ツツジは、ツツジ(4)
不思議なことに、庭にあるこれらのものが、昔からまったく変わっていないのである。
石は当然としても、すべての大きさが、昔のままなのだ。
いつも、不思議だと思っている。
ここだけは、なぜか時間が止まっているのである。
半世紀の間には、空いている場所に家族それぞれ思いつくまま、いろいろ植えてきた。
ハレの日の記念などには、記念植樹もした。
遠足で採ってきたものも、植えた。
親戚、知人らによって、珍しいものだといって持ち込まれた木々も、植えられた。
ほかで見て、美しいがゆえに、拝み倒してもらい受けた木々も持ち込まれた。
田舎を後にしたとき、記念に植えもした。
八重桜が欲しいと、しつこく確認して購入した桜は、育ってみると普通の桜だったため、4、5年もたたない内に大きくなりすぎ、切らざるを得なかった。
普通のサクラの品種は、小さな庭には植えるものではない。
イチョウの木も、同じ運命をたどった。
覚えられないほどの種類の木々が植えられたのだが、昔からの"住人"遠慮したのか、育たなかった。
その時々の時代に流行った草花も、一番目立つ所に植えられもしたが、"住人"にはなり得なかった。
よく見てみると、今あるのは昔のままの種類である。
半世紀もの時が流れているにもかかわらずである。
不思議と大きさが、まったく変わっていないのだ。
南天、寒ツバキ、梨の木、1本になってしまった松と梅の木、昔のままの大きさなのだ。
当然、ツツジも昔のままの大きさである。
剪定をしたからなのでもない。
「きれいですね」
「めずらしい色をしていますね」
といわれれば、小枝を切り取り、差し上げげる。
ツバキは、差し木で難なく育つ。
いしつか、欠けた部分だけは、蘇生している
全体像は、なぜか変わらないのである。
「周りに松などによって日陰になっているからだ」
と、言う人もいた。
「栄養が足らないのでは」
との助言もあった。
昔からの"住人"は、足元をコンクリートで固められた松の木2本と、台風でなぎ倒された梅の木1本を除いて、枯れたりして姿を消すこともなかった。
ただ大きさが、変わらないのである。
毎年の季節には、何ごともなかったかのように、元気な姿を見せ続けている。
眺めている"こちら側"は、ずいぶん変わった。
父も、川の向う岸に、出かけた。
母には、今年の早春、曾孫もできた。
息子も、還暦を迎える。
身体の具合は年相応としても、"気持ち"の一部は、父のもとに出かけているようだ。
もうすぐ、ツツジの舞台が開宴する時期である。
きっと、昔と変わらず、歓迎してくれるだろう。
"何事も無かった"かのように。
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