« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月

何かが、間違っている

 
 田舎には、幅が500メートルを超える大きな川がある。
 その名の通り、大川という。
 昔は、水量が豊富であった。
 今は、ダムが、あちこちにできたため、昔の面影はない。

 子どもの頃、夏休みには、毎日、大川で遊んだ。
 当時の屋内配線は、屋根裏に、碍子を用いて、電線を張っていた。
 その碍子を手に入れ、釣り針を付ける。
 浮きなど、必要ない。
 川の中の石を裏返せば、川虫がいる。
 それを餌として、いくつも、浅瀬に投げ込む。
 しばらく、泳いだりして遊んでから、碍子の白さを目印に、もぐって回収する。

 だいたい、魚がかかっている。
 カジカと呼ばれている魚か、アカハラという魚が多かった。
 そして、まわりに生えている小さな竹を切れ取り、魚に刺して、川原で焼いて食べる。
 物のない時代、まことに、おいしかった。
 たまに、ハッチョと呼ばれていた赤い魚が、かかる。
 鋭いトゲを持っていて、直接、つかむには、注意を要する。
 刺されると、非常に痛い。
 これも、おいしかった。
 お腹がふくれるほど、自然は豊かだった。

 台風が来ると、一つの楽しみがあった。
 台風一過、翌日は、快晴となる。
 そして、ダムなど無かった時代、向こうが見えないほどの川幅いっぱいに、濁った水で満たされる。
 流れは、のみ込まれるほど、急である。
 
 土手の水際に生えている草に、助けを求めるように、それらの魚が、一列に勢ぞろいして、必死に、しがみついている。
 それを、柄の付いた網で、すくっていく。
 持ちきれないほどの小魚で、袋がいっぱいになる。
 ただ、大人が一緒じゃないと、行くのは許されなかった。
 いま思うと、濁流の中、危険きわまりない行為である。

 大川に、行ってみた。
 人は、少ない。
 少し前まで、にぎわっていたであろう"いも煮会"の喧騒は、すでに、跡形も無い。

 助手席から、ふと、
「変な世の中に、なったね」
「きっと、バチが当たる」

と、つぶやく声が聞こえる。
「何のこと?」
「若い人がゴミを捨て、年寄りが、ゴミを拾っている」
「掃除は、若い人がすることと、昔から決まっているのに」

という。
 遠くに、老人会のボランティアであろう一団が、ゴミ拾いをしている。
 止めた車の近くの砂利の上には、大量の花火の燃えカスが見える。
 花火であるから、年寄りでは、なかろう。
 年寄りがゴミを拾い集め、若者がゴミを捨てる。
 何かが、間違っている。
 都会の若者と同じく、育った土地という感覚が、無くなったのか。
 良い方向に、世の中は向かっているのだろうか、ふと、疑問がわく。
 やりきれないものを、感じた。

 ただ、人の心の移り変わりとは無関係に、田舎は、もうである。
 
 

♡♡♡  介護についての書籍を選んでみました  ♡♡♡

 
 
 
下記サイトも、ぜひ、のぞいてみて、ご利用ください。

高島屋 大丸通信販売 Dmall.jp (大丸ホームショッピング) e87.com(株式会社千趣会イイハナ)
こだわり一品 by JALショッピング 東急百貨店 快適.Net 【伊勢丹】の贈り物120*60
ダイエー ネットショッピング お中元・お歳暮や母の日ギフトからお手頃な日用雑貨まで多彩に品揃え! セブンドリーム・ドットコム シャディ Gift&Shopping

| コメント (0) | トラックバック (0)

連れ合いも、記憶から消えた

 
 今年は、雪の訪れが早そうである。
 もう1回は帰省したいと思っているが、雪が積もれば、無理をしないつもりだ。
 最近は、正月に帰っていない。
 弟も、いま住んでいる所にやってきて、正月を一緒に過ごす。
 嫁いだ妹は、他家に根付いていて、孫にあたる子どもも、すでに家庭を持って、独立している。
 
 毎月の帰省の際には、ひとりぼっちになっている墓を、必ず訪れる。
 雪の訪れが、早そうである。
 今年最後の墓参りに、なりそうだ。
 落ち葉が、辺り一面に、敷き詰められている。
 葉を落とした、まわりの木々からは、陽の光が、さんさんと降りそそいでいる。
 鳥の鳴き声は、ない。
 だれも、いない。

 こよなく愛した酒を供え、線香をたく。
 早いもので、亡くなってから、9年が過ぎた。
 手を合わせ、何か、つぶやいている。
 詳しくは聞こえないが、何かが、変だ。
 しばらく続く。

「何を、頼んだの」
「頼むのは、神社だよ」
お話しを、したの」
 また一本取られた。
 理に、かなっている。
「何を、話したの」
「元気でいること、昔のことなど、いろいろ話したよ」
 でも、何となく、変なのである。

「誰と、話したの」
「おじいちゃんと、おばあちゃん」
「どんなこと、話したの」
 次に、話し始めた内容は、嫁ぐ前の話しや、生まれ育った実家の話しであった。
 いろいろな話しが、続く。
 1点の話しを除いては、ほとんどが前に聞いていた話である。

「そのおじいちゃんと、おばあちゃんは、この墓には入ってない」
「入っていたよ。話したもの」
「名前は、だれ」
 少し考えている一時をおいて、実の両親の名前が出る。
 正解にホッとする反面、不安が湧き出る。
「おじいちゃんと、おばあちゃんは、別の墓に入っていて、ここじゃない」
 キョトンとした顔をしている。
「この墓は、嫁いだ、ウチの墓だよ」
 本当に、分かっていないようである。

「父さんの名前は」
と、恐る恐る聞いてみた。
 やはり、キョトンとしている。
 最近、父が話題に出てこない理由が分かった。
「一緒になった人の名前は」
 答えがない。
「誰のところに、嫁いだの」
 まったく記憶に、ないようだ。
「嫁いだよね」
「嫁いだ」
「どんな人のところ?」
「立派な人」
 他人事のような話しぶりである。

 やっと、
「だれだっけ」
「忘れちゃって、思い出せない」
「名前を教えて」

と、一生懸命、考えているようになった。
 しかし、名前は出てこない。
「○○と呼ばれていた人だよ」
と、皆から呼ばれていた愛称だけを、まず、教えた。
「そうそう、○○と呼ばれて、皆に尊敬されていた」
 そこまで、だった。
 それ以降、いろいろな出来事の思い出話しは続くが、名前は出てこない。

 その中のに、先ほど初めて聞いた1点の、辻褄が合点した。
 当時は良くあることで、結婚式まで、相手は知らなかった。
 嫁いでから、士族であることが分かった。
 いやだった。
 ただ、両親の喜ぶ顔を見て、我慢した。
 その内、子どもができた。
 もう、逆戻りは、できなかった。
 唯一、味方をしてくれ、大事にしてくれた義母は、第一子の誕生後、まもなく亡くなった。

 "いやだった"くだりは、初めて聞いた。
 義父は、昔ながらと言うより、厳格そのものを絵に描いた人だった。
 こわいを超えて、子ども心には、恐怖であった。
 幼稚園の頃に亡くなったが、ホッとした記憶が残っている。
 習慣や、親戚などの考え方の相違。
 農家から嫁いだ母の心境は、いかばかりだったか。
 心の、よりどころは、実の両親だったのだ。

 ついに、父の名前は、出なかった。
 顔かたちも、姿も、そして名前すら、記憶から消えていた。 

 葉を落した小枝をすり抜ける風音の中に、
「苦労を、かけっ放しだったからなー」
と、高笑いしている父の声が、聞こえた。
 生前の
「母を、頼むぞ」
との言葉と、ともに。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

昼寝をしたことは、ない

 
 前々日、吹雪のニュース。
 よって、今回から、自動車道での月例の帰省。
 夜明け前に、出発した。

 順調な車の流れ、自動車道を使うのであれば、早過ぎた出発でもあった。
 小1時間強も走ると、睡魔が襲ってくる。
 すでに、田舎までの距離の半分近く、走っている。
 パーキングエリアに入り、仮眠を取ることにした。
 昨夜は、"トイレ・ハイキング"や、着替えを繰り返すなどを、やめなかったため、ほとんど寝られなかった。
 いつもより早めに、出発した理由でもある。
 車を止めると、心地よい暖房も加わって、すぐに眠りに入る。

 目を覚ます。
 夜が明けていて、明るくなっている。
 ふと助手席を見ると、寝ている。
 大好きなドライブ中には、決して寝ないのだが、一晩中の"労働"で、さすがに眠たかったのだろう。
 それも、シートベルトに支えられ、前のめりになって、寝ている。
 釣られた魚のようで、何とも、おかしい。

 ドアの開け閉めも、ままならぬ今、座席の倒し方など、とうの昔に、忘れてしまったのも、うなずける。
 まだ、眠気が残っている。
 眼をハンカチで覆い、また、シートを倒した。

 車中で、朝食をとる。
 通常、外に設置されている休憩用のベンチで食べるのだが、もう外は、寒すぎる季節である。
 食事中に、
「めずらしく、寝ていたね」
と聞くと、
「寝てないよ」
「寝ていた」
「いや、起きていて、入ってくる車を見ていたよ」
と、予想通りの答えが、返ってくる。
 前々から、
「一回も、昼間に寝たことはないよ」
と言い張って、決して認めようとはしない件である。
 おそらく、"人前は寝顔を見せてならぬ"との、"古い教えのせい"ではないかと思っている。
 
 パーキングエリアから、本線に入る。
 ただ走るだけ。
 "読む看板"も少なく、黙って風景を眺めるしかない。
 あっても、同じ文字しか書いてない。
 自動車道は、つまらない。
 そう言っているような横顔に見えるのも、決して、思い過ごしだけでは、なさそうだ。

 遠くに見える山々が、白くなっている。
 一年ぶりの、雪化粧は、まぶしく新鮮で、美しい。  
 トンネルを抜けるたびに、日陰の雪の量が増してくる。
 最後のトンネルを抜けると、まわり一面、銀世界。
 路面を除いては、予想した以上に、真っ白だった。
 車の液晶画面は、"外気温マイナス3℃"を、表示している。

 峠を過ぎ、眼下に、田舎の街並みが見える。
 まわりの雪も、だんだんと、少なくなっていく。
 自動車道をおりる頃には、もう、積雪はなくなっていた。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

体内時計は、いつも夜

 
 ひとりでいる時は、いつも寝ている。
 こちらが風呂に入るなどで、短い時間でも一人になれば、寝室に入り、ふとんにもぐり込んでしまう。
 一緒にいる時には、一応、テレビは眺めている。
 ただ、テレビの内容を把握しているとは、思えない。
 時おり、笑っているそぶりは見せるが、こちらに合わせているだけなのが、ありありと分かる。
 感動した様子も、ない時の方が、多い。
 面白がっている様子も、ない。
 画面に出てくる文字を、ひたすら読んでいるだけの時もある。

 滅多にはないが、クイズ番組で問題が出た時に、
「なんだっけ」
と、聞いてくることがある。
 それらしい方向の、話しをすることもある。
 当然、答えにはなっておらず、それらに近い解答がでるはずもない。
 解答が放映された後でも、
「なんだっけ」
と、繰り返し聞いてくる。
 そして、ちょっと目を離すと、ふとんの中にいる。

 人間は、完全に外部と隔離した状態においても、ちゃんと1日の周期で、起きたり寝たりの周期を繰り返す。
 その仕組みが体内時計であり、バクテリアにも存在していることが分かっているそうだ。
 朝になると、"コチゾール"なる目覚のホルモンが分泌され、夜になると、"メラトニン"なるホルモンで眠くなるそうだ。
 ただ、人間の場合、1日が25時間で、少しずつズレがあるとのこと。

 医者から聞いている認知症の症状のひとつに、昼夜の逆転がある。
 ずいぶん前から、それらしい症状は、出ている。
 朝日を浴びさせて、体内時計を戻すことも必要だと言われた。

 戻さなくとも、1日25時間なら、毎日1時間が累積されて、24日周期で正常に戻るのではないか。
 素人の考えで、そう思えるのだが、そのような素振りは見えない。

 "コチゾール"が、この世界に連れて戻し、"メラトニン"が、夢の世界を醸し出す。
 そんな気が、してきた。

 新たな疑問。
 もし、年をとって、"コチゾール"なる目覚のホルモンが、分泌されなくなったら、どうなるのだろう。
 毎日24時間フルに、起きている人がいるとは、聞いたことがないので、"メラトニン"なるホルモンは、問題ないのだろうから。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (1)

心の一部が、所望された

 
 田舎は、けっこう古い歴史のある地域である。
 消え去る運命にある民話の中の一つに、魂を所望する神々の話しがある。
 
 毎日毎日、神々が集まって来て、酒宴を開き、
「今日は、あの魂を、食そう」
と、下界を眺めて、今日の獲物を選定していた。
 彼らは、熟れて旨みが円熟した、すなわち年老いた魂が、大好物であった。
 今日も、豊富な経験を踏んだ、美味しい魂を、求めていた。
 下界では、悲しみながらも、天寿をまっとうしたとして、納得する。
 
 ある日も、美味い獲物に舌鼓をしていた。
 いつもより、酒量が増え、間違えて、幼い青い魂を所望してしまった。
 いつもと違った、味わいである。
 酒に酔った神々は、下界の悲しみなどわからない。
 いつものように、満腹し、酔いつぶれて、寝てしまう。

 目覚めると、あの新しい食感が、蘇って来た。
 それ以来、青い魂を、所望し始めた。
 しばらく、年を重ねると、青い魂は、下界からなくなってしまった。
 次の世代につなげるはずの青い世代が、次の世代を創る前に所望されてしまって、つなげなくなっていたからである。
 そして、それらを所望していた神々も、飢えて死んでしまった。

 次いで現れた神々は、滅亡した前の神々の失敗を反省して、新しい魂を作った。
 今までよりも、もっと豊かな魂を持つ獲物の""である。
 ""は、""同士の戦いが好きだった。
 神々が所望する以上の青い魂を、毎日毎日、ささげ続けている。
 
 最近、やたらに、"だれだれが殺された"などのニュースが、数多く流れるような気がする。
 年少者がからんでいる事件も、多いようだ。
 津々浦々、交通の手段やネットワークが発達し、瞬時に伝えられる時代だから、前には放送できなかったものまで可能になっただけなのだと信じたい。

 生まれて、まだ何の抗体も持っていない子どもに、悪影響がないのだろうか。
 犬が人をかんでも記事にならないが、人が 犬をかんだら記事になるという。
 当たり前でないことが、いつもテレビから流れ続ければ、それがあたかも、当たり前であるかのように、受け取りやしないのか。
 青い魂を所望しているのは、今の社会のような気がして、昔話を思い出した。
 少なくとも、子どもは"みんなの宝"という考えは、薄れて来ているようだ。
 
 ちょっと前までの母は、暴力や、殺人シーンのあるテレビ画面を見ようとはしなかった。
 当然、そのようなニュースになると、目をそらすことが多かった。
 
 その頃の心だけは、すでに、所望されている。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

老人会の、係りの人は大好き

 
 いつもの通り、介護センターに迎えに行った。
 会議の時刻が迫っていたので、すぐに出かけた。
 夕食は、前もって用意しておいた。

 帰宅は、22時を過ぎていた。
 当然、寝ている。
 風呂に入れるため起こそうとも思ったが、明日のデイサービスは、入浴のある日である。
 あと2時間もすれば起きて、いつもの"トイレ・ハイキング"なる活動も始まるだろう。
 起こさないように、居間にも行かず、そのままにすることにした。

 翌朝、食事の準備に取りかかろうとすると、昨日の夕飯が、そのまま残っている。
 ふと、お菓子の置いてある棚を見ると、手付かずだ。
 いつもは、見えた食べ物は、すべて消えてしまう。
 隠してあるその他の食べ物も、無くなっては、いない。
 介護センターから帰ってから、何も食べていないようだ。
 あり得ないことである。

 食事を準備している最中に、
「お菓子でも食べたら」
と言うと、
「食べたくない」
との、意外な返事が返ってくる。

 間もなく、朝食となった。
 いつもは、ゆっくり食べるように注意するほどなのだが、そのスピードはない。
 ちょうど良いスピードで、食べている。
 いつもより、すごく遅いのである。
 何かが、違う。
 昨夜は、急いで外出してしまったが、介護センターから帰宅した時、興奮しているのか、元気がないのか、何となく違うことを思い出した。

「老人会は、おもしろかった?」 
と聞いてみた。
 返事がない。
 再度、聞いてみた。
「いつもと違う人が、いっぱいいた」
「隣にいた小さい女の人は、訳のわからないことを言っていた」
「その隣も、女の人で、こんな恰好で、歩き回っていた」

と、幽霊のように、手を前に出して説明する。
「とても背が大きい男の人が2人いて、どなっていた」
「怖かった」
「離れた男の人は、テレビの前で、変な歌を歌っていた」
「テレビを見ると、にらみ返してきて、こわかった」
「手の曲がった人が、わめきながら、寄って来た」
「のどに何かを詰まらせた人が、助けて、助けてと、騒いでいた」
「怖かった」
「知らない人だらけで、怖かった」

 相当なショックを、受けている。

 デイサービスに、毎日、行くことになったばかりだ。
 今までは、週4回だった。
 介護センターの休みである日曜日と、祭日を除いて、すべての日である。
 昨日は、今まで行っていない曜日に、初めて行った。
 メンバーが違っていたのだろう。
 人気の曜日でいっばいだと言われたが、何とか入れてもらった。
 だから、満席だったのだろう。

 食事を終え、聞いてみた。
「今日の"老人会"は、やめよう」
 すぐに、返事がない。
 悩んでいるようだ。
 あれほど行きたがっている"老人会"。
 しかし、怖い人が、いっぱいいた。
 係りの職員には、会いたい。
 少し時間が、過ぎた。
 残された知恵をフルに使って、自問自答している。
 再度、聞いてみた。
「今日の"老人会"は、どうする?」

「行きたい」
 結論が出た。
 係りの人に会いたい気持ちの方が、勝った。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

平凡な日が、いちばん

 
 今日も、デイサービスから帰ってくると、元気そのもの。
 クツを脱ぎすて、カバンを洗たく場に置く。
 次いで、自室に入り、寝ようとする。
 しぶしぶ出てくる。
 そして、
「今日のお昼は、柔らかい"うどん"で、まずかった」
「おやつは、ちっちゃな、むしパンだった。おいしかった」
「ネズミを作った。続きを明日もやる。楽しかった」
   ・・・・・・・・・・・・・・・。 

 いつもの、パターンである。
 前と違っている点は、"カバンを洗たく場に置く"ことが、追加されただけだ。
 汚すことが、多くなったためである。

 "ネズミ"を作ったとは、何だろう。
 よくよく聞いてみると、ネズミ作りに、チャレンジしているようである。
 ネコも作っているとのことだが、構図は、よくわからない。
 悪戦苦闘しているようである。
 そういえば、来年の干支だ。
 もう少しで師走、時の流れは、早いものだ。

 全体的なことや、大ざっぱなことは、しっかり覚えている。
 しかし、寝た翌日には、得意げに話したことが、まるで無かったかのように、消滅していることもある。
 これくらいは、止むを得まい。

 "まずい"、"おいしい"など、料理の良しあしの判断と言うより、言葉だけは、まだまだ健在である。
 塩味は、ずいぶん前から、わからなくなっている。
 甘いは、わかっているようだ。
 その他の味は、時々、あやしくなっている。
 こちらは、食事を用意する側からすると、まことに都合がよい。

 左の目の周囲のアザは、今もって、黒ずんでいる。
 介護センターの係員によれば、左目周辺をぶつけたのではなく、頭を打った時の内出血の塊が、日数をかけて下りてきたのだと言う。
 確かに、左側頭部が充血している。
 打ってから、数日後に現れるとも言う。
 専門家が言うことだから、そうなのだろう。
 しばらくすると、内出血が、首の方まで下りてくるとも、言っている。
 そうなったら、納得である。

「鏡を、見たら」
と、繰り返し繰り返し言って、やっと見ても、
「あら、腫れているね」
と言うだけで、終わる。
 あまり、興味がないようだ。
 前だったら、大騒ぎだったのに。
 アザを眼帯で隠したいとか、人に見られるのは恥ずかしい、とも言わなくなった。
 それよりも何よりも、"老人会"に行きたい今日この頃である。

 平凡な一日が、過ぎた。
 いまでは、平凡な一日が、いちばん幸せな日になった。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

顔の化粧も、気にしない

 
 土日に用事があったので、弟に預けていた。
 夕方に帰宅すると、左の目の周囲のアザが、黒ずんでいる。
 まるで、むかし良く見かけた、眼底出血した人のようだ。
「痛くない?」
かと聞くと、
「痛くない」
と言う。
「医者に行く?」
「行かない」
 熱も持っていないようである。
 いつもの通り、医者に行こうとはしない。
 弟も、本人が元気だったので、そのままにしていたと言う。
 眼の中は、何ともないし、別に、問題はなさそうである。
 
 たしか、金曜日の夜に、介護センターに迎いに行くと、
「本人は、転んで、ぶつけたと言っています」
と、係の方が言っていたことを、思い出した。
 その時、すでに陽は落ち、玄関口は薄暗かった。
 昨日の深夜も、"老人会"に行こうとしてか、興奮気味だった。
 部屋の中で、いつも以上に、ドスン、ドスンとの音といっしょに、何かをしている物音が続く。
 医師から処方されている睡眠導誘剤を、飲ませた。
 そのような状態を思い出したため、
「よく、トイレで転びますから」
と、顔をよく見ないで、軽く答えてしまった。

 帰宅し、部屋に入ってから、左目の周囲が、薄赤くなっていることに気づいた。
 今日の朝の時点には、無かったように思う。
 少なくとも、見た記憶はない。
 転んでも、いつもは、右目の上の額である。
「左目の上は、どうしたの?」
「わからない」
「どこで、転んだの?」
「わからない」

 当日の朝には、睡眠剤が抜けていないので注意してほしいと、伝えてあった。
 夜中に飲ませたので、まだ効き目が残っているかも知れないと、思ったからである。
 当然、係員は注意してくれていたろう。
 センターに送り出す前に、2時間ほど外出していたので、その居ない時に転んだ可能性もある。

 本人は元気そのものだったし、ぶつけた痕も、うっすらだったので、そのままにした。
 そして、弟に預け、出かけた。

 最近は、化粧にも、気を使わなくなった。
 みずから、髪をとかすことも、なくなった。
 朝、顔を洗うことも、なくなった。

 今回は、今までにないアザだ。
 明日のデイサービスに出かけると自覚した時の、反応が気になった。
 むかしから、化粧には、気を使う方である。
どうしよう」
「恥ずかしいから、行かない」

と、言って欲しいものだ。

 もし、喜々として用意を始めたら、また一歩、夢の世界に入ってしまっている、ことになろう。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

記憶は流れても、流れないものがある

 
 また、新しい出会いがあった。
 それも、会いたくなかった方の出会いである。

 帰宅すると、トイレの前が水浸しになっている。
 いやな予感がした。
 靴を脱ぐ間もなく、玄関にいるのに気がつかない様子で、寝室から出てくる。

 トイレに入る。
 水でイッパイになった水の中に手を入れ、かき混ぜている。
 満杯になった水は、飛び散る。
 それでも、水を流す。
 当然、あふれ出る。
 何度も何度もコックを、ひねっているが、いま流したばかりだから、まだ水は貯まっていない。
 寝室に戻る。
 1,2分もすると、出てきて、満タンになった水を、満杯のところに、また流す。
 これを繰り返していたようだ。

 トイレ・ハイキングならぬ徘徊に、詰まらせたトイレの組み合わせは、悲惨である。
 紙オムツは取れたが、まだ何かが詰まっている。
 急きょ、業者に連絡する。

 ほどなく、駆けつける。
 作業を始める前に、確認してくる。
「この器具で取れなかったら、便座を外さなければならない」
「その場合は、2万円を超します」
 いやだとは、言えまい。
 断れるような、状況ではない。

 ものの10分もしない間に、解決する。
 そして、
「外せずに済みましたので、1万2千円です」
と言う。
 2万円を超えると聞いた後なので、なぜか1万2千円も、納得させられてしまう。
 商売とは、こうやるものなのだ。
 また一つ、勉強になった。

 詰まっていたのは、尿とりパッドであった。
 自宅では使っておらず、介護センター指定の物である。
 前にも、デイサヘビスから帰った時に、詰まらせた事があった。
 その時は、在宅していたので、妙な雰囲気を察知し対処したため、事なきを得た。
 それ以来、介護センターには、帰宅する際に外すように頼んでいたはずだ。
 大勢を相手にしているし、忘れたのだろう。

 なぜ、オシメと、尿とりパッドが詰まっていたのだろうか。
 聞いてみた。
「そんなこと、してないよ」
「だれが、やったの?」
 逆に、聞いてくる。
 泰然自若、そのままである。

 恐らく、トイレ徘徊中、本当に用を足そうとしたら、紙オムツが切れてしまい、はさんであったパッドと共に落ちてしまった。
 大変だと、あわてたが、取り出そうとせずに、"流そう"と考えた。
 当然、両方とも、水に溶ける製品ではない。
 詰まる。
 それでも、必死に"流そう"と、繰り返し、押し込み続けた。
 そんなところだろう。
 一人で紙オムツを脱ごうとすると、いつも切ってしまう。
 推定は、当たっているような気がする。

 トイレ徘徊は、ただ単に、便器の水面を眺め水を流すのを繰り返す、だけの行為で、用を足しているのではない。
 介護センターから帰ったばかりだから、オムツも汚れていない。
 よって、水は汚れていなかった。
 不幸中の幸いであった。
 そして、今日の"運の良い日"も、過ぎた。
 
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

何かを、急ぐ

 
 最近、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、
「早く、早く、早く」
と、つぶやく事がある。
 エレベーターに乗っている時に、言うことが多い。
 ドライブの最中にも、聞く。

 その時は、真剣な顔付きをしている。
 急ぐような状況は、何もない。
 具体的に、急ぎたいことがあるような案件も、思い付かない。
 2,3分続く。
 何を考えて、急いでるのだろうか。
 聞いてみようかと思ったが、やめた。
 どうせ、解答は得られないだろうし、聞いても意味のないことであろう。

 昔から、約束の時刻の相当前から、待っている性格ではあった。
 行事のある時には、持っていくものや、服装などの用意は、前日からしていた。
 当日には、どう考えても早過ぎる時刻に、家を出る。
 そのような性格だった。

 田舎の時間は、ゆっくり流れている。
 当然、予定されている時刻より、すごく早く着く。
 一番早いのかと言うと、そうでもない。
 同じ性格なのか、似たもの同士が集まるのか、すでに来ている人がいる。
 そして、予定の行事議題とは異なる"井戸端会議"を楽しむ。

 運動会などで、昼食のお弁当を持っていく必要がある時には、夜明け前から準備をしてくれていた。
 
 それらの行動や習慣が染み付いているのだろうが、今の、つぶやくだけの、
「早く、早く、早く」
とは、別ものと思う。
 とにかく、真剣なのである。
 めったにないが、自宅にいる時には、湯飲みなどを片づけてからだ。
 この時だけは、"仕事に遅れないように早く出かけなさい"、と言う意味合いだろう、を、感じ取ることができる。

 今でも、"ドライブの日"や、"老人会の日"などと認識できた時には、相当早くから、準備して待っている。
 前の日の夜に、準備を終えている時の方が多い。
 翌日の早々には、再度、長時間にわたって、繰り返し確認している。

 その時の、様子とは、明らかに違っている。
 何かを、急いでいるのだ。
 ひょっとしたら、残りわずかな人生を、精一杯、有意義に活用しようと思っているのか。
 やりたいことを、すべて成し遂げたいという意味なのか。

 この点も、今もって、明らかではない。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

ドライブの日は、忘れない

 
 日曜日の朝、居間にいくと、すでに起きていた。
 いつにない、爽やかな顔をしている。

 つい最近に起きた、テレビの音を最大にしたまま寝てしまった"大音響事件"以来、テレビのリモコンは、隠してある。
 コンセントを入れたり抜いたりだけの、"点け・消し"だ。
 音量は、気にならない程度に固定されているので、起きているとはわからなかった。

 いつもの通り、"老人会"ならぬ介護センターにいく用意を、整えていた。
 着替えや、入浴用タオル、オシメなどが入っている手提げ袋も、脇に置いてある。

「今日は、日曜日だよ」
と、伝える。
「?」
 反応がない。
「今日は、日曜日だから、老人会はないよ」
「何で?」
「休みの日だから」
・・・・・・・・・・・・・・・。
 しばらく、同じような、やりとりをする。
 不承不承、手さげカバンをしまった。

 食事中になっても、
「老人会は?」
「日曜日だよ」
「何で?」
「休みの日だよ」
・・・・・・・。
と、続く。
 食事が終わるころ、やっと、納得したようである。

 食器を洗っている最中に、居間から、姿が消えた。
 いつものように、また、寝てしまったのか。
 いや、寝室で、ゴソゴソ、音がしている。
 まもなく、またもや外出着に着替え、使用済みのオシメが入ったレジ袋を、片手に持って出てきた。
 ドライブに出かける用意をしている。
「どこに、行く?」
と、聞いてくる。

「なぜ?」
「日曜日だから」
「行きたい?」
「行きたい」
「どこへ?」
「どこでも、いい」
 一本、取られたようだ。
  
 今日は、頭の調子も良さそうだ。
 天気も、まずまずだ。

 関東の山々でも、紅葉狩りが、最盛期だろう。
 ありがたいことに、同乗者は、渋滞を、まったく気にしない。

 久しぶりに、榛名湖を、カーナビの目標地点に、セットした。
 思い出を、創りに。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

鏡の中に、聞いてみよう

 
 昨日の金曜日、田舎のメンタルケアの医師から、電話があった。
 先週の帰省の際、母に初めて、直に入院を勧めたが、頑強な抵抗を受けた。
 そこで、母には聞こえないように、そっと、来週に連絡する、と言っていた。
 その電話であった。
 商売とは言え、遠く離れた患者にも、心配りをしてくれる気持だけでも、ありがたい。
 状況を伝え、もう少し様子を見ることにした。
 今後は、どのような症状になるのか、聞くと、反抗するようになり、最悪の場合は、手向かってくると言う。
 それは、すでに始まっている。
 来週も、連絡を取りあうことで、電話を切った。

 ずいぶん前のテレビで、知恵遅れの子の面倒を看ていた年老いた両親が、成長した子の腕力に抗しきれず、最悪の道を選んだ事件を、放送していた。
 幸いなことに、その点は心配ない。
 相手は、逆に八十を過ぎた年老いた女性である。
 腕力で困るとは、考えられないからだ。

 炊事関連は、一切しなくしたため、火の心配もなくなった。
 今や、いじろうとも、しないからである。
 時々、冷蔵庫を開けようとした痕跡を、見つけることはある。
 ガムテープをドアに貼り付けて、開かなくしていることに、気付いた様子もなく、過食の心配もない。
 1回分として出しておく、おやつだけで、今のところは、満足しているように見える。
 
 ちょっと、気になることがある。
 しばらく経つと、"鏡に映った自分を他人と思って話しかける"ように、なるそうだ。

 両親のどちらだったか忘れたが、使わない時には、鏡は覆っておくように教えられた。
 そのままにすると、鏡の中に連れていかれると、脅された。
 子ども心に,なぜか、怖かった。
 昔の鏡台には、覆いがあったし、手鏡にも、フタがついていた。
 鏡が割れた時には、不吉なことが起こるとも、当時の長老たちには、信じられていたようだ。
 迷信だろうが、その時は、塩か何かで、清めの儀式?をしていたと記憶している。

 "鏡に映った自分を他人と思って話しかける"ようになったら、鏡の中に写っている母が、どのような顔なのか、見てみよう。

 そして、鏡の中に"移っている母"に、聞いてみよう。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

夢の中に、夢を見つけた 

 
 子どものころは、こわい夢の方が、多かったように思う。
 物心のついた頃から、小学校の低学年の頃までは、確かに、こわい夢が多かった。
 もっとも、こわい夢だけが、記憶に残っているだけかもしれないが。
 成長するにつれ、徐々にではあるが、楽しい夢を多く見るようになってきたように、記憶している。

 母は、どのような夢を見ているのだろう。
 ここ数年、会話の中に、夢の話しを聞いたことはない。
 おそらく、夢は見ているはずだ。
 どんな夢か、知りたいものだ。
 だれと、どんな所で、何をして、どんなことを話したのか。
 色は、形は、音は、聞きたいことは、いろいろある。

 私も、年相応に、少しずつ衰えていくのを、身をもって実感するときがある。
 今まで、何ともなかったことが、意識しないと、できなくなる。
 今まで、苦にしなかったことが、つらくなる。
 しばらく悩むが、やがて、あきらめてしまう。
 
 母は、どうなのであろうか。
 7割、いや6割が正常でなくなった事とは、正気の時が4割あることである。
 身体の衰えなら、やむを得まい。
 物忘れ程度なら、まだ、あきらめも、つくだろう。
 正気の時に、正気でない時の異常な行動を、身を持って実感せざるを得ない経験は、私には、まだない。
 こわい夢は、しょせん"夢"である。
 正気でなくなる自分を、見すえた時の、こわさは、いかばかりか。
 夢では、ないのだ。
 
 以前は、正気の時を心待ちしたものだが、最近は、ふと、疑問がよぎる。
 本人には、見せたくない恥をしていることが、分かるのだ。
 死にも価する恥をしている自分、恥では、すまなくなっている自分が、そこにいる。
 ましてや、女である。
 当人も、苦しそうな横顔を、ほんの少し見せる時がある。

 言い古された言葉に、"死への恐怖を忘れさせる、神が与える最後のプレゼント"、なるものがある。
 笑止千万としか、思えてならない。
 いっきに与えるのなら、納得もしよう。
 正気と狂気を混在させ、じわじわと苦悩を味合わせて、精神を十二分に、痛め続けているだけではないのか。
 
 きっと、夢の中に、希望を見つけたのだ。
 夢の中の方が、楽しいのだ。

 今日も、そちら側へ、どんどん、のめり込んでいっている。
 
 

| コメント (1) | トラックバック (0)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »