよ」

と、突然、母に話しかける。
 初めて、である。
 強力な援軍、感謝、感謝である。

「行かない」
と答えるが、なぜか、医者の前の時よりも、弱々しい。

 それを聞いて、ある記憶が、よみがえった。
 田舎の民話に、良くないことを考えたり、悪いことをすると、影が鬼の姿になるという、"くだり"がある。
 別の話しには、お腹と背中、葉っぱの裏と表など、この世の、すべての"もの"には、同時に"ウラとオモテ"が存在する、との言い伝えもあった。

 確かに、医者の親切心も、母の妹の言葉も、真心から出たものであり、疑う余地は、まったくない。
 だが、私にとっての親切でも、母にとっては、どうであろうか。
 なにやら、邪魔ものでも追い払うような行動や言葉づかいに、受け取れる。
 思えばこそ、のことであっても、である。
 物事は、すべて、表裏一体なのだ。

 恐る恐る、自分の影を、そっと見る。
 ほっとした。
 できる限り、してあげねば。
 
 

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鉄工所の火事

 デイサービスから帰ってくると、元気そのもの。
 クツを脱ぎすて、自室に入り、寝ようとする。
 しぶしぶ出てくる。
 そして、
「今日のお昼は、タマゴ焼きがでた。おいしかった」
「おやつに、蒸しパンがでた。大っきかった」
「みんなで、習字をやった。ほめられた」
   ・・・・・・・・・・・・・・・・

 いつもの、パターンである。

 消防車のサイレンが聞こえる。
 あちこちの方向から、音が鳴りひびき、だんだん近づいてくる。

 突然、自分の部屋に戻り、まわりにある衣類を、袋に入れはじめる。
 あらかた入れ終わると、すわったまま動こうとはしない。
 こわがっているほどではない。

 やがて、サイレンの音も止む。
 居間に呼ぶ。
 いつもと変わらぬヒトトキに、戻る。

 田舎の家の道路を隔てたところに、大きな鉄工所があった。
 休みの日には、竹馬の悪友とともに、"無許可の大冒険"で、半日を過ごせるほど、広い工場であった。
 前の戦争で、ずいぶん儲けたとのことで、地元では名士である。
 都会のように防火に関して、うるさくないのか、子どものころ、しょっちゅうボヤ騒ぎがあった。
 工場内の一棟が全焼する火事も、三度ほどあったと記憶している。
 当時、実家が、かやぶきの屋根だったため、それは大騒ぎであった。
 炎によって巻き起こった風に乗って、真っ赤な無数の火の粉が、夜空にキラめきながら、雨のように降りそそぐ。
 近所の人が総出で、屋根に水をかけ、火の粉から守ろうとする。
 鎮火すると、今度は、火事見舞いの客を、延々と受けることになる。
 相互扶助なのであろうか、レジャーの一つになっていたのだろうか、にぎやかな時を迎える。
 やがて、人が散り、落ち着いたころを見はからって、鉄工所の人の良さそうな二代目、とはいっても、それなりに、いい歳の息子であるが、謝罪にやってくる。

 暗闇の中の火事、それも隣家の火事は、子ども心にも、恐怖として焼き付いている。
 幼き弟を背負い、震えて足にまとわり付く妹の手をにぎり、喧噪から離れた暗やみで、ひたすら、火事がおさまるのを、じっと待つ。
 
 さいわい、類焼したことはなかった。
 
 その鉄工所も、つい最近まで営業していたが、二代目の死去にともない、売却され、十数棟の住宅に変わっている。

 まわりの景色も、母の記憶とともに、消えつつある。
 
 

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トイレ・ハイキング

 夜中、トイレに1~2分ごとに、行ったり来たりを繰りかえす時がある。
 "トイレ・ハイキング"と呼んでいるが、主治医にも通じている。
 一般的な用語としては、"トイレ徘徊"か。

 一心不乱に、黙々と繰り返している姿は、幼子のようで、かわいく見える時もある。
 もちろん、声をかけても、やめることはない。
 しばらくすると、さすがに間隔があき、お開きとなる。
 明日は"ドライブの日"や、"デイサービス"から帰ってきた夜など、気持ちが高ぶっている時に、多く見られるような気がする。

 最近は、休日など私が一日中、外出しない日の昼間も、時々やるようになった。
 こちらは、夜中のハイキングとは、チョット異なっている。
 いっしょにテレビを見ている時や、だれかが訪ねている時は、しない。
 私が自室に入り、居間で、ひとりっきりになった時、だけである。
 居間にもどれば、止む。
 外出中は、トイレットペーパーの減り具合から、していないようだ。
 歳を重ねたことからくる"頻尿"のせいだけでは、なさそうだ。
 ドライブ中なども、それらしい仕草は、無い。

 トイレの、はす向かい側に、私の部屋がある。
 さみしいのだろうか。
 幼い頃の子供が、休みの日には、まとわりついて離れなかったように。
 赤子に戻ると言われている還暦は、はるか昔に迎えている。
 "一人、納得"、である。 

 室内での夜中ハイキングには、まれに見せる"居間ハイキング"、"ベランダ・ハイキング"、"玄関を訪ねるハイキング"など、いろいろある。
 こちらは、短時間のショーで終わる。

 "風呂ハイキング"は、ユニークである。
 風呂のフタを取り、しばらく水面をながめてからフタを戻し、自分の部屋にもどる、を繰り返す。
 入浴は、大好きであるが、入ろうと試みている様子ではない。
 自分の顔が、映っていて、ながめているとも思えない。

 その水面に、どのようなパラダイスを見つけたのだろうか。
 
 

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【休題】見つけた、心温まる本

 心温まる、ほのぼのとした本を見つけた。

 ムーン・コテージの猫たち(ISBN 4-327-48149-1)
   著者 マリリン・エドワーズ(松井みどり 訳)
   発行 研究社

 表紙のイラストに魅かれ、手にとった。
 本文中にも、随所に挿絵され、猫の持つ性質をよく表現されている。
 まず、イラストの素晴らしさに感動した。
 著者と並んで、「ピーター・ワーナー 画」と記載されている理由が、うなずける。

 年老いた猫と平和に暮らす家族が1匹の若くて美しい猫を家に迎える。そこから始まる猫と猫、猫と人との交感の日々。猫との生活がもたらす愉しみ、悩み、そして悲しみと希望。猫を飼ったことのある人なら世界中の誰もが知っている、猫のいる暮らしのすばらしさを新鮮な感性で生きいきと描き出す。すべての猫好きに贈る心温まる真実の物語。魅力あふれるイラストを数多く収録。(研究社ホームページから)

 表紙からのイラストから、親子と思っていたが、ネットを通じての"もらい猫"であった。
 イギリスの豊かな自然の中で、2匹の出会いから、家族を含めて強い絆で結ばれていく様子が、単なるペットとしてではなく、家族の一員とした愛情で貫かれている。
 猫好きには、当たり前かもしれないし、一見すると、どこにでもあるストーリーなのに、なぜか、心が温まってしまう魅力は、何なのであろうか。
 ごく当たり前のことにこそ、感動が隠れているのかも知れない。
 万人に可愛がられる要素を持つメスの子猫と、重厚な年老いたオス猫のバランスも、実に良い。

 唯一、安楽死には違和感を感じる。
 異論は別として平均的な日本人は、自分自身に対して安楽死を容認しても、その場の肉親には躊躇し、望まない。
 国民性なのか、宗教の違いなのか。
 特に、この本の中の、決断して病院に依頼するくだり
 すると病院側は、本当にその必要があるのかと聞く。私は少しイライラしながら答えた。「ええ、迷いはありません」
あたりの描写は、外国人特有の合理的な考え方を象徴している、と感じた。

 訳者は、かつて、「菊とバット」を翻訳したと聞く。
 野球を題材とした日本とアメリカの文化を比較した本で、日本にやってくる外国選手が、日本を知るために必ず読んだとされるが、この本も、逆に、外国の猫マニアを理解するには良いのかも。
 近い将来、世界の猫マニア同士が、インターネットで、会話するであろうから。

 いずれにしても、猫を飼っている人なら、猫が好きな人なら、ぜひ、読んで欲しい、素晴らしい本である。
 
 

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ネコのような蚊

 ここ10年近く、家では、蚊に刺されたことがない
 14階に住んでいるからか?
 その前も11階に住んでいたが、年に1回程度、刺された。
 11階と14階、たった3階だけの差で、こうも違うのだろうか。

 夕方、1階からエレベーターに乗り込むと、蚊が入ってきた。
 高い階にはエレベーターに乗ってやってくる、と、テレビか何かで聞いたことはあるが、実際に見たのは、初めてである。
 14階に到着し、エレベーターのドアが開く。
 蚊は、壁にへばりついて、動こうとしない。
 2度ほど、ドアが閉まりかけるのを止め、開けたままにした。
 息を吹きかけたりしたが、出ようとはしない。
 結局、新たな世界への、ためらいなのか、エレベーターに運命をかけるように、そのまま下りていった。

 いつもの通り、寝ている。
 声をかけると、
「おかえり」
と、すぐさま答え、起きてくる。
 夕食に間に合う予定だったため、食事を用意しなかった。
 ちょっと遅れた。
 おなかが、すいたのだろう。
 その気持ちがヒシヒシと伝わってくるが、口に出すことはない。
 食卓の前にすわり、食事の用意ができるのを、じっと待つ。
 以前には、待っている間に、昼間、見たテレビの内容などを、延々と話したものだが、最近は、黙って待っている。
 食事中も、あまり、テレビについては、しゃべらなくなった。

 食事が終わり、食器の洗いや、風呂の準備など、ちょっと目を離すと、自室に入り、寝ようとする。
 食べては寝、最近のパターンである。

 ネコとは、いつも寝ていることから由来する、とか。
 思い描いた想像の世界で、楽しいことだけを味わう。
 むだな事はせず、時の流れに身をまかす。
 先ほどの蚊のように、運命を周りに託し、そこから出ようとしない"ネコ"である。
 安心立命、そのもの。
 自分のテリトリーの中からは出ようともしないが、その中でも十分すぎるほど幸せいっぱい、という顔をしている。

 先ほどの蚊も、そのような生き方を選んだのか。
 その後の蚊の運命を、急に知りたくなったが、知るよしもない。
 
 

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朝が、消えた

 いつものように、朝食を、すませる。

 そして、いつもの会話。
「食べたら、何をするんだっけ?」
「?」
「かたずけて」
「うん、うん」、食器を、流しまで持っていき、戻って、すぐ座る。

「次は?」
「?」
「台が汚れているヨ」
「うん、うん」、拭いてから、また座る。
「ふきんを、ゆすいで」
「うん、うん」
「もっと、しぼったら」
「うん、うん」

「次は?」
「?」
「お茶は?」
「うん、うん」
 お茶の葉を入れておいた急須に、電気ポットから、湯をそそぐ。

 何かをさせないと認知症も、どんどん進んでしまう、と医師から言われており、唯一、やってもらっていることだ。

 ここから、いつもと違うことが、はじまった。 
 薬は、朝・昼・夜と分けて、各々2回分を、小さなプラ・ケースに入れてある。
「次は?」
「?」
「薬は?」
「うん、うん」
 夜の分を、飲もうとする。
「違うよ」
「違ってない」
「今は、なに?」
「夜だよ」
「いまは、何時?」
「7時」
「だから?」
「夜」
「7時で、青空だよ」
「そうか。昼だ」
「お昼は、何時?」
「お昼は、12時」
「だから今は、なに?」
「夜」
「7時で、青空だよ」
「昼か?」
 ・・・・・・・・・

 最後まで、朝という言葉は、出なかった。

 顔色をうかがってみると、ウソをいったり、悩んでいる様子はない。
 いつもの穏やかな顔をしているが、何となく、いつもより目が澄みきっている。
 ほんとうに、朝という概念が、記憶から消えてしまったようだ。

 前々から、昼と夜が、完全に逆転している時が、多々見られる。
 24時間、常に明るく灯り、眠ることのない今の世、"各人にそれぞれの昼と夜があっても、おかしくはない"、のだと言っているのか。
 他人に、迷惑をかけているのでも、ないのだから。
 穏やかに記憶が休む時を、と考えれば、母は、夜が長くなっただけである。

 明日になれば、認識の揺り戻しはやってくるだろうが、時々刻々、そして着実に、の世界に向かって、進んでいるようだ。

 これからは、
「朝ご飯だよ」
「お昼のご飯だよ」
「夕飯だよ」

と、声をかけよう。
 
 

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【休題】見つけた、のめり込む本

 のめり込んでしまう本を見つけた。

クレイジーボーイズ(ISBN 978-4-04-873787-6)
   著者 楡周平
   発行 角川書店

 中国の経済成長に伴う原油の高騰、トウモロコシの作付け増加に伴う大豆などの価格上昇などが話題になっている。
 それらエコ・エネルギーへの期待に呼応した、水素を利用した自動車の特許をめぐる作品である。

 自動車業界ばかりでなく世界のエネルギー事情さえ一変させる画期的な発明を成し遂げた父が、何者かに謀殺された。特許の継承者である息子の哲治は、絶体絶命の危地に追い込まれる。
 僕は知力の限りを尽くして戦う。
 この世界を勝ち抜くために。
 父が何者かに殺された。サンフランシスコの海岸で無惨な姿で発見されたのだ。父は、水素自動車を普及させるための画期的な燃料タンクを開発し、その特許の帰属を巡って、かつて勤務していた日本の会社と法廷で争っていた。特許権が父に帰属すると認定されれば、継承者の哲治には莫大な金が転がり込む。悲しみを振り払い、哲治は真相解明に乗り出してゆく。だが、事件の背景には日米を股にかけた巨大な黒い影が蠢いていた。時代の先端を疾走するエンタテインメント巨編。(角川書店ホームページから)

 時代を先取りした唸るような着目点は、いまだ健在である。
 読者に、ノンフィクションか と見間違うほどの、迫力ある文章は、まったく衰えていない。

 ずいぶん前ではあるが、処女作「Cの福音」出会った時の衝撃は、今でも、鮮明に脳に焼き付いていて、離れない。
 ぜひ、読んでもらいたい作品である。

 これから施行される陪審員制度を先取りした「陪審法廷」から、タッチに心温かさが加わったように感じる。
 著者の家庭環境でも充実してきたのか、作風に、円熟味を増してきた。
 この作品も、真実を求めるよりも、検察側はあらゆる手段を使って有罪を主張し、弁護側も、無罪を勝ち取るために手段を選ばない、言いえぬ矛盾との恐怖を感じさせる逸品である。
 こちらも、目を通したい作品である。
 
 

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幻のデイサービスに向かって

 デイサービスも16回目となり、最近は、自分の方から、行きたがるようになった。
 あれほど行くのを嫌がっていたのに、介護センターの職員の方々の、おかげである。
 明日はデイサービスの日、と認識できた日から、気分が高ぶっているのが、伝わってくる。
 今でも、老人会と信じているが。

 昨夜も、帰ってくると、元気そのもの。
 クツを脱ぎすて、自室に入り、寝ようとする。
 しぶしぶ出てくる。
 そして、
「今日のお昼は、野菜炒めがでた。かたかった」
「おやつに、ヨーグルトがでた。おいしかった」
「みんなで、歌を歌った。楽しかった」
   ・・・・・・・・・・・・・・・・

 いつもの、パターンである。

 この後、いつもと違うことが、待っていた。
 真夜中に、夢の中か、ドアのガタガタする音が聞こえる。
 気になって起きると、母の靴がない
 ドアのカギが、あいている。
 久しぶりの、徘徊が、はじまったのだ。

 ドアチェーンをかけておくため、外へ出られなかったのだが。
 デイサービスに持っていく手さげ袋が、ない。
 追いかけた。
 やっと、見つけた。
 デイサービスに行く姿、そのものである。
 行きたい一心で、ドアチェーンのはずし方を覚えたのだ。

 今日は土曜日、しばらくして、昼食には帰る予定で出かけた。
 携帯電話が鳴る。
 いつも世話になっている介護センターの若い職員からである。
 どこかで、迷子になっているとのこと。 

 連絡に使っているノートが、手さげ袋に入っていたため、介護センターに電話連絡がいったようだ。
 真夜中なら、すぐに警察に通知され、心得ている交番の方が、間もなく連れてきてくれる。
 昼間では、徘徊か、散歩かは、わからないだろう。
 親切な人が、持ち物を調べて、連絡してくれたそうだ。
 昼の徘徊は、今回が初めてである。
 
 住まい近くについたが、連絡のあった場所にいない。
 夜中と違い、多くの人たちが行きかっている。
 見つからない。
 何と、介護センターの若い職員が、自転車で駆けつけてくれた。
 ビックリしたようだ。
 こちらも、来てくれたことにビックリした。
 この夏一番の猛暑の中、汗だくになって、いっしょになって探してくれる。
 見つかったとの携帯が鳴る。
 連れてきてくれた。

 当の本人は、何が何だか、わからないような、いつもの顔をしている。
 デイサービスを嫌がっていたのに、本人から行きたがるようになって、ホッとしていたが、こういう悲劇が待っているとは。
 塞翁が馬、か。

 それにしても、介護関係の人は、皆さん親切である。
 助けてくれた青年も、今までに経験したことがないほど明朗快活で、いつも深い感銘を受けている。
 部下に、このような青年がいたら、安泰どころか、業績は大きく伸びるだろう、と思う。
 意外と、待遇、特に給与面で、優遇されていないとも、聞いている。
 こういう青年こそ、恵まれた条件で迎え、心おきなく、がんばれる世の中にしなければ、ならないのだ。

 そうなることを信じて、幻のデイサービスの一日が終わった。
 
 

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やさしい高齢化社会は、オムツとトイレから

 長距離のドライブに連れていくのが、苦にならなくなった第一の理由は、介護用品の著しい進歩、特に、オムツのおかげである。
 男女別や、大きさの充実はもちろん、外出用、夜の就寝用、介助があれば歩ける人向けなど、目的にピッタリしたものが、すでに、いろいろ売られている。
 いまだに、すべてを掌握してはいないが、実に良くできている。
 ビジネスのための商品開発だけではなく、心のこもった熱い思いやりが、ヒシヒシと伝わってくる。
 ドライブには、必需品となった。
 車には、使い分けできるように数種類を、常備している。

 何よりも、行動に対して、積極的になった。
 デザインからみても、もはや、オシメではなく、使いきっりの下着である。
 最初、"オムツ"を使うという言葉からして、いやがるのではないか、と、ためらっていた。
 いざ、使ってみると、
「サラサラしていて、気持ちいい」
「はきやすく、脱ぎやすい」

と、大歓迎である。
 はき心地は、すばらしいようで、もはや、今までの布製の下着を使おうとはしない。
 もっと早めに使えば良かったと、反省している。
 今や、日常生活でも、切っても切れない。

 オムツとともに、強力な援軍が、トイレ環境の良さだ。
 ちょっと昔、サービスエリア内にあるトイレを利用した時に、いくらたっても、出てこないことがあった。
 女子トイレでは、さすがに、助っ人には、いけない。
 売店の女の店員さんに、お願いした。
 カギをかけたものの、はずし方が分からなくなった様である。

 前々から、コンビニのトイレを、利用させてもらっている。
 コンビニは、津々浦々、良く見かける。
 ほとんどが男女共用になっているので、その点でも助かっている。
 そして、何といっても、きれいである。

 高速道路のパーキングや、新しく設置される道の駅に、"だれでもトイレ"なるものが、数多く見られるようになった。
 法律でもあるのだろうか、くわしくは知らないが、スーパーの店や、公園などでも見かけるようになった。
 広い空間がとられており、いざと言う時に、たいへん助かる。
 道順を決める時の、重要なポイントにもなった。

 そして、社会的認識も、介護者に対して、優しくなった。
 
 
  〈ご参考 ・・・ お世話になっているもの〉 
    ☆ユニ・チャームのオムツ
    ☆花王のオムツ
    ☆ネピアのオムツ
    ☆白十字のオムツ
 
  

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里芋と、ハス

 今日は日曜日、すでに、起きている。

 "日曜日はドライブ"になったのは、ずいぶん前からである。
 ドライブの日と呼んでいる。
 この記念日は、当然、毎週、やってくる。
 その翌日から、次の記念日を楽しみにしているようだ。
 明日が日曜日と、認識できた日は、靴をそろえ、衣類を手さげ袋につめ、水筒ならぬペットボトルに水を入れ、など準備に、はげむ。
 そして、夜明け前から、帽子をかぶり、待っている。

 さあ、ドライブ記念日、目的もないまま、ドライフに出かけよう。
 今は、夏休みの真っただ中、海は避けた。
 まず、筑波山に向かった。
 お祭りのようである。
 鳥居の先にある、いつもの駐車場が閉鎖になっていて、入れない。

 霞ヶ浦に向かう。

 すいている。
 側道を、のんびりと、ゆっくりと、走る。
 まわりには、見わたす限り、レンコン畑が広がっている。
「ここの里芋は、大きいねー」

 北国の田舎にも、ハスは咲いている。
 約2千年前の種から株分けされたハスもあり、季節になると、ピンクや黄色の花が咲き乱れる。
 地元では、それなりに有名な場所になっているが、しょせん、寺の一画である。
 かつ、鑑賞用であり、レンコンを収穫するためではない。
 "お釈迦さまの花"と思っているので、こんなに多くのハスは、認められないのかもしれない。
「里芋だヨ」
と、頑迷一徹、考えを変えようとしない。
 水草で水面が埋まっていて、畑のようにも見える。 
 車を止め、小石を渡して、投げさせた。
 まだ開いていないピンクの花のツボミも、見せた。
 不満そうであるが、しかたなく、"ハス"と認めた。

 栗のイガも、ずいぶん、大きくなっている。
 肌をさし、痛さも感じるほどの暑さであるが、実りの秋も近そうだ。
 
 

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食べること

 かむこと、飲み込むこと、口に入れること、の連携を忘れてから、どのくらい、たつだろうか。
 介護認定の面接では、食事はできる、と答えたが、ひとりでは、ちょっと問題がある。
 飲み込む前に、口にイッパイ含んでいても、さらに、かき込む。
 口の両端から、食べものが、こぼれ落ちる。
 それでも、気にしないで、次をかき込む。
 半分以上のご飯が、こぼれてしまう。

 いつも帰宅すると、台所のまわりが、ご飯で散乱していた。
 原因が、そうだったのである。
 食事は、流し台のわきに用意しておく。
 その流し台の前で、立ったまま食べていたのだ。

 いっしょの時は、
「まだ口の中が、イッパイだヨ」
「お椀を、いったん置いて!」
「ゆっくり」
「よく、かんで」

と声をかけながら、食べている。
「うん、うん」
と、素直に、したがう。
 こればかりは、以心伝心とは、いかない。

 今も、変わらない。
 出かける時に準備するご飯は、おにぎりに変更した。
 おかずも、できるだけ散らばらないものに、かえた。

 たった一人での食事は、さみしいのだろう。
 その、さみしさから逃れるため、少しでも早く、食事を終えたいのかも知れない。

 できるだけ、いっしょに食事を取るように、努めている。 
 
 

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【休題】見つけた、ユニークな本

 ユニークな本を見つけた。

☆東京鉄塔 (ISBN 978-4-426-10229-6)
   著者 サルマルヒデキ
   発行 自由国民社

 東京23区とつながっている送電線を支えている鉄塔を、紹介している本である。
 今まで、鉄塔を題材にした一般向けのものは無かったと思う。

 実在している鉄塔の解説・紹介なのだろうが、どうしても写真集として、夢の詩集として、見えてしまう。
 朝焼け、夕焼け、四季折々、まわりの景色や、いつもの生活の中に溶け込んだアングル、そして、命の息吹が吹き込まれ、著者の愛情が、ヒシヒシと伝わってくる。

 送電線は、線路。
 そして、鉄塔は、駅か。
 ちょっと休憩している"電車"ならぬ"電力"が、見える。

 「鉄塔を見上げれば、そこに東京の空がある」
 純愛に生きた智恵子抄に描かれたロマンも、彷彿とさせる。

 銀の帯にあわせた銀色の見返し。
 装丁にも凝っており、並々ならぬ意気込みに驚かされる。

 「東京23区送電路線図」も最初に記載されているが、テロが叫ばれている今、ちょっと心配な点もある。

 今までは、風景として溶け込んでいた鉄塔が、このすてきな本を読んでから、いやに目に止まってしまう。

 あの本に無かった鉄塔ではないか。
 そういえば、あの本に乗っていた形だ。
 この情景は、○○ページに加えたい。

とか、気になって仕方がない。

 その点では、罪つくりな本でもある。

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お菓子、おいしかった

 朝食後2時間ほどで、デイサービスに送るため、いったん帰宅すると、やはり、寝ている。

 なんとなく、棚の景色が違う。
 お菓子類が、すべて、消えている。
 油断大敵、アメが入っていた袋までもが、なくなっている。
 いったん食べだすと、あるものすべて食べてしまうため、その日の分だけ出して、隠すようにしていた。
 が、最近は、落ち着いていたので、安心して、昨夜、買ってきたものを、そのままにしてしまった。
 不覚だった。
「お菓子、おしいかったヨ」

 夕方、迎えに行くと、介護センターの方が、
「今日は、4回も、おむつを交換したんですヨ」
「微熱もあったし」

といい、
「ちょっと食事の量を減らした方が・・・・・」
強めの声でいう。
 やっぱり!

 自宅に帰ると、元気そのもの。
 クツを脱ぎすて、自室に入り、寝ようとする。
 しぶしぶ出てくる。
 そして、
「今日のお昼は、ご飯が、少なかった」
「おやつに、スイカが出た。ちっちゃかった」
「歌をうたった。楽しかった」
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、何ごとも、なかったように、笑みをうかべながら、語る。
 いつものパターンである。

 お腹は、なおったらしい。

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