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2008年1月

指示は忠実に遂行する

 
 いつものように、朝がやって来た。
 いつものように、朝食の準備に入る。
 だが、いつもとは違う格好、四つん這いになって、居間に出てきた。
 それからは、いつものように、前掛けをして、食事を待っている。

 料理を作っている最中に、トイレに行く。
 やはり、這っていって、トイレの前で立ち上がってから入る。
 立ったままトイレから出てくるが、また四つん這いになって、こちらに戻ってくる。

 食事が、始まる。
 "老人会"に行こうという素振りは、見せない。
 食事も、ゆっくり食べている。
 注意しなくても、目一杯のご飯を、口に詰め込むこともなく、こぼれてもいない。
 久しぶりの、穏やかな食事の時間が過ぎてゆく。

 食事が終えると寝てしまうので、食事中に、意を決して告げた。
「明日、病院に行くよ」
「何で?」
「足の骨が折れてないか、見てもらおう」
「治ったよ」
「4日も経っても痛いのは、骨が折れたのだと思う」
「痛くないよ」
「這ってるじゃない」
「でも、痛くない」
「じっとしていると痛くないのは、知っているけれど」
「立っても、痛くないよ」
「立つと、痛いんじゃないの」
「痛くない」
 病院が、大嫌いである。
 どうしても病院には、行きたくないのだ。
 "行く、行かない"が、少しの間、続いた。
 
 でも、何となく、変なのである。
 病院に行きたくないから、
「痛くない」
と言っているのでも、ないようだ。
「じゃ、何で、這ってるの?」
「這って歩けって、いったじゃない」

 確かに、数日前に言った心当たりがある。
 骨にヒビでも入ったのではないかと思い、痛かったら這って歩くように、間違いなく言った。
「歩くと痛いといっていたけど、治ったの」
「いまは、痛くない」
「歩いたみたら」
「痛くない」
「歩き方は変だよ、痛くないの」
「痛くないけど、しばらく歩いてないから、歩きづらい」
 何のことはない。
「這って歩けば」
と言われたことを、忠実に守っていただけなのだ。
 脚を、見てみる。
 色の変化はなさそうである。
 ただ、左脚に比べると、少し固くなっている様な気はする。

 ころんだ日は、痛くて歩けないため、大好きな"老人会"に行かないと、自らの判断で行かなかった。
 その時は、間違いなく、痛かったのである。
 テストをすることにした。
「今日は、日曜日だよ」
「天気が、いいねー」
「本当に、いい天気だ」
「外は、気持ちいいだろうねー」
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
「ドライブに、行きたいの」
「行きたい」
「本当に、歩けるの」
「歩ける」
 うれしそうな顔に、かわっている。

 駐車場まで、歩いている。
 歩き方は、少しぎこちないが、痛そうな素振りは、微塵もない。
 問題は、"ドライブの日"の、いつもの出発時間が、ずいぶん前に過ぎていることだ。
「どこに行く?」
「どこでも、いい」
「海?、山?」
「海」
 決まった。
 手短な、いつもの九十九里浜に、草花が咲き乱れる"太平洋"を求めることにした。
 
 

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睡眠は、充分

 
 昨日も、帰宅は遅かった
 ショートステイの宿泊している予定だったので、"若い友"との飲み会を入れていた。
 他県から、わさわざ会いにやって来てくれる。
 ありがたいものである。

 数日前の転倒で足を痛めたため、"老人会のお泊まり"も中止になってしまい、母は家にいる。
 玄関のドアを開けると、居間の電灯が点いている。
 そーっと覗いてみると、居間にはいない。
 心地よい酔いが回っているので、そのままにして、自室に入った。

 まどろむ頃、音がする。
 "トイレ・ハイキング"ではない。
 何やら寝室内で、ガタガタゴトゴト、音がしている。
 しばらくすると、恐れたことが始まった。
 こちらの部屋の前にやってきて、名前を呼んでいる。
 2~3分おきに、津波のように繰り返し、続いている。
 最近は、しなくなっていた行動が、復活した。
 部屋の内から、カギをかけてある。
 引き戸にはガムテープを貼って、凹凸を無くしてあるので、開けるための"引っかかり"もなく、備えは充分だ。
 しかし、相手は、睡眠充分である。
 約4日、時間にして約100時間もの間に、食事などで目覚めていたのは、10時間にも満たないだろう。
 肉体が睡眠を要求しているはずもないだろうから、勝ち目はない。
 返事をせずに、黙ったまま、"災難"が過ぎ去るのを待った。
 同じ来訪でも、こちらは歓迎しない。

 30分もすると、
「まだ。帰っていないんだ」
と、独り言が聞こえるようになった。
 5回ほど、同じ行動を繰り返えした後、"攻撃"はやんだ。
 冬であるし、入口の戸を閉めたままで、寝れる。
 いつしか、眠りに入った。
 時おり、音で目覚める。
 一晩中、部屋の中の物を、"整理"していたようだ。
 足が痛くて歩けないから、デイサービスすら中止して家にいるのに、家の中での活動は、復活した。
 ケガは、痛くないのか。

 朝が、やってきた。
 居間は、想定内ギリギリの散乱である。
 時計は、電池を外され、長針と短針が肩を寄せ合うように、眠りについている。
 書籍は、最近見てくれていない不満を晴らすように、あちこちに散乱しながら、ページを開いている。
 必要最小限なもの以外は、ダンボールにしまってあるので、そうひどくはない。
 筆記用具は元に戻れるが、綿棒は、みじめである。
 ごみ箱行の判決を、受ける。

 台風一過、当の本人は、高いびきである。

 朝食の準備中に、四つん這いになって出てくる。
「足は治ったの」
「治った」
「痛くないの」
「痛くない」
「本当に、痛くないの」
「痛くない」
「今日、医者に行こう」
「行かない」
 痛そうな素振りは見えないが、四つん這いになって移動している。
 昨夜の訪問は、なんだったんだろうか。
 疑問の中、昼食を終えると、素早く寝室に入ってしまう。

 足が痛いと言うので、唯一やっていた、
  ・食後に食器を流しに持っていく
  ・食事の台を拭く
  ・お茶をいれる
の仕事は、ここ4日、免除されている。
 起こすこともないだろうと思い、そのままにした。

 明日も、同じだったら、病院へ連れていくつもりだ。
 骨に異常があれば、しばらくは入院することなろう。
 病院での"お泊まり"も、初めてのことと思う。
 楽園である寝室との、しばしの別れをするためにも、じっくり休んでもらおう。
 
 

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老人会が、ちょっと遠くなった

 
 朝の、声をかける。
 いつものように、1度目は返事がなく、2度目に返事が返ってくる。
 そして、もぞもぞ起きてくる。

 昨夜は、帰りが遅かった。
 準備しておいた食事は、きれいに平らげてあったし、お菓子もなくなっていた。
 足がどうなったのか、聞きたかったが、ぐっすり"お休み"である。
 痛かったら寝ていられないだろうと判断し、起こさなかった。
 
「足は、どうした?」
「痛くない」
 昨日、足に引っ掛けて転んだ原因である前掛けをつけて、朝食を待っている。
 食事の支度の最中に、トイレに立つ。
 ゆっくり歩いていて、右足をかばっている。
「痛いの?」
「歩くと痛い」
「病院に行ったら?」
「行かない」

 トイレから、戻ってくる。
「どうなの?」
「痛くない」
「さっき、痛いといったヨ」
「歩くと痛いけれど、座っていると、ぜんぜん痛くない」
「骨にひびが入っているかも」
「大丈夫、痛くない」
 よほど病院には、行きたくないようだ。

 朝食を終え、食器を洗っていると、自室に入って着替えをしている。
「今日は、老人会はないよ」
「なんで?」
「昨日、断ったから。その後も、申し込んでいない」
「なんで?」
 不満げである。
「足も痛いし、駐車場まで歩けないじゃない?」
「痛いけれど、歩ける」
「それなら、病院に行こう」
「絶対に、行かない」

 今日から、ショートステイが始まる予定だった。
 足を痛めたため、昨日のデイサービスもやめた。
 ショートステイも、何かがあれば、前日の5時までに連絡するようにと言われている。
 単に、1日延期してもらおうと、昨日の午後に電話をした。
 三泊四日の予定であったので、1日延期し、2泊でお願いしようと思っていた。
 話しをすると、セットになっているので、1日だけの短縮は出来ないという。
 1日行けなければ、全部が取り消しになるそうだ。
 歩かなければ痛くないといっていたので、それでは予定通り連れて行くと告げた。
 今度は、ケガをしている人は、預かれないという。
 もっともである。
 結論は、中止となった。

 日曜日までショートステイに行く予定だったから、デイサービスには申し込んでいない。
 よって、来週の月曜日まで、どこにも予約はしていないのである。
 1日たっても、痛いといっている。
 昨日よりも、痛くはないようだが、立って歩くと痛いという。
 幸いなことに、腫れてはいない。
 熱も、ない。
 病院には、絶対行かないと言い張ってもいる。
 もう一日、様子を見ることにした。

 大好きな"老人会"に行けないと悟ったのか、寝室に入って寝ようとする。
 そのままにした。
 明日には、治っていることを祈って。
 
 

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雪は、気持ちまで変える

 
 早朝から、粉雪が舞っている。
「明日は、雪になるでしょう」
の天気予報が、見事に外れたのは、つい先日であった。
 昨夜は、控えめに、
「明日は、雪になるかも知れません」
と予報していたが、今度は当たった。
「雪が降っているよ」
と声をかけた。
「そう」
というだけで、外を見ようとはしない。
 雪国育ちだから、雪が嫌いになったのか、予想外の反応である。
 テレビをつけた。
 雪が降っていることを、流し続けている。
「雪が降っているんだって」
と、驚いた声をあげる。
 最近は、テレビをつけていても、見ている様子はないのだが、雪には反応した。
 それも、ベランダに舞っている雪よりも、画面に映っている雪のほうに、反応したのだ。
 田舎は、遠い。
 ここで田舎を感じるのは、たまに、テレビに映る時だけである。
 だから、テレビの画面だけが、田舎とをつなぐ空間になったのか。

 いよいよ、明日、初めてのショートステイが始まる。
 この冬初めての積雪が、前夜祭を祝うかのように、絶え間なく、降り続いている。
 外泊は初めてであるし、一人で見知らぬ場所での宿泊は、人生でも始めてであろう。
 朝食を準備しながら、それとなく聞いてみた。
「明日から3日間、老人会で、お泊まりだよ」
「そうだった?....」
「この間、係りの人が、誘いに来たじゃない」
「そうだった?....」
「何を食べたいかも、話していたじゃない」
「そうだった?....」
 何のことはない、すっかり忘れている。
 今でも、心配なことは覚えている方なのだが、ショートステイの件は覚えてもいないし、不安がってもいない。
 こちらの取り越し苦労のようである。

 突然、ドスンという音がする。
 振り向くと、転んでいる。
 いつものことであるが、今日のは、"立派"に転んでいる。
 周りを見渡しても、つまづくような物はない。
 食事の際に付けている前掛けが、足に絡みついている。
 原因は、わかった。
 食事が待ちきれず、前掛けをしたが、ひもを結ばなかったのだ。
 立ち上がり、そのまま歩こうとして引っかけた。
 その時は、いつもの事と気にもならず、問題ないと思っていた。

 食事が終わる。
 食器を片づけようとしたら、
「足が、痛い」
という。
「どこが?」
「足の裏」
「ふくらはぎ?」
「そう」
「どう痛いの?」
「立ち上がると、痛い
「じっとしていると、どうなの?」
「痛くない」
「押さえたら、どう?」
「痛い」
「何もしなかったら、痛くないの?」
「痛くない」
「医者に、行こう?」
「行かない」
「見てもらったら?」
「行かない」
 医者嫌いは、まだまだ、しっかりしている。

 デイサービスに行く時刻が、やって来た。
 準備をしていると、
「歩くと、痛い」
という。
「痛くて、歩けない」
「老人会は、どうする?」
 何気なく聞いたこの問いに、思いがけない返事が返ってきた。

「痛くて歩けないから、今日は家にいる」
 絶句である。
 何があっても、今や、"老人会"一筋の人生である。
 "雨が降ろうが槍が降ろうが"であったはずだ。
 "よっぽど"のことである。

 寝たきりは、転んで骨折することから始まると聞いている。
 触って見ても、異常はなさそうだ。
 動かなければ痛くないというし、非常に痛がっている様子もないので、骨は大丈夫だろう。
 顔も、そんなに痛がっているようには見えない。
 動かないと痛くないのは、本当のようだ。
 少しは、安心である。
 でも、医者には、行かないという。
 今日は休んで、おとなしくさせておくことにした。

 みずから
「行かない」
と判断した、初めての、中止である。
 キャンセルの電話をするために、とても不思議な気持ちで、受話器を取った。
 明日からのショートステイは、黄色の信号にかわったようだ。

 静かに降り続いている雪も、牡丹雪に変わっていた。
 
 

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新たな友を求めて

 
 1か月ほど前に、ケアマネージャーから、ショートステイの抽選が当たったとの連絡があった。
 いよいよ来週であり、今日は説明などのため、やってくる日である。

 昨日まで、どのように話したらよいか、考えていた。
 見知らぬところに、ひとりで泊まるのは、初めてである。
 田舎にいたときでも、姉妹や親しい友達と日帰り温泉には、けっこう行っていたが、1泊した記憶は、あまりない。
 病気で入院したことなども、今まで聞いたこともない。

 お気に入りの"老人会のお泊まり"ということで、話すことにした。
「来週、3日ほどいなくなるけれど、どうする?」
「        」
「食事は、自分で作れる?」
「作れない」
「じゃ、老人会に泊まれるように、話してみようか?」
「        」
 当然、行くという答えは返ってこない。
 予想通りであり、想定内である。

 "行かない"との頑強な抵抗は、示さなかった。
 選択の余地がないから、黙っていただけと思う。
 昨夜は、それで終わった。
 もっと心配するのではないかと思っていたが、落ち込む様子はなく、いつもと同じに戻っていた。
 ここは、少し想定外であった。

 ディサービスから帰って間もなく、ケアマネージャーと一緒に、ショートステイの担当者が来宅した。
 初めてのお泊まりは、3泊4日である。
 まず、母への質問である。
 健康状態も、確認しているようである。
 あらかたは、ケアマネージャーに事前に聞いていたらしく、簡単なものだった。
 最後に、なぜか、体温と血圧を測った。
 次いで、施設の説明が始まった。
 場所は、近くである。
 ほとんどが、個室とのこと。
 話しを聞く限りでは、なかなか良い所のようである。
 持っていくものも、歯ブラシとコップだけで良いとのこと。
 パジャマから、すべての物は、用意してあるそうだ。
 至れり尽くせりである。

 母は、その間、緊張した趣きで、対応している。
 未知なる場所に、連れて行かれる。
 行きたくはないが、"食事のため"には止むを得ない。
 でも、行きたくない。
 降ってわいたような非運が、身を包む。

 俎上の魚だ。
 3人が、なにやら、姥捨て山に行かそうと、いろいろ相談しているように映っているのではなかろうか。
 何のことはない。
 こちらは楽をしたい、向こうはビジネスにしたい、だけなのだ。
 何とはなしに、なぜか可哀そうな気持ちが、湧いてくる。

 最後に、契約書の説明に入った。
 法律で決まっているのか、くわしく順序立てて、説明している。
 30分ほどが経過したところで、すべてが終わった。
 最後に、ショートステイの方が、
「老人会に来ている人も、2、3人一緒ですよ」
と、ひとこと付け加えた。
 さすが、数多くのお年寄りを扱っているプロである。
 気のせいかも知れないが、やっと、一筋の赤みが戻ったように、見えた。

 来週、新天地に向かって、84歳を過ぎてからの探検が始まる。
 不安でいっぱいなのは、当然だろう。
 そして、嫌な気持ちを抑えて、行く。
 帰ってきて、もう二度と行かないと、拒否する。
 "行く、行かない"が、しばらく続く。
 そして、いつしか、大好きになる。
 ひとりで家にいるより、話しになってくれる相手がいるのである。
 それも、親切な職員の"若い友だち"なのだ。
 やがて、ディサービスの時と同じように、"老人会のお泊まり"に向かって、夜のハイキングが始まる。
 困るが、そうなって欲しい気持ちも、半々ある。

 新たな友だちが見つかることを祈って、夕食の準備に移った。
 
 

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雪が降っても、思い出は暖かい

 
 早いもので、正月も半月が過ぎた。
 年末から雪のため、毎月の帰省は中止している。

 医師との問診の際、やりとりの会話の中に、
「積雪の時のドライブに、不安がある」
との言葉が、つい口に出た。
 すぐさま、
「急変する症状じゃありませんので、無理して来院していただく必要はありません」
「問診だけはしたいので、電話でしましょう」
「いつもの診察の日の都合の良い時間に、電話をください」
となった。

 それじゃ、今までの来院は何だったのだろう、との疑問が起きた。
 医師は背を向け、机の上で何やら書き出した。
「症状が変化したら、いつでも電話ください」
と、1枚の紙をくれた。
 1か月分の勤務の予定表である。
 ダメな日と思われるところに、×印が付けられている。
 見ると、セミナーなどの日や、週に3日ほどで半日ずつの外来の診察の日を除いて、いつでも良いようになっている。
 口にこそ出さなかったが、疑問をいだき、疑った自分が、少し恥ずかしかった。

 田舎は、盆地である。
 どのルートを通っても、峠を越えなければならない。
 前回の帰省でも、途中の峠は、すでに真っ白になっていた。
 田舎に着くと、まったく雪が無かったのに、である。
 最近は暖かくなったといっても、今回の季節の雪は早かった。
 正月の三が日のニュースでは、"今日も雪"と、毎日のように報じられていた。
 田舎から来た年賀状にも、"雪、雪、雪"の文字が踊っていた。

 雪は、いやだった。
 子どもの頃は、今より、ずいぶん多く積もった。
 クリスマス・イブの日までには、春まで融けない"根雪"が始まる。
 この時期から、早朝の仕事が、新たに課せられる。
 人が通れるように、家の周りの道路と、玄関までの雪を片づける任務である。
 雪は、風流なものではなく、闘いであった。
 その闘いが終わると、若かった時の母が待っていた。
 温かい食べ物以上に、あたたかい雰囲気の中で、朝食が始まる。
 小さいけれど、粗末な食事でもあったけれど、"幸せなヒトトキ"であった。

 田舎は、首都圏ではないが、比較的近い方である。
 時々、天気予報の時には、ニュースに出てくる。
 前には、
「あら、大雪だわ」
といって、妹たちや親しい親戚に、電話をかける。
 お互いヒマを持て余しているのか、話題の"雪"は、どこかに消え去り、楽しそうな電話での"井戸端会議"が始まる。
 いく度となく聞いた話が、聞くとは無しに、耳に入ってくる。
 さらに、噂話に変わる。
 しばらく、長くて長い、長話が続く。

 今でも、田舎という認識は、だいたい残っている。
「あら、大雪だって」
「暖かいと言っていたが、やはり、雪は積もるもんだね」
「みんな、雪かきで、大変だろうね」
と、正常な反応はしている。

 それが、時々ではあるが、変なことを口走るようになった。
「テレビで雪だって言っているけど、雪は降ってないよ」
と、外を眺める。
「去年のことを、今ごろ映しているなんて、変だね」
となる。
 昨日も、いつも通る峠にあるスキー場が、テレビに映っていた。
 画面をじっくりとは、見ていなかったようだ。
 別の世界でも映していると、思っているような目である。
 妹たちに、電話をしようともしなかった。

 きっと、今までの長い人生の思い出で満足し、楽しいことだけを選んで、整理しているように感じる。
 何度も何度も、同じような昔話をするが、楽しかった話しの方が多いような気がするからだ。
 充分過ぎるほど、楽しい思い出を手に入れてしまったから、新しく記憶するのも、おっくうになったのだ。

 最近は、インターネットなるものの普及で、便利になった。
 ライブカメラも、あちこちに設置され、いつでも見れる。
 久しぶりに市内を見てみると、積雪はない。
 屋根の上に、かろうじて残雪とおぼしき"白い塊"が見える程度で、道路上には一切見られない。
 ここ数日、田舎から電話が無いわけである。

 峠の道路を映しているライブカメラを、クリックする。
 こちらは、どこが道路だか分らないほど、一面真白である。
 やはり、田舎は"冬"であった。
 
 

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ドライブよりも、眠りたい

 
 正月休みに引き続き、再び連休に入る。
 祭日は介護センターも休み、デイサービスもやっていない。
 
 不思議なことに、
「今日は、ドライブの日だよ」
と言わないし、出かけようとする仕草も見られない。
 朝食を終え、お茶を飲む。
 その間にも、行こうと催促する様子は、いっさい見せない。
 食器洗いのため流しに立つと、ゴソゴソ動き出す音がする。
 振り向くと、テレビとコタツのコンセントを抜いている。
 そして、寝室に入って、布団に入る。

 正月休みの時は、数日続いてデイサービスに行かなかった。
 その記憶が残っているのか、"老人会"にも行こうともしない。
 今日の"ドライブの日"は休みにして、そのままにしておくことにした。
 10時の"おやつ"の時間に、様子を見に居間にいったが、やはり寝ている。

 お昼を過ぎると、"トイレ・ハイキング"が始まった。
 しばらく、そのままにした。
 20分過ぎても、続いている。
 1分ごとに行ったり来たりしているから、すでに20回は往復していることになる。
 真夜中の"行動"の様子とは、ちょっと違う。
 何かが違うのだが、何が違うのか、はっきりとは分からない。
 強いて言えば、ドアの開け閉めは、乱暴である。

 昼食を準備するために、部屋から出る。
 準備ができて、食事をしている最中にも、ドライブの話しや"老人会"のことは、話しに出ない。
 不思議な気持ちが、何となく湧いてくる。
 食事を終え、食器洗いのため流しに立つと、同じように動き出す。
 テレビとコタツのコンセントを抜き、寝室に入る。
 今日は、成り行きに任せることにした。

 17時半を過ぎたころ、昼間の"新型トイレ・ハイキング"が、再び始まった。
 今度は、トイレと寝室の間の徘徊ではなく、トイレと居間との行き来を、繰り返している。
 そこは、食事をするために座る場所だ。
 お腹がすいていて、食事の催促をしていたのだ。
 今日の分のお菓子を出しておいたのだが、いつ起き出して食べたのか、すべて無くなっている。
 昼も同じように、お腹がすいたからだったのかも知れない。
 夕食後も、朝と昼と行動は、まったく同じであった。
 お腹が脹れたのか、寝室に入って寝てしまった。

 直に要求するのを遠慮して、お腹がへっていると、間接的に知らせようとしたのだろう。
 きっと、思いやりが、まだ残っているのだ。
 大好きなドライブが、記憶の世界から消え去っても、体内時計は、食事の時間になると、正常に機能しているようだ。
 
 今日は、違う意味で、穏やかな日であった。
 とても、とても、不思議な日でもあった。
 
 

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真夏の夜の夢の中に

 
 年を開けてから、新年会が続いている。
 声をかけられるうちが、"花"であろう。
 こちらの境遇を配慮してくれているのか、2次会、3次会には、無理強いされない。
 暖かい心配りも受けて、今日も、ご機嫌での帰り道である。
 例年より暖かいようで、夜風が酩酊している頬をすり抜け、まことに心地よい。

 帰宅すると、当然、寝ている。
 夕食は準備しておいたし、デイサービスで入浴のあった日でもあるので、起こすこともあるまい。
 シャワーを浴び、自室に入る。
 いつともなく、眠りについた。
 約束通り、物音が、し始めた。
 いつもより、静かに感じるのは、こちらが酩酊しているからか。
 再度、眠りに引き込まれる。

 何やら、いつもと違う音が聞こえて、目が覚める。
 地響きのように、重い音だ。
 時計を見ると、4時ちょっと前で、まだ暗い。
 飛び起き、震源地に向かう。

 常夜灯の薄暗い中、ふとんを半分はだけ、両足をお互い上下に動かし、床を叩いている。
 身体全体が、何となく、異常に大きく見える。
 いや、丸くて太い
 電灯を、点ける。
 気にもせず、運動を続けている。
 顔には、汗が光っていた。
 風邪でもひいて、熱があるのかと一瞬、思ったが、笑いが先に込み上げる。
 ダルマのように、服を重ね着していた。
 起こす。

 まず、汗で濡れているだろう下着を交換させた。
 シャツとセーターなど、6枚を重ね着していた。
 下は、股引きの上に、3本のズボンをはいている。

「何で、そんなに、着たの」
「     」
「寒かったの」
「     」
 返事がない。
 最近、返事をしない時が、多くなった。

「暑くないの」
「暑い」
 やっと、一言が出た。
 理由を聞いても、どうせ、答えは返ってこないだろう。

 ふと、電気毛布のスイッチを見た。
 通常、暖かさを設定するスイッチを"2"から"3"で使っているのだが、"9"を越え、一番強い「強」になっている。
 暑いはずである。

 猛暑の中、どのような夢を見ていたのだろうか。
 汗をかくほど暑くても、起きなかった。
 きっと、楽しい夢だったに違いない。
 真夏の太陽がサンサンと照りつける中、楽しい場所で、楽しい仲間と、楽しい会話でも楽しんでいたのか。
 知りたいけれど、知る手段はない。

 着替えが終わると居間に移り、食事を待つ格好をして座っている。
 ごみ箱の中に、準備しておいた昨夜の夕食のほとんどが、捨ててあった。
 加えて、真夏の中で、大量の汗をかきかき、運動をしていた。
 お腹が、すいているのだ。

 時計の針は、午前5時を示そうとしている。
 今日の我が家は、いつもより早く、朝がやってきた。
 
 

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教え子は、どこにもいる

 
 まぶしいほどの快晴の中、春を訪ねて、南房総に向かっている。
 普段より、車の行き来が少なく、すいている。 
 最後のサービス・エリアで、休憩をとる。
 少し離れた所に、地元の野菜を売っている建物が見えた。
 離れているので、ひとりで出かけることにした。
 車中は、ずいぶん暖まっているから、エンジンを止めた。
 そして、施錠する。
 今の車は、触れるだけで施錠される。
 便利で、ありがたい。
 今や、ドアの鍵の解除も、"忘却のかなた"となってしまっている。
 これで、失踪する心配はない。

 買い物から帰ってくると、奇妙なことを言い出す。
「いま、教え子がやってきて、話していた」
「息子さんが買物に行っている、と言っていた」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「カギがかかっていて、だれも入れないけど」
「いや、教え子が、いたよ」
「どんな人?」
「うしろの席いたから、顔は覚えていない」
「男の人、女の人?」
「女の教え子」
・・・・・・・・・・・。

 これは、推測できる。
 買い物に出かける際、後ろの座席から上着を取りながら、
「買い物に、行ってくるから」
と、声をかけた。
 その言葉と、カーナビの音声とが、夢の世界で合体したのだ。

 白浜に着いた。
 ここの海岸の砂は、もう手に入れている。
 記念の写真を撮るために、車を降りた。
 記念と言っても、本人は、どこに行ったか分からないし、プリントしても見ようとはしなくなっている。
 そうなのだが、いつか旅立つ時に持たせようと思っているので、出かけた時には、2枚だけ撮るようにしている
 背景を大きく入れたいと思ったので、距離をあけた。
 その間を、観光客とおぼしきオバチャンのグループが、のんびりと横切る。
 そのグループ以外には、だれもいないのに、しばらく被写体から、人影が消えない。
 カメラを持ったまま、待っていると、さすがに気づいたらしく、
「あら、写真を撮っているらしいよ」
との言葉が、風のまにまに聞こえてくる。
 周りにいる唯一のグループは、急ぐようでもなく、ゆっくりと母の前を、通り過ぎて行く。
 そのグループの一人が、
「あら、ごめんなさいね」
と、一言、母に声をかけた。
 撮影が、終わった。
 紅潮した顔で、戻ってくる。
「教え子が、先生、先生と言って、寄って来た」
「お世話になっていますと、言っていた」
「教え子だった」
「久しぶりとも、言っていた」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 次々と、"教え子"の言葉が、会話の中に入ってくる。
 ドライブの最中に、幻覚が、こんなに続いたことは、初めてである。
 
 遠因は、想像できる。
 介護センターへ迎えに行くと、最近、職員が、
「先生、お疲れさま」
「先生、ゆっくり休んでねー」
と言って、送り出してくれる。
 四六時中、介護センターに行きたがるほど、人の扱い方がうまい職員の方たちである。
 "先生、先生"といえば、有頂天になることなど、雑作もなく把握できたのだろう。
 数週間前から、
「"老人会"に、教え子がいる」
と、ありもしないことを、言うようになっていた。
 
 突然、友人から、携帯に電話がはいる。
「別荘に来ているから、魚を買っていこうと思って、電話した」
「正月なので、ひょっとして、田舎にいたら困るから」
 その友人は、勝浦の近くに別荘を持っている。
 同じ房総といっても、母と一緒では迷惑がかかり、向かえない。

 無償の"思いやりの心"は、実にありがたい。
 お金では、手にすることの出来ないである。
 母の症状の進行で、落ち込んでいた気持ちが、吹き飛んだ。

 フラワーラインと呼ばれている道路の両側には、"菜の花"が咲き誇っている。
 下の葉が黄色付いていて、すでに盛りが過ぎたようだが、ポピーをはじめ、さまざまな花も咲き乱れている。
 勇気が、湧いてくる。
 今年も、"運"だけは良さそうだ。
 穏やかに光り輝く海原に向って、"友人も良い年でありますように"と祈り、帰路についた。
 
 

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感謝を込めて、春を訪ねる

 
 母の妹たちの家を尋ねると、うれしくも、困ることがある。
 多くの妹がいて、実家が農家であるからか、嫁ぎ先も、実家近くの農家が多い。
 みやげとして、帰り間際に持たされるのが、農作物である。
 当然、その年に豊作である物は同じだろうから、まわるたびに、同じ野菜類が集まることになる。
「もう、もらったから」
「食べきれないから」

と断っても、取り合わない。
「捨ててもいいから、持って行きなさい」
 車のトランクは、その時々の野菜でいっぱいになる。
 ありがたいことは、ありがたいのだが、いつも食べきれない。
 ただ、何が豊作なのかは、いつも、実感できる。
 加えて、感謝の気持ちも、持って帰れる。

 昨年のお歳暮は、いつもの年より、ミカンが多かった。
 豊作だったのかどうかは分からないが、いつにない甘さがあり、美味しかったので、きっと、豊作だったのだろう。
 ミカンは、"1箱をたいらげる事件"が起きたほど、大好物である。
 田舎の北国では、採れない。
 このような贈り物は、大変ありがたい。

 例年なら、今頃のドライブの日は、ミカンを求めて、伊豆方面に向かうのが常である。
 お正月で、食べ尽くすからだ。
 今年は、違う。
 まだ、在庫が十分にある。
 気温の低い場所に置いてあるから、結構な日にちは、持ちそうだ。
 さらに、"1箱をたいらげる事件"を避けるため、隠してあるから、消耗も少ない。
 伊豆に、向かう必要がなくなった。

 田舎で正月を迎えなくなって、数年たつ。
 今の時期の田舎は、雪の真っただ中である。
 早めの春を探しに、南房総に行くのも、恒例になった。
 今の季節は、夏の喧騒が嘘のように、人は少ない。
 どこの駐車場も、無料になるほど少ないのだ。
 もの静かな空間に、花々が咲き乱れ、のどかな春と、一足先に出会える。

 出発の前に、一応、いつもの儀式を執り行う。
「ドライブに、行く?」
「行く」
「どこへ、行く?」
「どこでも、いい」
「山、海?」
「海」
「どこの海?」
「太平洋」

 "初ドライブの日"の、訪問先の目標が決まった。

 咲き乱れる"菜の花"を、求めて。
 
 

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続・田舎の正月は長く楽しい

 
 子どもの頃の田舎では、各家毎に、少しずつ異なった"しきたり"があった。
 その"しきたり"を、親から子へ、延々と続けていた時代でもあった。

 我が家では、家族が全員そろって、NHKの紅白歌合戦を見ながら、新年を迎える。
 21時頃、油揚げと大根の千切りが入り、醤油で味付けされた出し汁に、餅を入れた"汁餅"を食べる。
 次いで、紅白歌合戦が終わるころ、
「今年は、白が勝ったの、赤が勝ったの」
と言いながら、母が年越しソバを持ってくる。
 元気な頃の母は、働きづめで、座布団を温めることはなかった。

 まもなく、近くの神社から、新年を告げる太鼓の音が鳴り出す。
 その音を聞くと、家族全員が、
「明けまして おめでとうございます」
と挨拶をする。
 家を代表した者が、100メートルにも満たない距離にある住吉神社に、初詣に行く。
 何かを買ってくるわけではない。
 ただ単に、雪の中、お詣りに行くだけである。
 田舎では、結構、大きな神社であるが、おみくじが売られるようになったのは、ずいぶん後になってからだ。
 その日は、それで就寝。

 翌日、起きると、梅干しとシソの葉を茶碗に入れ、砂糖で甘くした白湯を飲む。
 理由は分からないが、家に伝わる"しきたり"で、今も続けている。
 これを飲むと、朝食に入る。
 塩鮭が、必ず食卓に並ぶ。
 それも、ものすごく塩辛い新巻き鮭であった。

 朝食が終われば、甘酒をせがむ。
 来客のためにセットしてあるだけのコタツの熱で、酒屋から買ってきた糀と蒸した米を混ぜ、数日前から発酵させていた。
 実に、うまかった。
 
 それからは、トランプの七並べ、ババ抜き、双六などで遊ぶが、いつも母は入っていなかった。
 子どもの頃は、料理の下ごしらえなど、いつも働いていて、一緒にゲームをすることはなかった。
 職を得て帰省する際に、一緒にトランプをしたことがあったが、ルールも危なく、楽しんでいるようではなかった。

 元旦は、家族だけで過ごすが、翌日から長い長い正月が始まる。
 まず、翌日には、親戚たちがやってくる。
 酒宴も佳境になり、大人同士の会話が尽きると、"教え"を受ける時がやってくる。
 酩酊した年寄りたちからの"教え"は、途絶えることのない昔話が、延々と続く。
 それがいやで、頃会いをねらって、外に遊びに出てしまう。
 いま思うと、聞いておれば良かったと思うが、後の祭りである。
 もの心つく頃までは、縁起の"獅子舞"や"漫才師"が、各家を回っていたように記憶している。

「なぜ、1か月半も続くのか」
と、聞いたことがある。
「他に、やることがないから」
「楽しいことは、長くても良いんじゃない」

と、答えてくれた母の笑い顔を、今でも覚えている。
 当然、あの当時は、若くて元気だった。

 当時は、今より多くの雪が積もった。
 一面、雪だから、農業や林業の人は、やることがない。
 それらを相手に商売している人も、やることがない。
 雪国であったが、なぜか、"出稼ぎ"という言葉は、聞いたことがなかった。
 貧しいながらも、食べることだけは出来る豊かな土地のおかげか。

 なるほど、
「他に、やることがないから」
は、納得である。

 現在の母は、起きると、食事する姿勢で、待つだけになった。
 すべての人の一生は、平等だと語っていた。
 程度の差こそあれ、悪いことがあっても、必ず良いことがやって来て、穴埋めされる。
 苦しい時があつて始めて、楽しい時が得られる、と。

 天から与えられた"一生に働かなければならない分"は、十分に働いたのだ。
 
 

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田舎の正月は、長くて楽しい

 
 あっという間に、正月は終わった。
 つかぬ間の、楽しいヒトトキであった。

 田舎では、三が日が過ぎても、正月は明けない。
 三が日は、身内での正月であって、親戚や知人の正月は、これから始まるのである。

 田舎から出て、40余年が過ぎた。
 父が亡くなるまでは、正月を田舎で過ごした、と言っても、三が日までである。
 休みが運よく続いても、最長6日まであった。
 昔のような風習が、今でもあるのかどうかは分からないが、子どもの頃は、いろいろな行事が続く。。
 
 七種粥は、なぜか、楽しみの一つであった。
 今のように、"せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ"と、粥に入れる野菜が決まっていたようには、記憶していない。
 その時々に、残っていたものが、入っていたと思う。
 単に、貧乏だったから、なのかも知れないが。
 
 10日になると、名の通りの『十日市』が開かれる。
 メイン通りの両側には、いろいろな出店が並ぶ。
 近在からも大勢の人が集まってくるので、市民の数に匹敵するくらいの人出で、にぎわう。
 一家の繁栄を祈る田舎独特の縁起物を売っており、毎年この市で、家族の人数に一人足す数を買ってくる。
 別に、おもちゃなど買ってもらえる訳ではない。
 買い食いするのでもない。
 天気が悪く、吹雪いている年もある。
 出店に並ぶ品物を見たり、人混みにいるだけなのだが、何となく心が、ウキウキしていた。

 数日後には、 『歳の神』という"どんど焼き"がある。
 神棚に飾っていた物を下げて、新しいお飾りと交換する。
 その去年の飾り物を、近くの田んぼに設けられた場所に持って行き、燃やすのである。
 太い青竹が中心に立てられ、ワラなどで周りを取り囲んであった。
 その上に、役割をおえた飾り物を、感謝の気持ちを込めて、置く。
 陽が落ちると、火がつけられる。
 あっという間に、炎が立ち上がる。
 たちまち身体が暖まり、冬の寒さなどは、消し飛ぶ。
 大人たちは、酒盛りで盛り上がる。
 その炎にあたると、今年一年、無病息災とのことだった。
 来れなかった家族のために、燃えさかる炎に近づき、枝の先に刺しておいた餅を焼く。
 この焼いた餅を食べるだけでも、無病息災が約束されるそうだ。

 農家である母の実家では、『ダンゴさし』をする。
 "団子の木"の小枝を切り取ってきて、紅白の小さなダンゴを、花が咲いたように数多く刺す。
 雪一色の時期である。
 部屋いっぱいに、満開の花が咲いたようになる。
 制作に参加したことはないが、子ども心にも、きれいだった。
 豊作や、一家繁栄を祈る行事だそうだ。
 後日、そのダンゴは、油であげて砂糖でまぶされる。
 食べ物が貧しかった時代のためか、おいしかった。

 20日になると、一旦、正月が明ける。
 一旦とは、まもなく、旧正月が始まるからである。
 祖父は、旧正月の方を大事にしていた。
 祖父の兄弟、それらの親戚、知人、みな年寄りである。
 昔の年寄りは、立派な年寄りたちであった。
 一目でわかる年寄りであり、威厳があった。
 そして、頑固なまでに、厳格に正月を迎えていた。

 やがて、"小正月"がやってくる。
 "女正月"とも、呼ばれていた。
 長い長い正月で、忙しかった女性陣を、ねぎらう日である。
 この日の朝にでる小豆の粥は、うまくはなかった。
 甘くない小豆は、やっぱり、小豆として似合わなかった。
 "立派な年寄りたち"は、正月の間に決して"赤い物"を口にしないのだが、この小豆が、口にする"初の赤い物"であった。
 旧暦での1月15日は、初めての満月の日でもある。
 よって、当該の男子のいる家にとっては、大事な"元服の儀式"をする日である。
 祝日である"成人の日"が、15日から不定の月曜日に変更されたが、このことは、今でも違和感をぬぐえない。
 このように感じる"こちら"も、年寄りの仲間に入ったようだ。

 これで、やっと正月が明ける。
 春の訪れは、間近い。

 このような、人と交わる生活しか経験したことのない母にとって、
「都会の正月は、つまらない」
そう語っているような目は、納得できる。
 欠かすことがなかった初詣にも、昨年から行こうとしない。
 行っても、知り合いには、出会えないからか。

 また、二人だけの、いつもの"変わらぬ"生活が始まる。
 今では、"変わらぬ"が、一番幸せなことになった。

 明日から始まる"老人会"の準備に、忙しそうである。
 いきいきとした眼をしている。
 唯一の、人との触れあいを求めて。
 
 

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