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2007年12月

明日は、休み?

 
 今日の"ドライブの日"は、新年を迎える準備のため、中止である。
 ちょっと不満げであるが、昨日、介護センターの職員から、
「お正月で、しばらく会えませんね」
と聞いたのか、"老人会には行けない日"とは、認識しているようだ。

 眼の届かない場所で、掃除して戻ると、寝室に入り寝ている。
 ちょっと、席を外すと、寝ようとする。
 買い物から帰ると、当然、寝ている。
 テレビを見ても分からないようだし、つまらないのだろう。
 かと言って、他にやることも無い。
 母の部屋は、介護センターに行っている間に、掃除をしてある。
 夜の"活動"が活発になるかも知れないが、放っておくことにした。

 今週の初めに、あることを、介護センターの職員に頼んだ。

 先月の中頃から、土曜日の帰りだけ、施設の車で、送ってもらっている。
 400メートルも離れていないのだが、遠い所と思わせるため、最後に送り届けてもらうことにしてある。
 最後に降りるのであるから、結構な時間、車に乗っている。 
 おそらく、車中での職員から、
「明日は、休みだから、月曜日、会いましょう」
「明日の休みは、どこに行くの」
「明日は休みで会えないから、さみしいね」
などの会話があるらしい。
 はじめの頃は、それでも、"翌日は休み"と、なかなか理解できなかったようだった。
 いつしか、介護センターの車で送られる翌日には、"老人会は休み"、と分かるようになった。
 そして、"翌日は老人会がない"、と認識できた日の真夜中には、外への"ハイキングが無い"ことに気付いた。
 寝て起きたらやってくる"明日"と、朝食がやってくる"翌日"とが、合体した。
 そして、"活動"は、室内に止まったのである。
 
 そこで、職員の方に、頼んだ。
 帰りの送り出す際に、
「また明日、会いましょうね」
「また、明日ね」
「明日まで、さようなら」
という挨拶の中で、「明日」という言葉を、やめてもらうように。

 効果は、抜群であった。
 "室内ハイキング"は続いているものの、土曜日から帰った夜と同じように、外へのチャレンジは、激減した。
 行こうとはするが、"老人会に行く日"なのか、確信が持てなくなったらしい。
 玄関のドアから出ても、なぜか、駐車場に車があるのを確認するだけである。
 駐車場は、ドアから2歩足らずで、眼下に見える。
 エレベーターに乗る必要もないから、戻れる。
 迷子に、なることもない。
 
 介護センターは、年末休暇に入っている。
 明日は、二日連続して、"老人会が休みの日"となる。
 どのような行動を取るか、不安でもあるが、楽しみでもある。

 そして、昼ごろには、兄弟が来る。
 心配しなくても良い穏やかな日が、久しぶりに、やってくる。
 
 

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老人会に、住む?

 
 迎えに行くと、デイサービスの職員が、
「迎えに来てくれて、良かったねー」
と、話しかけているのが、かすかに聞こえた。
 何のことか、分からなかった。

 夕食後、自室に入る。
 デイサービスで入浴してきた日だから、そのまま寝かせた。

 思い当った。 
 昨夜は、いつも以上に、大騒ぎであった。
 いつもの"トイレ・ハイキング"が終わると、着替えをして、外出しようとする。
 クツをはき、ドアチェーンを外そうとする。
 完全に、寝ぼけている様な状態で、聞き耳を持たない。
 疲れると、外出着のまま、デイサービスに持っていく、着替えの入ったカバンを胸に抱えて、フトンに入る。
 再び、活動に、入る。
 デイサービスに行きたいがための行動が、ありありだったので、
「そんなに、"老人会"に行きたければ、ズーッと住んだらどうだ」
 そして、冗談に、
「もう、迎えには、いかないよ」
と言ったのを、思い出した。
 そこだけは覚えていて、頭の片隅に残っていたのだ。

 幼いころの子どもは、親にとって、たまらなく、うれしくなる言葉を、時おり、言う。
 天真爛漫な、可愛い仕草のほかに。
 保護者を確保しようとする本能から出ているのだろうけれども、親にとっては、この上なく、いとおしくなる言葉である。
 親は、その言葉で、なんとしても守ってやろうと決意する。
 と言うよりも、親自身、大変、幸せな気持ちになる。
 "子どもは、物心が付くまでに、親への恩返しを終える"といわれる。
 アルバムなども、子どもの記念品ではなく、親自身の思い出の品のように感じる。

「迎えに行かない」
「ズーッと、居たらどうなの」

と言った時、あれほど行きたがっているデイサービスに、
「迎えに来てくれないのなら、行かない」
と答えた。
 相手によって、どの様に対応すれば心を捕まえられるか、きちっと答えの切り替えができている。
 昔から、非常に気づかう性格ではあった。
 その時々の状態に対応して、配慮する判断力が、まだ充分、残っている。

 今度、施設の人に、聞いてもらってみようか。
「ズーッと、"老人会"に居たらどうですか」
と。
 きっと、両方に気づかって、
「そうしたいのだけれど、・・・」
「可哀そうだから、帰る」

と、付け加えると思う。

 幼子とちがって、これから成長するのではないが、心は、幼子に戻っているようだ。
 まだまだ、健在である。
 
 

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すてきな若者に、出会えた

 
 読む看板もない、"つまらない高速道路"から、おりた。

 ガソリンは、まだ持つようだったが、タイヤの空気が心配だったので、ガソリンスタンドに入る。
 若い係員に、空気圧の調整を頼む。
 いやに、元気が良い。
 はきはきしている言葉、てきぱきしている行動、実に、すがすがしい。
 しばらくすると、終わったと言う。
 給油も頼むと、
「空気圧調整はサービスですから、大丈夫です」
「無理して給油していただかなくても、結構です」
「お気を付けて」
と、意外な返事が返ってくる。
 結局は、給油をお願いしたが、まことに気持ちが良い。
 次回も、近くを通る時には、必ず立ち寄ろうと、心に決めた。

 助手席では、読む文字に出会えて、喜々とした声も、続いている。
 今日は、素晴らしい"ドライブ記念日"になりそうである。
 
 母が同乗している時は、他のガソリンスタンドでも、親切であるような気がする。
 確かに、ひとりの時よりは、対応が良いように思う。
 コンビニで、トイレを借りる時も、年配の店員より、若い店員の方が、親切である。
 エレベーターに乗る時も、そうである。
 今どきの若者について、いろいろ言われているが、何の心配もないと思う。
 我々の世代より、よっぽど優秀かも知れない。
 人間の根本は、""なのだと実感する。

 ふと、幼きころに教えられた言葉を、思い出した。
 心臓は、心臓のために、動いているのではない。
 胃や腸も、胃や腸だけのために、消化に精を出しているのではない。
 全身のために、各々の役割を、精一杯がんばっているのである。
 人間も、自分のために仕事をするのでは、まだまだ未熟。
 社会のために、働けるようになって、はじめて一人前である。
 との、教えである。

 あの若者は、きっと、楽しいことがあったからだ。
 社長からすれば、"商売人失格"と、どやされるだろう。
 若くて美人なドライバーが給油しに来たら、もっとサービスをしたのではないか。
 ・・・・・・・・・・・・。
 などと、考えてしまう自分が、恥ずかしい。

 今日は、クリスマス・イブ。
 あの若人に、"幸せあれ!"
 
 

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何もしないのは、悲しすぎる

 
 テレビを見ていると、ふすま1枚隔てた寝室に向けて、
「私の部屋は、ここ」
と、指差し呼称を始めた。
 小さい声であるが、繰り返している。
「今晩は、ここに寝る」
「私の、寝るところ」
・・・・・・・・・。

 しばらく、続いている。
 多少、違う単語を発しているが、内容は、同じようだ。
 何を考えての発言なのか、理解はできない。
 聞いても、答えは得られないだろうから、そのままにしておいた。

 今や、1日の大半を過ごす場所である。
 いわゆる、世間でいうところの、万年床でもある。
 デイサービスに出かける時か、食事をする時か、風呂に入る時以外は、いつも寝ているようになった。
 その長い時間を過ごす、大切な空間である。
 しかし、"もう寝たい"との、意思表示とも違う。

 今までは、違っている行動や言葉を正そうとしていた。
 今は、やめるようにしている。
 理解できないものは、注意しても、理解できないのだ。
 従来の対応は、意味がないことを、悟ったからでもある。

 家の中で、真夜中に"ハイキング"を繰り返しているが、寝たきりになるよりは、ましである。
 散歩の代わりになっているから、健康にも良いはずだ。
 日中から寝ていることは、静かになっていることでもある。
 目に留まる食べ物は、すべて食べてしまうが、食事ができなくなるよりは、ありがたい。
 最近、少し太りはじめたのは、ちょっと問題ではあるが。
 その位なものである。

 田舎の昔話に、似たようなものがある。
 艶話なので、紹介は差し控えるが、言い換えると、主旨は次のようなものである。

 病気にかかると、健康であればと思う。
 寝付いてしまうと、病気でも我慢するので、動けるようになって欲しいと願う。
 意識が無くなってしまうと、寝たきりでも良いから、意識が戻ってほしい祈る。
 亡くなると、意識が無くなっても良いから、生きていて欲しかったと悔やむ。

 同じことなのに、病気にかかると、寝たきりにならなくて良かったとは、思わない。
 寝たきりになっても、意識があるから良かったとは、思わない。
 意識がなくなっても、生きているから良かったとは、思わない。
 言い換えがうまくないので、真意を表現できていないが、物事は考えようであるということだ。

 何もしなければ、失敗はしない。
 しかし、何もしないのは、悲しすぎる。
 だから、失敗を恐れずに、何かをしよう。
 飽く無き"いろいろな繰り返し"は、そんなことも、行動で示しているような気がする。

 いくら歳を重ねても、教えてもらうことが、まだまだ沢山あるようだ。
 
 

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駐車場までは、内

 
 田舎の家は、もう住むには問題があるほど、古い。
 田舎で古いから、一戸建てだし、縁側がある。
 縁側には廊下が走っていて、各部屋はもちろん、玄関、台所に、つながっている。
 その反対の方角には、浴室とトイレがある。
 部屋には、各々の出入り口とは別の方から、外を眺められるようになっている。
 出窓と呼んでいるが、正面の庭とは別な、"内庭"への出入りもできる。
 いわゆる、昔の造りである。
 
 いま住んでいる所は、14階であるが、10数戸が横並びになっていて、一本の通路で、つながっている。
 1メートルほどの高さの柵はあるものの、眺めは良い。
 別の視点から見てみると、廊下にも似ている。
 そして、眺めは、縁側ともいえる。
 ベランダは、部屋に座っていても風景が見えるから、出窓からの眺めにも似ている。 
 強いて言えば、エレベーターが玄関とも言えなくもない。
 今まで一度も、そのようなことを考えてみたことも、想像すらしたことも、なかった。

 短編的にではあるが、ポツリポツリと話しを、聞き出した。
「外には、出ていない」
「廊下は、歩いた」
「昼間だった」
「車の所には、行った」
「でも、外には、出ていない」

 月曜日の"夜のハイキング"ならぬ徘徊で、駐車場にいたにも係わらず、"外には行っていない"と言い張っていた件が解決、一件落着した。

 確かに、田舎の家の駐車場は、敷地内である。
 外と言うのは、その先である。
 車に物を取りに行っても、外出したとは言わない。
 理屈である。 

 思い込みがあると、論理的な質問も出来ず、お互い同士が、決して交わることのない会話をするものだ。
 漫才をしていたようだ。
 お笑いである。
 
 まとめると、
「部屋の戸を開けたら、明るかった」
「廊下を通って、車のところに行った」
「そこで、"老人会"に行くのを、待っていた」
「だから、外には出ていない」
「このことは、ちゃんと覚えている」
と、なる。
 確かに、照明は、夜通し点いている。
 筋は、通っている、・・・ような気が、しないでもない。

 まだ、論理的?に考える脳の細胞が、生きて残っていた。
 ちょっとは、安心である。
 
 

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寒さなんか、何のその

 
 久しぶりに、真夜中の徘徊があった。

 ガタガタと、音がしているのに気付いてはいたが、そのままにして、まどろんでいた。
 いつもの、"トイレ・ハイキング"の時間であったし、1、2時間で止むからである。
 最近は、注意しても反抗するだけで、やめないからもある。

 まもなく、静かになった。
 うつらうつらしながら、良かったと安堵したが、静かすぎる。
 ちょっとの間をおいても、静かすぎる。
 いやな予感がした。
 しばらく無かった"真夜中のハイキング"が、起こっていた。

 月曜から土曜日まで、デイサービスに行くようになって、大変助かるし、心配することも無くなった。
 世の中、そう良いことだけでは、済まないようだ。
 逆に、24時間、いつでもデイサービスに、行きたがるようになった。
 夜の食事を終えた時や、風呂に入って一息ついた時にも、行きたがる。
 介護センターの方々の協力も得て、"介護センターは遠い"、と思わせているので、行きたがっても、一人で出かけることは、なくなっていた。
 しかし、効果は、なかったようである。

 今は、冬。
 車での送り迎えのため、上着だけで、コートは出していない。
 そして、真夜中。
 すぐに、警察から連絡はあると思うが、この寒さの中、コートなしで出かけたのだ。

 急いで着替え、捜しに向かった。
 すぐに、見つかった。
 警察でいうところの、"午前2時18分、駐車場の車の陰で確保"、である。
 寒さに、震えていた。
 手をつかむと、冷たい。
 ずいぶん前に、出たようだ。

 東京の警察官は、非常に親切である。
 田舎には、いまだに残っている"オイ、コラ"の名残りは、みじんもない。
 一番最初の徘徊で保護された時は、1泊した。
 それ以降は、登録されたようで、連れてきてくれる。
 今はデイサービスに行っているので、昼間は心配ないが、前に保護された時は、
「本日、○○時ごろ、○○近くで保護しました」
「ご自宅に、お連れしておきました」
と、留守電が入っていた。
 こちらの仕事にも、気を使ってくれるほど、親切なのである。
 今回は、お世話にならずに済んだ。

 翌朝、何ごとも無かったかのような顔をしている。
 聞いてみた。
 知らないと、言う。
 4時間ほど前のことである。
 外出などしていないと、言う。
 本当に、覚えていない顔である。
 こちらが夢だったのかと思うほど、していないと言い張る。
 ふと、こちらまで発病したのか、と思ってしまうほどの、きっばりした返事である。

 人間、相手の自信にあふれた発言には、信じていることでも自信が無くなり、不安になるものである。
 心配になって、玄関にいってみた。
 クツも移動しているし、汚れている。
 介護センターに持っていくカバンも、土で汚れている。

 今までは、何も覚えていなかったことは、なかった。
 何がしかは、覚えていた。
 ますます、症状が進んでいるようである。
 生命に、危険のある行動が始まったら、あきらめざるを得まい。
 残り、どのくらいあるのか、知りたいものだ。

 風邪は、ひかなかったようだ。
 今は、穏やかな顔をしている。
 
 
 

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どちらが、先に

 
 "ドライブの日"が、やってきた。

 自動車の専用道路に入ると、急に、静かになった。
 看板類がなくなったため、声を出して読む文字が、見かけなくなったからである。

 まもなく、唯一の生きがいである"老人会"の話しが、始まった。
「昨日のお昼は、うな丼で、御浸しだった。おいしかった」
「おやつに、イチゴがでた。おいしかった」
「野菜の煮物がでた。おいしかった」
「まんじゅうのような物がでた。ちっちゃかった」
「混ぜご飯がでた。栗が入っていた。軟らかかった」
「タマゴ焼きがでた。おいしかった」
「刺し身もでた。おいしかった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 今週の昼食メニューが、すべて出そろう。
 先週と同じ様な食べ物が、繰り返して、出されているようだ。

「忘年会をやった」
「偉い人の話しを、聞いた」
「ダンスを、見た」
「みんなで、歌をうたった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 週に数回しか来ない人のためなのか、忘年会を3回ほど開催されたようである。
 毎日行っているから、3回とも参加した。
 今月に入ってから、折り紙も、続いているようだ。
 来年の干支のネズミを、作っているようである。

 しばらくすると、
「変な男の人が、5人ほどいる」
「背が、ものすごく高い人ばかり」
「一人は、変な顔をしていて、とっても怖い」
「女の人にも、変な人がいる」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

と、介護センターに参加者している人物の、解説に移る。
 助手席で、身振り手振りが、加わる。

 自動車道からおり、街並みに入る。
 なぜか、葬式の白い案内板が、いやに多く見かける。
 寒さも増してきたし、季節の変わり目だからか。
 会場らしきものも、時おり見かける。

 否応なしに、葬式の話しになる。
 遠い昔、それも生まれ育った頃の話しが始まる。
 何度も何度も、聞いた話である。
 適当に、相づちを打っていたが、やがて、それも省略する。
 それでも、取りとめのない話しが、続いている。

 もし、この世の次の世界があったとして、認知症を発病したら、どうなるのだろうと、ふと思う。
 おかしいことが、思い浮かぶものである。
 運転をしていると、他にやることもできない。
 だから、いったん頭をよぎると、意外と気になって離れない。
 
 冗談に、
「三途の川を渡ったら、待っていれば」
「じきに、いくから」

と、言った。
 一転、満面の笑みで、
「うん」
「じっと、待っている」
「いつまでも、来るまで、待っている」

と、返ってきた。
 予想もしなかった返事だった。
 少なくなってきた小さな正気でも、死について、少しは考えているようだ。

 日に日に、症状が進行しているのを、感じている。
 誰かが、正月の事を、"冥土の一里塚"と言っていたのを、思い出す。
 まさに、今の毎日は、"冥途の一里塚"のようである。
 いつまで、親子の絆を感じられているのだろうか。

「いつ頃、いく?」
と聞くと、
「百歳までは、生きる」
と、いつもの口ぐせの答えが、かえってくる。
 死ぬとは、思っていないようである。
 介護センターも、あの世も、同じ世界のようだ。

 "百歳まで生きる"と言う。
 医者が太鼓判を押すほど、"身体だけ"は、いたって健康だ。

 こちらが、"先にいっていて、待っている"ことに、なりそうである。
 
 

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帰り道は、遠いほうが良い

 
 週5日フルに、デイサービスに行くようになってから、多少ではあるが、態度が明るくなったような気がする。
 毎日毎日、人の温もりと触れ合えることに、効果があるようだ。
 生き生きとしてきたように感じるのは、ひいき目だけでは、なさそうである。

 当初、行くのを拒否されたため、その時の対応が、今でも残っている。
 "老人会"と偽っていること以外にも、いろいろある。
 その一つが、送り迎えである。
 知らない人の迎えには、決して行こうとしなかった。
 止む無く、送り迎えをすることにして、やっと行くことを了承した。
 その名残りで、9時に送り届けて、17時に迎えに行っている。

 施設の職員の方々の協力のおかげで、しばらくすると、"老人会"がお気に入りになった。
 その点は良かったのだけれど、"老人会"の場所に向かおうと、毎日のように、"真夜中のハイキング"が始まった。
 目的地の方向は合っているのだけれど、到着することのない徘徊である。
 はじめは、どのようにすれば良いのかは、分からなかった。

 ある日、帰りの車中で、
「明日は、お絵書きの続きをやる」
と言う。
 当時は、週4回のデイサービスであった。
「明日は、休みだよ」
と、答えると、
「ひとりで行くから、送ってくれなくても、いいよ」
と、予想外の返事が返ってきた。
 介護センターの場所は、距離にして400メートルもない。
 一方通行のため、行きは遠回りしなければならないのだが、帰りは1、2分で着いてしまう。
 原因が、分かった。
 それからは、町内を一周して、帰ることにした。
 それ以降、"老人会"に向けての、"真夜中のハイキング"は消えた。

 次の施策を、講じた。
 送り出しは避けられないが、迎えに行かなければ、介護センターの車に乗らなければ帰れない。
 それを拒否するとは、思えない。
 土曜日だけは、送り届けてもらうことを、頼んだ。
 当然、すぐに送り届けないで、ぐるぐる回ってから最後にしてもらうことを、条件につけた。

 病気をした人のない人は、健康であることを、当たり前だと思っている。
 病気になって初めて、健康であることの幸せが、分かるのだそうである。
 デイサービスに行くようになってから、ちっちゃいけれど、とても幸せな""と言うものを手に入れた。
 幸せは、近くにあったのだ。
 今まで、気付かなかった。
 自由に振る舞える時間や、すべての空間を、独り占めできる幸せを、教えてくれた。
 母に、感謝である。

 ゆかいな仲間と、アルコールを飲んでも許される時間も、手に入れた。
 16時に、送り届けてくれる。

 今日も、取って置きの時間が、これから待っている。
 
 

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昼と夜の、二つの世界に生きる

 
「おはよう」
「     」
「朝だよ」
「     」
 返事が、ない。
 最近、問いかけても、返事をしないことが、多々あるようになった。
 耳が遠くなったため、ではないと思う。
 宅配や、勧誘の人の気配などは、こちらより素早く反応する。

 一昨日は、いつもの"大騒ぎ"で、ほとんど眠れなかった。
 そのためか、昨夜は睡魔に襲われ、真夜中の活動には、気付かなかった。
 気が付かなかったというより、そんなに大騒ぎでもなかったようだが、活動は間違いなくしている。
 居間には、いつもの通りの痕跡が、ありありと残っているからだ。
 身体の具合が、悪いわけでもなさそうだ。

 朝食の準備ができあがる頃に、ゴソゴソ、音がし始めた。
 しばらくすると、ふすまが開き、はうようにして出てくる。
 やはり、外出着に着替えている。
 そして、黙ったまま、食卓につき、待っている。

 再度、声をかける。
「おはよう」
「     」
「おはよう」
「おはよう」
 二度めに、返事がかえる。
 まだ、眠たそうである。

 先月の中旬から、月曜日から土曜日の週六日、フルにデイサービスに行くことにした。
 必然的に、昼は、起きていることになる。
 今までは、明らかに、昼夜が逆転していた。
 普通の時間感覚に戻る過程の、混乱期なのかも知れない。
 おそらく、夜中の大半も、従来通り起きているのだ。
 "昼も夜も、ご活躍"、眠いはずである。

 会話の話題は、デイサービスでの出来事だけになった。
 出来事の日にちが、多少ずれているように思えることは多々あるが、どんな所なのか、どのように一日を過ごしているのか目に浮かぶほど、話しを始めると止まらない。

 初めてのデイサービスの時に、"二度と行かない事件"があった。
 同病の人たちが集まっているグループなのに、
「変な人ばかりの"老人会"には、行かない」
と、頑強に拒否されたのである。
 説得に、三週間を要したほど、
「行かない」
と言う決意は、固かった。
 介護センターの方々には、認知症のグループではなく、身体は不自由だが頭のしっかりしているグループに入れてもらうなど、いろいろな協力をしてもらった。
 そして今や、"老人会"一色の人生である。
 今でも心苦しい点は、介護施設のことを、"老人会"と偽っていることである。

 新しく行くことになった月曜と木曜は、認知症のグループに入っているようだ。
 その曜日だけは、お気に入りではない。
 前々からの曜日も、話しの内容を聞くと、決めたグループでもなさそうな日もあるだが、"特に変な人"からは、遠ざける配慮がなされているようである。

 眠りが少なくても、まだまだ、正常に判断できるのである。
 ただ、昼と夜の、二つの世界に生きている。
 そして、両方の世界ともに、どんどんと、夢の世界に吸い込まれている。

 一人、取り残されているような、寂しい気もする、この頃である。
 
 

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1日おきと1時間おきは、何かが違う

 
 半世紀を越えた歳を重ねても、世の中の"解らない点"が減るどころか、増えているように感じる。
 青春のころ聞いた、"アキレスと亀"で有名"ゼノンの逆理"までは、何とか理解できたように思えても、より身近なことで、分からないことが増えたような気がする。
 もっと単純なことが、分からないのである。
 
 今月に入って、日曜日と祭日以外のすべての日に、デイサービスを受けることにした。
 その時のスケジュールの打ち合わせの時に、
「入浴は、1日おきに設定しました」
との、説明を受けた。
 この、"1日おきに"が、頭から離れない。
 曜日で示せば、火曜日と木曜日と土曜日が、入浴する日だ。
 だから、"1日おきに"は、何の疑問もない。

 "この薬は1日おきに飲んでください"と言われれば、今日飲めば、明日は飲まないで、"明後日"に飲む。
 火曜日に"1日おきに会いましょう"と言われれば、次回会うのは"木曜日"である。
 疑問の余地は、ない。

 田舎の実家のある場所は、市街地であるので、そうでもないが、ちょっと離れた地域での鉄道やバスの運行は、1日の本数が極端に少ない。
 "1時間おき"にしか、運航していない場所も、多い。
 この場合、"13時"に運行されれば、次の運行は"14時"である。
 "1時間おき"なのに、決して、"13時"の次にくるのは、14時を通り越しての"15時"では、ない。
 納得である。
 昔から、そうだったし、変にも思っていなかったが、最近は、なぜか気になるのである。

 単に、今まで正しいと思っていることが、違うようになったり、答えが時の流れというか、年齢に応じて変わっていくのか。
 とにかく、つまらないことに、疑問がわくのである。

 母に聞いても、
「何だろーね」
との言葉と共に、思考を止めた眼で、
「まだまだ、世の中が分かっていないねー」
と、顔つきから発する言葉で、言われそうである。

 最近は、デイサービスのことだけで、頭がいっぱいになっている。
 いつも、真夜中から、行く準備を繰り返している。
「今日は、休みだよ」
「何で?」
「日曜日だから」
「何で?」
 よくよく考えれば、"何で?"が正しいのである。
 いまお世話になっている介護センターが、日曜日を休みにしているだけで、"日曜日はデイサービスの休みの日"と、決まっているのではない。


 この親にして、この子あり。
 アルツハイマーの遺伝子は、確実に、受け継いでいるはずだ。
 いよいよ、こちらも、"夢の世界への入学試験"の受験シーズン、というか、年齢が来たようである。
 大先輩としての、母のあとを、追うように。
 
 

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夢の中で、夢を見る

 
 何かの音で、目が覚める。
 昨夜は熟睡できなかったので、ウトウトしてしまったようだ。
 まだ日にちは変わっておらず、夜半前である。
 確かに、何かの音がしている。
 絶え間なく、繰り返している音だ。
 わずかに聞こえるだけの音ではあるが、"かすかな震動"を、伴っている。
 最上階に住んでいるので、上からの音はあり得ないし、下の階からの音が聞こえたことはない。
 隣家からの音でも、なさそうだ。
 窓を、開けてみる。
 表からの音では、ない。
 もしやと思い、見に行く。
 震源地は、ここだった。

 仰向けに寝ながら、ふとんの上をドンドンと、叩いている。
 祭りの夢でも見ていて、太鼓でも叩いているのだろうか。
 しかし、昔からの記憶をたどっても、祭りで、太鼓など叩いていたことは、なかったと思う。
 田舎での太鼓叩きは、男の役割である。
 デイサービスでの予定表から類推しても、そのような動作は納得できない。

 どう見ても、眠っている。
 まだ"夜のハイキング"などの活動には、時刻的に、ちょっと早すぎる。
 どんな夢を見ているのか聞きたくなって、声をかけようと思ったが、やめた。
 子どものころ、"夢を見ている人には、声をかけてはならない"と言われたのを、思い出したからである。
 特に、"ひとり言を言っているのには、答えてはならない"、と。
 夢の世界に連れて行かれてしまうのか、気が狂ってしまうのか、魑魅魍魎の世界に引き込まれるのかどうかは、忘れてしまった。
  
 ふと、疑問がわく。
 夢の中にいる様になって見る夢は、どんな夢なのだろうか。
 アルツハイマーになっても、まだ確かな部分はあるのだから、しっかりした夢は見ると思う。
 昨日のことは忘れても、昔のことは、今でも良く覚えている。
 きっと、昔の懐かしい思い出を、楽しんでいるのだろう。

 大人になってからは、夢のできごとか、現実のものかは、はっきり認識できる。
 内容的には、現実の世界の人とのかかわりであったり、実際に見た映画などのシーンであったり、望みが夢で実現できたり、ほぼ納得できる夢だ。

 子どもの頃は、どうであったか、よく覚えていない。
 人と会ったり、スポーツなどをしたり、どこかに出かけたりなど、現実に近い夢ではなかったように思う。
 こわい夢だったり、とても嫌な夢だったり、感情が中心の夢だった気がする。

 現実が理解できなくなった時の夢は、やはり現実とは,かけ離れた夢なのか。
 そして、その夢さえ理解できなくなった時には、・・・・。
 いくら考えても、答えは見つかりそうもない。

 まだ続いている。
 
 

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ミカン"眺め"は、最高

 
 居間の方で、音がしている。
 "老人会"と思っている"デイサービス"の用意をして、起きている。
 最近に多い、パターンの一つである。
 テレビをつけ、眺めていた。
 これは、珍しい。

 予定時刻より早めに、朝食の準備が終わり、代わり映えのしない御菜が、食卓に並ぶ。
「早くしないと、老人会に間に合わない」
と、つぶやきながら、必死にご飯を、かき込む。
「今日は、休みだよ」
「何で?」
「日曜日だから」
「何で?」
 キョトンとしている。
 最近は、"日曜日は休み"との認識も、怪しくなってきている。

 会話のやり取りが、続く。
 しばらくすると、不満ながら、今日は"老人会"に連れて行ってもらえない、とだけは認識できたようだ。
 食事を終え、食器を洗っていると、後ろの方から、ふすまの閉める音がする。
 ふりかえると、居間に、いない。
 寝室で、フトンに入っている。

 そのままにしようと思ったが、太陽の光が、さんさんと居間に降り注いでいた。
 久しぶりの、雲ひとつない快晴だ。
 一緒にドライブに出かけられるのも、そう長くはなさそうである。
 最近の状態からすると、ひいき目に見ても、あと1年は持つまい。
 1年52週、月1回の帰省を除くと、残り40回ほどになる。 

「どこかに、行きたい?」
と、声をかける。
「行きたい」
と、瞬時に返事が返り、寝室から出てくる。
 外出するための着替えは、食事前から終えている。
 決まった。

 答えは決まっているのだが、
「どこに行く?」
「どこでも、いい」
「海?、山?」
「海」
と、いつもの、やりとりをする。

 今朝のニュースで、ミカン狩りをやっていた。
 ミカンは、際限なく食べてしまうほどの、大好物である。
 目的は、ミカン狩りに、決まった。
 とは言っても、急斜面の多いミカン狩りは、ずいぶん前から、無理になっている。
 現地でミカンを買い求め、ミカンの生っている木が良く見える場所に、車を止める。
 そこで、買い求めたミカンを、たらふく食べる。
 これが、最近のパターンである。
 "ミカン狩り"ならぬ"ミカン眺め"が、お気に入りなのだ。

 車に、乗り込む。
 エンジンをかけると、お気に入りのカーナビ麗人が、声をかける。
「おはようございます」
「おはようございます」
「今日は、12月2日、日曜日です」

「今日は、日曜日だって」
 やっと、心の底から、今日が日曜日であることを、認めたようだ。

 サイドブレーキをおろし、""のある湯河原に向かって、車を発進させた。
 
 

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"老人会"に、生きる

 
 今日も、真夜中に1時間ほど、洋服を着たり取り換えたりしていた。
 最近は、"老人会"ならぬデイサービスだけが、生きがいのようになっている。
 田舎に行く時しか、人と接することのない母にとって、人と話ができるだけでなく、身の回りの面倒まで見てくれる介護センターは、まさに天国なのだ。
 他人との、ぬくもりを感じられる、唯一の時でもあるからだ。

 牢獄で問題を起こした者は、独房に入れる懲罰があると、映画などでやっている。
 ひとりになって、むしろ快適なように思えて仕方がないが、精神的に、まいってしまうのだそうだ。
 生命を維持するための食事だけ与えられても、それだけでは、済まないようである。
 人との、"心の交流"という栄養素も、必要なのだろう。
 どうしても行きたいとの行動を、毎夜、見ていると、人間は、ひとりでは生きられないのだと、つくづく考えさせられる。

 会話も、"老人会"一色になった。
 食事中に、
「"老人会"は、どうだった?」
と、話しを向けると、一転して、破顔一笑、
「今日は、カラオケをやった」
「踊りも、やった」
「絵を、描いた」
「ボール投げを、やった」
「水戸黄門を、見た」
「風呂に、入れてもらった」
「頭も、洗ってくれた」
「爪までも、切ってくれた」
・・・・・・・・・・・・。

と、話しが途切れなくなる。
 数日間の出来事が、ごちゃ混ぜになるのは、ご愛嬌か。
 そして最後に、
「楽しかった」
が付く。

 かと言って、どこでも良いわけではなさそうだ。
「近くの病院に、行こうか?」
「行かない」
「介護の施設に、行こうか?」
「行かない」
 介護センターに行っているのに、である。

 だが、それらの会話の中に、だれそれなどの具体的な名前は、決して出てこない。
 名札は付けているし、漢字が読めなくなったわけでもない。
 むしろ、難しい漢字も、こちら以上に読める。
 不思議なものである。

 とにかく、"老人会"にだけに、行きたがる。
 職員の方から親切にされるのが、たまらないのだろう。
 やはり、人と人との付き合いが一番のようだ。
 今や、"老人会"だけに生きている、今日この頃である。
 
 

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