何かが、間違っている
田舎には、幅が500メートルを超える大きな川がある。
その名の通り、大川という。
昔は、水量が豊富であった。
今は、ダムが、あちこちにできたため、昔の面影はない。
子どもの頃、夏休みには、毎日、大川で遊んだ。
当時の屋内配線は、屋根裏に、碍子を用いて、電線を張っていた。
その碍子を手に入れ、釣り針を付ける。
浮きなど、必要ない。
川の中の石を裏返せば、川虫がいる。
それを餌として、いくつも、浅瀬に投げ込む。
しばらく、泳いだりして遊んでから、碍子の白さを目印に、もぐって回収する。
だいたい、魚がかかっている。
カジカと呼ばれている魚か、アカハラという魚が多かった。
そして、まわりに生えている小さな竹を切れ取り、魚に刺して、川原で焼いて食べる。
物のない時代、まことに、おいしかった。
たまに、ハッチョと呼ばれていた赤い魚が、かかる。
鋭いトゲを持っていて、直接、つかむには、注意を要する。
刺されると、非常に痛い。
これも、おいしかった。
お腹がふくれるほど、自然は豊かだった。
台風が来ると、一つの楽しみがあった。
台風一過、翌日は、快晴となる。
そして、ダムなど無かった時代、向こうが見えないほどの川幅いっぱいに、濁った水で満たされる。
流れは、のみ込まれるほど、急である。
土手の水際に生えている草に、助けを求めるように、それらの魚が、一列に勢ぞろいして、必死に、しがみついている。
それを、柄の付いた網で、すくっていく。
持ちきれないほどの小魚で、袋がいっぱいになる。
ただ、大人が一緒じゃないと、行くのは許されなかった。
いま思うと、濁流の中、危険きわまりない行為である。
大川に、行ってみた。
人は、少ない。
少し前まで、にぎわっていたであろう"いも煮会"の喧騒は、すでに、跡形も無い。
助手席から、ふと、
「変な世の中に、なったね」
「きっと、バチが当たる」
と、つぶやく声が聞こえる。
「何のこと?」
「若い人がゴミを捨て、年寄りが、ゴミを拾っている」
「掃除は、若い人がすることと、昔から決まっているのに」
という。
遠くに、老人会のボランティアであろう一団が、ゴミ拾いをしている。
止めた車の近くの砂利の上には、大量の花火の燃えカスが見える。
花火であるから、年寄りでは、なかろう。
年寄りがゴミを拾い集め、若者がゴミを捨てる。
何かが、間違っている。
都会の若者と同じく、育った土地という感覚が、無くなったのか。
良い方向に、世の中は向かっているのだろうか、ふと、疑問がわく。
やりきれないものを、感じた。
ただ、人の心の移り変わりとは無関係に、田舎は、もう冬である。
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