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2008年3月

いつもの朝が過ぎた

 
 いつもの朝食が終わった。
 日曜日の朝は、行き交う人の喧噪も、まったく聞こえない。
 静かなヒトトキが、ゆっくりと過ぎていく。

 季節は忘れずに訪れており、ちょっと前までの寒さがウソと思えるほど、暖かくなった。
 ベランダから、眼下に見えるサクラの木は、満開を迎えている。
 テレビでは、一昨々日の花見は盛り上がった夕方に雨が降った様子、昨日の花見は数多くの花見客でにぎわったがチョット寒かったことなど、コメントを付け加えて、連日放送している。

 今日のドライブは、用事があるので、遠出はできない。
 近所には多くの河があり、岸辺にサクラの木が植えられている。
 昔からの、サクラの見どころも、結構ある。
 用事がすんだら、のんびりと、近場の"花見のドライブ"に出かけるつもりだ。
 
 寝ないように告げてから、食事の後片付けのため、流しに向う。
 さっそく、声がする。
 テレビを見ている時には、テロップの字を読みあげるようになって久しい。
 人の名前、発言している言葉やその要約、コマーシャル、番組の宣伝、等など、次から次へと出てくる。
 最近はテロップが、とみに多くなったように感じる。

 声は、途切れない。
 そして、ノドが渇くのか、ペットボトルのお茶を飲み始めた。
 異常なほどの飲み方である。
 寝ることを許してしまえば、夜の"活動"が心配である。
 起きていれば、お腹と"トイレ"の方が心配になってくる。
 予定している"花見のドライブ"にも、連れて行けまい。

 そのような考えを巡らしていたら、声が途切れた。
 ふり返って見ると、居間からいなくなっている。
 テレビに飽き、寝室に戻って、"夢テレビ"を見たくなったようだ。
 そのままにした。

 "夢テレビ"は、何チャンネルあるのだろうか。
 どんな番組が見れるのだろうか。
 お気に入りのタレントは・・・・・
 意味の無いことに苦笑して、こちらも自分の部屋に戻った。
 
 
  

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春なのに、まだ寒い?

 
 いつもと変わらない、朝がやってきた。
 声をかけると、起きて寝室から出てくる。
 上のパジャマを着ておらず、長袖の下着のままだ。
 パジャマのズボンは、着用している。
「上を着なきゃ、カゼひくよ」
 気が付いたらしく、無言で寝室に戻る。
 しばらくして出てきたが、そのままの姿である。

「どこかにいってしまって、ない」
「昨日の晩は、着ていたよ」
「どこを探しても、ない」
「無くなるわけ、ないじゃない」
「探したけれど、ない」
 探したのは本当のようだが、狭い家で隠れる場所は、限られているはずである。
 今は、朝食の準備で忙しく、時間の余裕もない。
 セーターを着るようにいって、その場をしのいだ。
 
 食事を済ませ、"老人会"ならぬデイサービス行く着替えに入る。
 出かける用意はできたようだが、何かが""なのだ。
 下半身が、異様に太っている。
 歩く姿も、ぎこちない。
「パジャマは。ちゃんと脱いだの」
「脱いだ」
「ズボンが、はち切れているよ」
「何ともないよ」

 "何ともない"わけがない。
 とりあえず、スラックスを脱がせた。
 やはり、パジャマのズボンをはいていた。
 そのパジャマを脱がすと、もも引きが異様に張っている。
 その下に、探していた"もの"を見つけた。

 パジャマの上着の両そでのところに、両足を器用に入れている。
 紙おむつの上にパジャマの上着、その上にもも引き、パジャマのズボン、そしてスラックスの順で、重ね着をしていたのである。
 その"拘束"されたであろう状態で、転びもせずに、気にもしないで、動いていたのだ。
 たいしたものである。

 ここ数日、気温が上がって、サクラが咲き誇っている。
 寒くて、重ね着したのではないはずだ。
 以前だったら、アハハと大笑いしたであろうが、どちらからも、なぜか笑いは出なかった。
 逆に、さみしかった。

 デイサービスに、毎日、行くようになってから、昼間の"労働"で疲れるのか、夕食後はすぐに寝てしまう。
 起きて待っていることもなくなり、日常会話が減っている。
 最近は、"笑い"もなくなっていることに、ふと気付いた。
 
 
 

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続・自分は、大丈夫?

 
 "若年性痴呆症"の言葉で、急に自分自身の方が心配になった。
 "ピック病"の平均的な発症は、"49歳"といっている。
 とうの昔に過ぎているから、大丈夫だと思うが、ちょっと心配になって調べた。
 初期には、多少の記憶の減退が見られるものの、おおむね記憶や見当識、計算力は、保たれているそうだ。
 しかし、脳萎縮はアルツハイマーと同じだそうであるが、治療法はないそうである。
 自己診断のチェックリストが見つかった。
 さっそく、試す。

(問)周囲の状況に配慮を欠いた悪ふざけや、身勝手な行為をする。
  ○ 当たっているかも知れない。

(問)何もしないなどの意欲の減退が起こる。
  ○ 家にいる時は、その通りである。

(問)身だしなみに無関心になる。
  ○ 男は"ばんから"がモットーであるから、当たっている。

(問)万引きなど違法な行為を繰り返す。
  × これは、まったく大丈夫である。

(問)食事や入等の日常行為が、時刻表のよう決まった時間に行う。
  ○ サラリーマンなら当り前で、出来なければ勤まるまい。

(問)毎日同じものしか食べず、際限なく食べる。
  ○ 日本人であるから、和食がメインである。
     メタボであるから、際限なく食べているのだろう。

(問)同じ言葉を、繰り返えす。
  ○ 酔った時は、そのようだ。

(問)好みの変わったり、アルコールなどを大量に摂取する。
  ○ 大好きなアルコールは、日によって、こよなく愛する。

(問)最近の出来事など、短期の記憶は維持できる。
  × 立ち上がってから、何のためだったのか良く忘れる。

 解答は、40歳以上で3項目以上当てはまると、ピック病の疑いがあるそうだ。
 考えるのは、やめた。

 だれもいない居間に、向かった。
 今は、食事をする時以外は、寝てしまうからである。
 さあ、起こして、夕食の準備をしよう。
 
 

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自分は、大丈夫?

 
 何気なくチャンネルをかえていると、ある番組が目にとまった。
 認知症をテーマにした番組である。
 最近、多くなったような気がする。
 いや、こちらに関心があるから、気付くだけなのかも。
 前々からあったのだろうけれど、係わっていない時期には、興味もなかった。
 認識を始めたばかりの頃には、逆に毛嫌いして、すぐにチャンネルを変え、見ようともしなかった。
 人間、得てして、そんたなものであろう。

 自室であったので、チャンネルをそのままにした。
 実際の事例を出しての、放映が続く。
 患者、介護する人も、モザイクなしで出てくる。
 勇気のある人たちがいるのだ。
 こちらは、まだ、その領域には至っていない。
 一見して、認知症そのものの人もいるが、表面上、どう見ても普通にしか見えない人も出てくる。
 
 聞きなれない病名が出てきた。
 "ピック病"。
 認知症に関連する番組から、無意識のうちに逃げているからなのか、始めて聞く名前である。
 アルツハイマー型でも、脳血管性でもない認知症だそうである。
 "40代の働き盛りを襲うピック病"
 "治療法もない"

 衝撃的なテロップである。
 
 性格の変化や、理解ができない行動を特徴とする病気だそうだ。 
 脳の前頭葉や側頭葉に萎縮が起きるなど説明しているが、アルツハイマーとの違いは良く分からない。
 食事をしたことなど忘れてしまったり、同じことを同じ時間に繰り返すなどあるそうだが、やはり違いは分からない。
 若くて発症するため、老人に比べると力も強く、徘徊などもあるため、受け入れを拒否する施設が多いのが実情だそうだ。
 引き受けても、周りに暴力をふるう可能性があるから、鎮静剤を常時のませるのが入所の条件だともいっている。
 "受け入れ拒否"の言葉は、ショックである。

 "ピック病"でなくても、"受け入れ拒否"があると聞いていたからである。
 今は介護3だから、喜んで受け入れてくれるが、介護4、介護5と進んでくると、受け入れてくれる施設は、徐々に少なくなると聞いている。
 本当に困るようになると、デイサービスやショートステイでは、引き受けてくれなくなるのだ。
 さらに進行すると、家庭が崩壊する例も多い、と聞いている。
 将来に不安が、たちこめる。

 物質的に満たされると、精神が病むといわれている。
 充分な栄養がとれるようになり、長寿を迎えるのはありがたいが、次の試練が待っている。
 神がいるとすれば、ずいぶん罪作りをするものである。
 
 
 

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何かが変わった(〆)

 
 最近は、大きく改善されたことがある。
 自主的に、トイレに行くようになったのである。
 ここでは、成功するか、失敗するかを、問うてはいない。
 紙おむつの使用量が、減ったのでもない。
 繰り返される真夜中の"トイレ・ハイキング"のように、意味もなく徘徊することも、別である。
 とにかく、行動を起こすようになったのである。
 原因は、想像できる。
 
 認知症は、正常に見える時もあれば、理解できない時もあり、まだらな状態で、徐々に進行すると、医師からは聞いている。
 それが、ほんの些細なことではあるが、明らかに改善されたように感じる。
 奇跡というほどのものではないが、"想定外"である。

 10か月前、本格介護をスタートさせた。
 それを聞きつけた"ある人"が、想像を超えたサポートをしてくれたのである。
 忙しいであろう仕事の合間をぬって、連絡してくる。
 依頼したわけでもないのに、次から次へとアドバイスをしてくれる。
 精神的に多少ではあるが、追い込まれていた時期である。
 凡人の浅はかさ、はじめはしばらく、なぜしてくれるのか理解できなかった。
 家族でもなければ、兄弟でもないし、親戚でもない。
 むしろ、それら以上に心遣いをしてくれるのである。
 単に、仕事での付き合いがあっただけで、すでに受発注の関係にはなかった人である。

 一気に、精神的に立ち直ることができた。
 アドバイスを参考に、次々に手も打てた。
 それに引きずられるように、次から次へと、親切で素敵な人たちと出会う。
 書き切れないことも、数限りなく起きた。
 紙おむつを買う店では、2度目の買い物の際、
「この領収書は、取っておいてください」
「なぜ?」
「金額が大きくなれば、申告に使えますから」
と、アドバイスをしてくれる店員とも出会った。
 それ以前から紙おむつは使っていたのに、どの店からも、そのようなことを言われたことはなかった。

 歳をとっても、女性の下着コーナーは馴染めない。
 いつもは、田舎で買ってくる。
 ある時、予備がなくなり、止むなく、求めに出かけた。
 ウロウロしていると、近くにいた、明らかにパートとおぼしき"オバチャン店員"が割り込んできた。
 こちらの希望を聞いた後の行動は、素早かった。
「お年寄りには、ブランド物はいらないの」
「どうせ、汚れるから」
「これは、肌触りがいいから」
 ひとり言をいいながら、瞬く間に、品ぞろえが終わる。
 それも、安めの商品を選んでいる。
 よっぽど金が無いように見えたのかと、心の中で苦笑する。
「私も、母を8年間、大変でした。がんばってください」
 最後に、付け加えた。

 ある"飲み会"で、そのことを話した。
 翌週、その仲間の一人から、電話があった。
 同じ職場ではなかったが、一緒の会社にいて、今は"人妻"である。
 買い物に、付き合うという。
 遠慮をしていると、
「どうせ、ヒマだから」
と、引き下がるつもりはなさそうだ。
 好意を受けた。
 それ以来、定例の"買い物会"になり、年のずいぶん離れた"妹"もできた。
 小さなことかもしれないが、百万の援軍があったように、心が和む。

 2か月前、興奮した趣きで、"ある人"がやってきた。
「認知症も、諦めねば、回復することもある」
と、資料のコピーを持って来た。
 アドバイスを信じ、トイレにチャレンジすることにした。
 朝起きたらすぐに、朝食が終わった時も、お茶になった頃にも、等など、定期的にトイレに行くように、声をかけることにした。
 "ドライブの日"には、トイレの休憩時間の間隔を、極端に短くした。
 デイサービス、ショートステイの職員にも、"声掛け"を頼んだ。
 
 そして、一時的かも知れないが、間違いない"改善"が起きた。
 みずから、トイレにチャレンジするようになったのである。
 協力してくれている周りのみんなに、感謝の言葉がわいてくる。
 言えなかった「ありがとう」と。
 
 
 

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医師の交代は書類だけ?

 
 メンタルケアの受診に、向かった。
 受付けにある箱に診察券を入れて、いつもの場所で待つ。
 予約をしてあるから、いつもは"すぐ"なのだが、なかなか呼ばれない。
 かつてないほど、長い時間が過ぎた頃、とは言っても30分ほどであるが、名前がスピーカーから報じられる。
 指定された番号の診察室に入る。
 そこにいるのは、はじめて見る医師である。

 放送された時の声は、今まで担当していた医師の声だった。
 横に並んでいる診察室の、いずれかの部屋に、いるはずである。
 すでに引き継がれていたのだろうが、聞いていない。
 わざわざ最後になるであろう受診のために、予定していた2週間も前倒しをして、帰省したのである。
 今までの医師にお礼が言いたかったのであって、はじめて会う医師のためではない。
 母も、何も話そうとはしない。
 心の準備のないまま、短い問診が終わる。
 気まずい雰囲気は、はじめての医師にも伝わったであろう。
 何しろ、メンタルが専門分野としている医師、なのだから。

 対応に疑問をいだきながら、診察室を出る。
 頼りにしていた一つの""が、切れた。

 "大病院"とは、"こんなものか"と、諦めの気持ちが支配する。
 勧められ続けていた入院を、断り続けていたためなのか。
 紹介者のてまえ、特別に対応していただけなのか。
 あらぬ疑問が、次から次へと湧いてくる。
 田舎も、都会化されたようである。
 失意のうちに、支払の場所で待っていると、順番がやって来る。

 いつものように、支払いを進める。
 突然、事務員がいう。
「何かあったら、遠慮せずに連絡してくださいと伝言がありました」
 よく考えてみた。
 そういえば、むしろ新しい担当医の方が、オドオドしていた様にも感じられる。
 想定外で戸惑っているために、こちらの方がムッとした態度にあらわれていたのだ。
 よく考えてみると、老け顔ではあったが、若い医師だった。
 意外と"気がいいヤツ"で、"心が優しすぎる"医師だったようにも思える。
 多少ではあるが、心に薄明かり射してきたように感じながら、車に乗り込む。

 病院が大嫌いな母が、助手席からニコニコしながら、一刻も早い出発をうながす。
 
 
 

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田舎が遠くなった(〆)

 
 いよいよ、田舎へのジャンクションが近づく。
 次の自動車道に入ると、あと60キロ弱、まもなくである。
 電光掲示板に、予想をしていなかった文字が表示された。
≪○○区間から○○まで、チェーン規制≫
 田舎は、山に囲まれている。
 どのルートをたどっても、峠を越えなければならない。
 昨夜、ネットで調べても、チェーン規制などは無かった。
 
 ラジオの周波数を、道路情報に合わせる。
 先ほどまで雪が降っていたようで、
≪積雪あり≫
と報じている。
 夏タイヤしか、持っていない。
 だから、冬期の受診を控えているのである。
 雪国育ちだからこそ、雪道の恐さは知っている。
 地元では、冬タイヤが当たり前になっている今の時期、高速道路内でのチェーン装着は、非常に危険である。
 山中のトンネルが続く手前のインターで、自動車道をおりる。
 しばらく、下り坂を走る。
 やがて国道に入り、再度、ハンドルを田舎に向ける。
 
 雪道の国道、それも田舎に至るメインのルートの一つである。
 チェーンの着脱する空間が、いたる所に設置されている。
 車外の温度を表示するモードに切り替え、チェーン無しで行けるところまで進むことにした。
 まわりが積雪で、だんだん白い面積が増えてくる。
 やがて、白一色になった。
 最初の峠に差しかかると、除雪車で削ぎ取った両脇の積雪の高さは、ゆうに1メートルはあるようだ。
 いつもの年よりも、多い。
 気温はマイナス1℃だが、道路は、パンパンに乾いている。
 太陽の光が射し、車の行き交う時の路面の温度は、気温よりも3~5℃は高い。
 まだ、凍結の心配もなかろう。

 第二の峠に差しかかる頃、まぶしいほどの陽が、射してきた。
 気温も、マイナス2℃までしか下がらない。
 例年、最も多くの積雪があり、凍結の危険もある最後の峠が、迫ってくる。
 吹雪いている時が多く、様変わりの景色を見せる場所である。
 気温も変化はなく、なぜか積雪が、先ほどより減っている。
 いっきに、坂を下る。
 そして、周りの雪が消えた頃、久しぶりの田舎が、姿を見せた。
 今年初めての、旅が終わった。

 昨年と大きく変わったのは、途中で紙オムツを交換しなくてはならなくなったことだ。
 3時間強の最短ルートの旅、だったのに。

 田舎が、遠くなった。
 
 
 

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田舎が遠くなった

 
 先一昨日の土曜日、受診のために、田舎に向かった。
 冬期のため、景色を楽しみながらのルートは使えない。
 景色に変化のない自動車道での、帰省である。

 積雪のため、昨年12月からは、電話での問診に切り替えていた。
 今年初めての、帰省である。
 お世話になっているメンタルケアの医師が、転勤になるとの連絡を受け、急遽、予定を2週間ほど早めた。
 大きな病院では、定期的に異動になるようだ。
 とても気遣いをしてくれている医師なので、まことに残念である。
 気心が通じ合えない医師が担当になっても、しばらく待てば別れられるとの良い点もあるシステムなのだと、勝手に解釈して、あきらめざるを得まい。
 昔からの主治医の方は、代々続いている開業医であるから、そのような心配はない。

 そんな事を考えていると、周りには、早や農地が広がっている。
 助手席では、一人での会話で盛り上がりはじめた。
 いつもの、看板の文字を読んでいる声ではない。

「田舎は、穏やかだねー」
「雪も、降ってないし」

 降雪のテレビ放送を見て、いま住んでいるところに、いつも雪が降っているのだと、信じて疑っていないようだ。
 出発して間もない時間であるが、すでに心は、田舎に移っているようである。

「山に、あんなに雪が積もっている」
「今年は、大雪なんだ」

 遠くの真白い雲が、低く垂れ込め、ぼんやりと見える。
 山頂に積もった雪と、勘違いしたようだ。  
 無理すれば、そのように見えなくもない。

「田舎は、暑いねー」
「こんなに温かくなれば、田植えをしなくちゃだめじゃない」
「田んぼに、水すら入れていない」

 季節の移り変わりには、興味を失っていないようだ。
 冬期の帰省であるから、出る時に厚着をさせて来た。
 そっと、ヒーターの設定温度を、2℃ほど下げた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 "夢の中の人"と、であろう楽しそうな会話は、続いている。
 
 
 

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何かが変わった(その3)

 
 最近は、"夜のハイキング"ならぬ徘徊も、激減した。
 行動の範囲も、敷地内でとまるようになった。
 体力が、落ちたわけではない。
 原因は、明らかである。
 
 以前は、どこに行こうとしているのか分からないが、"お散歩"に出かけてしまう。
 田舎の人間であるので、電車に乗ることはできない。
 キップの自動販売機など、操作できないからである。
 住んでいる所から歩ける距離で、お巡りさんに"確保"される。
 それでも、体力・気力とも充分あるようで、結構な距離を移動する。
 初回だけ、"警察ホテル"に一泊した。
 それ以降は、会社に連絡がきたものだったが、ほどなく、連絡もなくなった。
 帰宅すると、留守電のランプが点滅している。
「お母さんを○○で見つけましたので、お宅に戻しておきました」
と、メッセージが入っている。
 仕事に支障をきたさないように、気配りまでしてくれる。
 東京の警察は、まことに親切だ。
 翌日、書類にサインをするために、交番に出頭しなければならない負担があるだけである。
 
 介護をはじめ、認定もとり、デイサービスをはじめた。
 当初、嫌がっていたが、徐々に慣れはじめた。
 次第に、頭の中が、"老人会"と呼んでいるデイサービス一色に、染まった。
 当時は、週3~4回ほどの"老人会"である。
 一日おきにしか、行けない。
 
 その内、行動の主な時間帯が、真夜中に軌道修正され、毎夜、"老人会"に向かうようになった。
 一晩に、何回も繰り返す。
 連れ戻しても、すぐに向かってしまう。
 介護センターの方角に向かうのではあるが、行き着くことのないチャレンジである。
 近い距離にあるから、歩いて行けると判断したようだ。
 気がついて探しに行くと、たいがいは、すぐに見つかる。
 昼間と違い、行き交う人も、あまりいない。
 こちらも慣れてきて、潜んでいる場所が、推定できるようにも、なったからである。
 
 そこで、送り迎えの際、遠回りをすることにした。
 介護センターの送迎車には、最後に降ろしてもらうように依頼した。
 20分近くは、乗っているようだ。
 効果は、バツグンであった。
 "老人会"の場所は、歩けないほど遠い距離なのだ、と考えはじめた。
 そして、"夜のハイキング"は、駐車場止まりとなった。
 
 最近、せっかく知り合いになった警官とも、縁遠くなった。
 なぜか、さみしい気もしている。
 ぜいたくな悩みと、笑われそうである。
 
 
 

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何かが変わった(その2)

 
 最近は、止むことなく歩き回ったり、衣服を出したり収めたりなど、真夜中の行動の"強さ"も、激減した。
 活動があっても、小1時間で終わることが、多くなった。
 原因は、明らかである。

 以前は、一日中、一人で過ごす。
 電話番号も、ダイヤルしている間に忘れてしまうためか、田舎の友だちや姉妹へかけるのも、あきらめてしまっていた。
 話す相手すらいない生活が、続いていた。
 外への"ハイキング"のほかは、テレビだけが相手の日々である。

 しかし、大好きだったドラマも、5年以上前から見なくなった。
 ストーリーが覚えられなくなれば、見ていても、何のことやら分からず、つまらないのは当然である。
 ワイドショー、ニュースなどにも、次々と、興味を失っていく。
 最後まで、楽しみにしていた番組は、相撲であった。
 それも、昨年の後半から、見なくなった。
 つまらなくなれば、寝るしかない。

 日中に、充分すぎるほどの睡眠をとっているのだから、夜が眠れないのは、当然である。
 毎夜、存在を示すかのように、活動が延々と続いていた。

 月曜日から土曜日まで、デイサービスに行くことになった。
 介護センターでも、昼寝は、しても良いようである。
 したかどうかは、活動に変化が見受けられるので、すぐ分かる。
 イベントのある日は、その昼寝もできないようで、"睡眠不足"で帰ってくる。
 その夜は、静かで"平和な夜"が、期待できる。

 デイサービスのない日曜日や祭日の真夜中は、前と同じような喧騒さが待っている。
 "ドライブの日"を中止したその夜には、確実に、活発な活動に一晩中、悩まされる。
 日中、起きているように注意していても、間隙をぬって寝てしまう。
 言っても分からないし、根負けして、あきらめるが常である。
 本来のドライブは、思い出づくりが目的だった。
 今や、出かけることに、"夜の対策"の意味合いも含まれているようになった。

 テレビとは違って、デイサービスでは、"血の通った人"との触れ合いが待っている。
 昼間、眠らなくなったことに加えて、肉体的にも疲れて帰ってくる。
 当然、夜の活動の体力は残っていない。

 幸せな"環境"が、循環し始まっている。
 
 
 

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何かが、変わった

 
 夜半に、目が覚めた。
 騒がしいから、ではない。
 むしろ、静かすぎるほど、"平和な夜"である。
 眠ることすらままならぬ日々が、数年にわたって、続いていた。
 むしろ、騒音に慣れてしまって、静けさが不安になってしまったのかと、苦笑いが沸き上がる。

 思い起こせば、この10カ月、密度の濃い期間であった。
 新たな介護という別世界と、出合う。
 これほどの充実した"時"は、仕事においても、少なかったように思う。
 新たな開発に携わる人生であったが、寝る間も惜しんでチャレンジすることはあっても、この充実感とは別物である。
 こちらが""を示せば、同等の""は返ってくる。
 こちらが""を与えることが出来なければ、何の見返りもない。
 すごくシンブルで、分かりやすい仕組みの中で、生きてきた、
 介護で出会った人たちは、今までの企業戦士との関係と、明らかに異なっている。

 いま通っている介護センターも、ビジネスをしているはずである。
 でも、何かが違うのである。
 要求すれば、今までの世界と同様に、きちんと対応する。
 その後が、違っているのだ。
 介護に関しては、いまだに初心者である。
 何も知らないこちらに対して、次から次へと、サービスを提供してくれる。
 匂い が、違うのである。
 肌の感覚が、違うのである。

 いくら考えても、解答を得られそうもない。
 一つの解釈に納得して、寝ることにした。
 商品が""ではなく、"血の通った人"なのだからだと。
「やっと分かったの」
「クックック」

と、笑っている母が、夢に出そうである。

 変わったのは、自分なのかも知れない。
 
 
 

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やっと都会人になった

 
 心地良い、快晴。
 車の窓を、少し開ける。
 ほのかに頬をなでて通り過ぎる風は、寒さを感じさせない。
 朝食時に聞こえていたテレビの天気予報で、今日は気温が上がり、3月下旬の陽気になるといっていた。

「ドライブに、行く?」
「行く」
「どこへ、行く?」
「どこでも、いい」
「山、海?」
「海」
「どこの海?」
「太平洋」
 小1時間ほど前に、いつもの儀式をとり行い、現在、ひたすら"太平洋"に向かって進んでいる。

 助手席から、クシャミが聞こえる。
 鼻を、かみはじめた。 
 休む間もなく、動作を繰り返している。
 いつもと、違う。
「風邪を、ひいたの?」
「ひいてない」
「クシャミを、しているじゃない」
「鼻が、ムズムズするだけ」
「熱は、あるの?」
「ない」
と言いながら、また、鼻をかむ。
「頭は、痛くないの?」
「痛くない」
「熱は、ないの?」
「ない」
 頭痛を我慢している様子もなければ、声にも変化はない。
 リモートで、助手席側の窓も、閉める。
 しばらくすると、クシャミは止む。
 
 高速道をおり、しばらくすると、枯れ野原ではあるが、自然が満ち満ちて来た。
 新鮮な空気を求めて、窓を数センチ開ける。
 程よく冷えた、心地よい空気が、まとわりつく。
 また、クシャミが始まった。 
 そういえば、天気予報では、花粉も飛ぶと言っていた。
 
 花粉症の症状を、思い起こす。
 "くしゃみが何度も出る"は、そのままである。
 "鼻水がどんどん出てくる"も、当たっている。
 花粉症になったのだ。

 しかし、聞いたところによると、花粉症の原因であるIgE抗体なるものの役目は、"寄生虫"のための抗体だと記憶している。
 花粉症の患者が、都市部に多いことが、有力な証拠になっているそうである。
 関連や意味は、よく理解できない。

 そうだとすれば、田舎育ちで、かつ昔の環境育ちだから、寄生虫への防御は、万全なはずだ。
 IgE抗体も、正常に機能していたはずである。
 だが、都会に出てきて、早や10年経つ。
 都会人になって、IgE抗体の"近代的な活躍の舞台"が、やっと出そろったのだろうか。

 今の車は、外気を取り込む時に、花粉も取り除くフィルターが付いている。
 クシャミも、止まった。
 輝く太陽も、薄曇りに隠れて、眩しさも解消された。
 絶好な"ドライブの日"が、続く。

 この次に、母の妹たちに会う時、いばれることが一つ増えたようだ。
 
 

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夢の戦いで、名誉の負傷? 

 
 デイサヘービスには、"連絡帳"なるものがある。
 毎日、昼に飲む薬と、トイレを失敗した時のために、着替えの下着や衣服、紙おむつを入れた手さげ袋を持っていく。
 一日おきの入浴の日には、タオルが加わる。
 その手さげ袋に入ってくる小さなノートを、勝手に"連絡帳と"呼んでいるだけで、正式名称は知らない。

 血圧と体温の数値が記載されており、コメントも記載されてくる。
 通常は、2~3行の簡単なものであるが、
「午後の体操は、疲れませんでしたか?」
「今日のゲームは、楽しかったですか?」
「塗り絵は、たいへん上手でしたね」
「今日も寒いので、カゼをひかないように気をつけて下さいね」
「お疲れ様でした。また明日、お待ちしています」
は、母へのメッセージであろうが、別の日の、

「ゲームに参加され、楽しまれたご様子でした」
「今日1日、楽しく過ごされました。トイレも自分の方から行きたいと訴えられました」  
「折り紙に参加されました。爪切り実施しました」
「便失敗があり、シャツ2枚を交換しました」
「トイレ失敗があり、センターのズボン1枚、お貸ししています」
は、明らかに、こちらに向けてのメッセージであって、母に読んで欲しいものではなかろう。
 いまだに、どちらに対しての"連絡帳"なのか、分からないでいる。
 今日の"連絡帳"には、いつもと違っていて、異様な言葉が記載されていた。

 朝食時に、1~2センチほどのひっかき傷が、額にあるのに気付いた。
「どうした?」
「わからない」
「どこで、転んだの?」
「転んでない」
 昨夜の活動が、特に活発だったようには思えない。
 結局、原因は不明のままだった。
 かすり傷で、すでに乾いていたが、念のために、傷バンソウコウを貼っておいた。

 額に、傷バンソウコウが貼ってあるのである。
 とっても、目立つ。
 当然、介護センターの人も気付くであろうし、礼儀的にも、
「どうしたの」
と、聞いたのだろう。
 返事は、
「"名誉の負傷"」
と、答えたそうだ。
 それも、たまたま口に出ただけでは、なさそうだ。
 何度聞いても、そのように答えたそうである。
 職員も意味が分からないから、"連絡帳"に記載したのだろうが、こちらも、まったく分からない。

 "名誉の負傷"とは、正義のために戦い、負った傷のことであろう。
 どんな戦いが、あったのだろうか。
 関心が、どんどん深まってゆく。

 本人に、聞いてみた。
 予想通り、
「何のこと」
で、終りであった。

 ふと、不安になった。
 今回は、小さなかすり傷で済んだが、運が良かっただけかも知れないのだ。
 年を取ると、畳の上でも、骨折すると聞いている。
 骨折をして寝たきりになったら、面倒を見る自信はない。
 女同士の娘なら、いざ知らず、息子である。
 病院か施設に、預けることになってしまうだろう。

 何としても、原因を調査する必要がありそうだ。
 寝室の中は、角がすべて丸くなっている軟質ブラスチックでできた収納箱ひとつしか置いていない。
 枕元近くに、アルミのパイプで出来たハンガーがある。
 これも、接合部は軟質ブラスチックで、角もすべて丸くなっている。
 隅に、鏡台はあるが、今や使われることはない。
 あとは、何も置いていない。
 もう一つあった。
 使い終わった紙おむつを入れる、丸いゴミ箱が置いてある。
 これは、硬質プラスチックである。
 でも、口は丸くカーブしており、かすり傷を負うような形ではない。
 どうしても、近くに、犯人は見つからない。

 "名誉の負傷"の勇士は、次の戦いに備えてか、すでに高イビキをしている。
 
 

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