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大音量も、忘却のかなたに

 
 エレベーターが14階に着く。
 ドアが開くと、何やら人の声がする。
 自宅のドアの前に、数人の人がいる。
 テレビの大きな音が聞こえているので、心配して集まったとのこと。

 ドアを開けると、耳をつんざくような爆音が飛び出る。
 あわてて居間に入る。
 とりあえず、テレビを消す。
 いない。
 寝室をのぞくと、頭から布団をかぶり、寝ている。
 起こすと、何もなかったような顔をして、出てくる。

 近所の人に、わびて、帰ってもらう。
 大変ですねー、との慰めを受ける。
 真夜中の出来事だったら、こう簡単には、収まるまい。

「何で、テレビを消さなかったのか」
と、聞くと、
「消したよ」
という。
「何で、大きな音にしたのか」
と、聞くと、
「していないよ」
という。
「そんなこと、するはずは、ない」
「ちゃんと、消したよ」

 認めようとはしない。
 隔靴掻痒であるが、本当に、覚えていないようだ。
 
 証拠にと、テレビをつけてみても、反応をしない。
 これは、想定外であった。
 ちょっと高いかなという程度で、うるさいと認識しないのだ。
 耳が悪いわけではない、と思う。
 会話は、成り立っているし、ちゃんと聞こえている。

 お腹がへったと、いつものように、テーブルの前に座る。
 過去のことは、すっかり忘れて、何ごともなかったようだ。

 リモコンの操作があやしくなって、テレビのつけ消しは、コンセントの抜き差しだけに変更していたのだが、リモコンを見えるところに出しておいた。
 おいしい食べ物を出しておいて、なぜ食べたのかと、問い詰めているようなものであろう。
 想定できた、はずだ。
 負けである。
 原因は、こちらに、あるようだ。
 
 大音量の認識の件は、医者に聞かねば。
 今週の医者との会話の話題が、一つ増えた。
 
 

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コメント

頭が下がります。
自分の母親だから世話をしているという感じを越えて、なにか仏教の悟りをKさんからは感じられます。
すばらしい!
成人から老人になり、だんだんと赤ん坊に戻りゆっくりと穏やかに生命の幕は引かれるのですね。
お体、ご自愛の程お願い申し上げます。

投稿: さすらいのギャンブラー | 2007年10月24日 (水) 19時25分

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