夢の中に、夢を見つけた
子どものころは、こわい夢の方が、多かったように思う。
物心のついた頃から、小学校の低学年の頃までは、確かに、こわい夢が多かった。
もっとも、こわい夢だけが、記憶に残っているだけかもしれないが。
成長するにつれ、徐々にではあるが、楽しい夢を多く見るようになってきたように、記憶している。
母は、どのような夢を見ているのだろう。
ここ数年、会話の中に、夢の話しを聞いたことはない。
おそらく、夢は見ているはずだ。
どんな夢か、知りたいものだ。
だれと、どんな所で、何をして、どんなことを話したのか。
色は、形は、音は、聞きたいことは、いろいろある。
私も、年相応に、少しずつ衰えていくのを、身をもって実感するときがある。
今まで、何ともなかったことが、意識しないと、できなくなる。
今まで、苦にしなかったことが、つらくなる。
しばらく悩むが、やがて、あきらめてしまう。
母は、どうなのであろうか。
7割、いや6割が正常でなくなった事とは、正気の時が4割あることである。
身体の衰えなら、やむを得まい。
物忘れ程度なら、まだ、あきらめも、つくだろう。
正気の時に、正気でない時の異常な行動を、身を持って実感せざるを得ない経験は、私には、まだない。
こわい夢は、しょせん"夢"である。
正気でなくなる自分を、見すえた時の、こわさは、いかばかりか。
夢では、ないのだ。
以前は、正気の時を心待ちしたものだが、最近は、ふと、疑問がよぎる。
本人には、見せたくない恥をしていることが、分かるのだ。
死にも価する恥をしている自分、恥では、すまなくなっている自分が、そこにいる。
ましてや、女である。
当人も、苦しそうな横顔を、ほんの少し見せる時がある。
言い古された言葉に、"死への恐怖を忘れさせる、神が与える最後のプレゼント"、なるものがある。
笑止千万としか、思えてならない。
いっきに与えるのなら、納得もしよう。
正気と狂気を混在させ、じわじわと苦悩を味合わせて、精神を十二分に、痛め続けているだけではないのか。
きっと、夢の中に、希望を見つけたのだ。
夢の中の方が、楽しいのだ。
今日も、そちら側へ、どんどん、のめり込んでいっている。
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コメント
>じわじわと・・・
我が家のおじいさんもまさに今その状態。
先日MRIの検査などを終え海馬の萎縮などから
「アルツハイマー」との診断を受け進行を少しでも
遅らせるための投薬治療が始まりました。
本人は最近毎日卒業式の会場づくりで忙しいようです(笑)
教員時代のことが一番輝いていたときなのでしょうね。
デイサービスの日は磐梯山を目にするせいか、
「磐梯登山をしたので足が疲れた」といいます。
正気の時にどれほど不安でいるかと思うと
見ていて辛くなることもありますね・・・。
大分寒くなってきました。お風邪など召しませぬようご自愛ください。
投稿: ちゃぼぼ | 2007年11月 1日 (木) 19時24分