« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月

市街地のドライブも楽しい

 
 小雨が降ったり、止んだり、霧雨に変わったり、している。
 数日前から梅雨前線が停滞していて、西の地方では、激しい雨が続いている。
 その前線がこちらに近づき、昨夜から降り始めた。

 路面の雨をはじくタイヤの音が、心地よく響く。
 その音を除けば、車中は静けさに包まれている。
 理由は、分かっている。
 走り抜けている周囲には看板だらけで、読み上げる"文字"が多すぎるのである。
 ビルの各階に設置された、おびただしい看板が、道路に向かって、精一杯、アピールしている。
 すべてを読み切ることは、到底、無理だと思ったのだろう。
 そもそも、万人に対して平等に扱う性格である。
 読んだり読まなかったりなど、"えこひいき"はできない。
 だから、読まずに黙っているようだ。

 静けさを破るように、
「今日は、人が多いねー」
という。
 雨で、人通りは少ない方だと思う。
「いっぱい人が、出ているね」
「大勢の人が、住んでいるようだね」
「あらら、傘をさしている子、大丈夫かしら」
「あのおばあちゃん、大きっな荷物を持って」
「まっ白いスカートの女の人、汚れないのかしら」
・・・・・・・・・・・・・。

 しきりに、感心している。
 しばらく考えていたが、なかなか「なぜ」が消えなかった。
 ふと、光明が見えた。

 今日は、無性に一般の道路を走りたくなった。
 雨が降っているといっても、市街地だらけである。 
 信号待ちなどで、あちこちに人が溢れている。
 いつもは、人通りの多い区間は、自動車道を使う。
 当然、そこには人の群れなど、あろうはずもない。
 ドライブを楽しむために、いつも自動車道から降りる所は、人の少ない場所でもある。
 人の多い所を通ることは、珍しかったのだ。

 渋滞ほどではないが、それなりの車で混んでいる。
 今月から義務化されたからか、やけに"紅葉マーク"が目につく。
 "落ち葉マーク"、"枯れ葉マーク"とも、呼ばれている。
 先日、テレビでの国会議員も、"落ち葉マーク"と言っていた。
 "シルバーマーク"、"高齢者マーク"なら怒りも起きまいが、"落ち葉マーク"や"枯れ葉マーク"では、いかがなものであろうか。
 水滴のような形も、
「近々、"落ちるよ"」
といっているイメージを思い起こさせ、良い気持はしない。
 加えて、黒枠で囲まれている。
 確かに、遺影のようだ。

 正式には、高齢運転者標識というのだそうである。
 普通自動車を運転する時だけが対象で、大型バスダンプトラックを運転する際には、この標識を付ける必要はない。
 不思議である。
 運転免許の取りたての初心運転者標識の方は、"初心者マーク"、"若葉マーク"と呼ばれ、こちらは響きが良い。
 思い過ごしだけでは、なさそうである。
 傘の雨のしずくですら相手にかからないようにと、心配りをしていた"江戸しぐさ"などは、消えて無くなったようだ。

 昔に大問題になった、"当たり屋"のことを思い出す。
 高級車を狙って、意図的に車にぶつかり、何がしかの金品をせしめるのである。
 我が子を使った事件は、当時の新聞を賑わしたものだ。
 "紅葉マーク"を付けたがゆえに、
「この車は、高齢者だよ」
「カモですよ」
と、目印にならないことを願う。

 道の両端には、手入れの行き届いた並木が続いている。
 でも、山々の自然の中に息づく緑とは、何かが違う。
 まず、これらの木々は、主役ではない。
 周りの無機質な風景を、少し癒やそうとしている脇役だ。
 大きく違うのは、木々が同じ高さ、同じ太さ、同じ枝ぶり、そして同じ種類なのである。

 山々は、数えきれない様々な"緑色"で描かれている。
 一つの"緑"の色だけではない。
 古木もあれば、生き生きとした壮年の樹木、育ち盛りの若木、広葉樹もあれば針葉樹もある。
 それらに纏わりついて、天を目指しているツタ類もある。
 地面には、与えられた秋までの短い期間を、精一杯生きようとしている雑草であふれている。

 老人だけしかいない"老人ホーム"という社会・・・・・。
 "後期高齢者"、"落ち葉マーク"という名称・・・・・・・。
 昔の貧しさから抜け出し豊かになった分、この国は、大切なものを失ったようである。

 まだ、言い続けている。 
 たまには、"人々を鑑賞"するドライブも良さそうだ。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

喜びだけで充分

 
 "人間には6つの感情がある"と聞いたことを、ふと思い出した。
 初めて聞いた時には、少し違和感を感じた。
 古来から"喜怒哀楽"の言葉があり、疑いも持たず、そう信じていたからである。

 世に名を出すためには、新説を打ち出すことが必要のようだ。
 真説ならば良いが、従来の説を単に否定しているだけの珍説も、多々あると聞く。
 最近のテレビでも、"真実はこうだった"もどきの番組も多く、それなりの視聴率を稼いでいる。
 その程度のことと、聞き流していた。

 最近の母の表情に、喜怒哀楽では片付かない面を感じたから、思い出したのである。
 基本6感情とは、
  ・喜び怒り悲しみ驚き恐怖嫌悪 
とのことだそうである。

 喜びは、健在である。
 "老人会"には、喜び勇んで、毎日、出かけている。
 少し困るのは、昼夜を問わず行きたがる点である。
 食事の時は、喜々として、報告会が延々と続く。
 それ以外の時には、夢の世界で、充分に喜びを楽しんでいる。

 怒りは、反抗的な態度が、たまに見られる。
 意味のない反抗なので、怒りに該当するのかは定かではないが、そうだとしておこう。
 ぶつぶつ文句を、ひとりで呟いている時もある。

 悲しみは、少なくなってはいるようだが、テレビで流している災害の映像を見るにつけ、
「可哀想だね」
を、繰り返して言っている。
 これも、大丈夫であろう。

 ドライブの途中の景色を見て、
「すごく綺麗だね~」
などと感動したりしているから、驚きも大丈夫だ。
 ただ、
「初めて見た」
が付け加えられるのだけは、ちょっと心配である。

 恐怖は、
「部屋に、人がいる」
といって、よく夜中に起こされる。
 これも、合格であろう。

 大好きだった司会者の番組を、毎日欠かさず見ていたのに、
「この人は、意地悪だから。嫌い」
と、昨年末あたりから見なくなり、今でも見ようとはしない。
 当分、許しは出そうもない。
 嫌悪の感情も、まだある。

 個別に考えると、何ら問題がないようである。
 ただ、それらの感情のすべてが、表れない"無表情"という表情が抜けている。
 だれが言ったのか調べてみると、心理学者のポール・エクマンの説だそうである。
 著書に「顔は口ほどに嘘をつく」なるものがあることを知った。
 これで、納得である。

 喜怒哀楽と比較してみると、6つの感情には、"驚き"と"恐怖"と"嫌悪"が入り、"楽しみ"が抜けている。
 今の母には、"驚き"も、"恐怖"も、"嫌悪"も、要らない。
 "悲しみ"による苦悩も、もういいだろう。
 楽しい感情とともに生きる世界だけで、充分である。
 これから残された人生は、怒哀を取り除き、"喜び"と"楽しみ"だけを残した「喜楽」でいこう。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

アジサイが咲いた

 
 介護センターの玄関の正面には、集う人たちによって作られたのであろう"鯉のぼり"が、長い間、飾られていた。
 6月に入って"鯉のぼり"ではまずかろう、との意志なのか、最近になって、やっと役割を終え外された。
 しばらくすると、アジサイが咲いた。
 入り口の正面にはテーブルが設置され、その上に色取り取りのアジサイが置かれている。
 置き切れないとみえ、脇の下駄箱の上にも重なり合っている。
 10センチほどの円形をした、厚さが1センチほどの、平たいアジサイである。
 楕円の形は様々で、花の形や数も一様ではないから、出来合いのものではなさそうである。

「作っているよ」
というのを聞いてから、ずいぶん経つ。
 本人は最初、"牡丹"といっていたが、連絡帳で"アジサイ"とわかった花である。
「乾かしている」
といっていたので、もとは柔らかいもので、こしらえたようだ。
 粘土らしきものであろう。

 それにしても、すごい数である。
 大きな施設ではあるが、これほどまでの数とは知らなかった。
 作っていると言い始めてからも、しばらくは、
「来ない人の分を作ってきた」
といっていたから、毎日集まる人数ではないにしろ、大勢である。
 いろいろな色で塗られている。
 塗り方も様々であり、同じものは一つもない。
 "想い想い"に、"思い思い"の色で塗られたアジサイが、折り重なるように咲いている。
 探そうと思ったが、あまりの数の多さに止めた。
 近いうちに持ち帰るだろうから、その時の楽しみとした。

 ただ、幼児が塗るような、単純な色ではない。
 オーバーではあるが、ずっしりとした重みのある色づかいなのだ。
 通常の単なる"思い"ではなく、心の中の"想い"が籠められているような気がした。
 長い人生の中には、いろいろな出来事があったに違いない。
 戦争の真っただ中で、青春時代を過ごした年代の方々である。
 楽しいことだけだったとは、思えない。
 母は田舎にいて、最近になってこの地に来たが、他の人も元は田舎から出てきたにしろ、あの大空襲を経験した人たちである。
 アジサイに それらが表れているように思えた。
 眺めていると、残された人生を楽しく過ごしてもらいたい、そんな社会になって欲しい、と願う気持ちが湧いてくる。

 母にとっては、不思議な施設である。 
 自宅にいる時には、今や、ただ寝るだけになった。
 会話も、必要最小限になった。
 朝などの挨拶を忘れたり、返事をしない時も多い。
 一緒にテレビを見ている時だけは起きているが、テレビを見ているよりも、時計の針をチラチラ見ている方が長い。
 食事の後片付けをしたり、風呂の準備をしたり、トイレに行ったりすると、一瞬の合い間に寝室に消える。
 そのすばしっこさは、見事である。
 現代の忍者である。
 いないときには、始終、間違いなく寝ているようだ。

 その母が、デイサービスから帰ると、人が変わったように明るくなっている。
 人には、人との触れ合いが必要と、つくづく感じる。
 喜びにあふれ、今日の出来事の報告会が、延々と始まる。
 聞き流しているこちらの態度には、まったく気にも留めない。
 内容は、この一週間の出来事が、見事に混じり合っている。
 同じ話も、日が経つに従って、様々な筋書きが溶け込む。
 あのアジサイの、複雑な色彩の様に。
 
 

| コメント (2) | トラックバック (0)

帰路は遠回りに限る(3)

 
 木洩れ日が、舗装された路面に、キラキラした文様を描き続ける。
 東側の方面には、数多くの湖が点在している。
 各々の湖が、様々な個性を持ち、訪れる客を魅了してやまない。
 今日は、他県ナンバーの車とのすれ違いは、少ないようだ。
 近いうちに、この静かな山あいも、多くの人々で賑わうだろう。
 そして、楽しい思い出を持ち帰る。

 周りは、新緑で満ち満ちている。
 山肌を走り抜けると、輝やく湖面が、木の葉の間から顔を出す。
 数ある中でも最も大きな湖であり、観光客を迎える場所のちょうど対面側に出る。
 湖岸に沿って走り、薄緑の若葉と瑠璃色の湖面のハーモニーを、しばし楽しむ。
 やがて、観光高原道路から排出された車たちと、合流する。
 赤い色の車が、ちらほら見受けられる。
 操作しているのは、希望に満ちた若人だろうと、勝手に決める。
 新緑とは、よく似合う。

 遊覧船の乗り場でもあり、この湖の繁華街に着く。
 大型連休と夏の本格シーズンとの谷間にあたるのか、それとも梅雨で敬遠されているのか、いつもの大混雑ではない。
 それなりの、混み様である。
 ちょっと、車外に出てみる。
 気温は程良く爽やかであるが、意外と風が強い。
 観光客の帽子が風に飛ばされ、係員とおぼしき人が追いかける。
 何とも、微笑ましい風景である。
 ここでも、特等地に車を止め、"おやつタイム"にする。

 さらに東に進み、最後の目的である観光道路に向かう。
 無料化されてから利用するのは、初めてである。
 車が南下しはじめると、もう近い。
 山の中にしては、大きめの温泉街を通過する。
 昔は採掘場として、花街までできて、大いに賑わったそうだ。
 人家が消えるころ、目的の道路に入っているようだが、料金所が消えているので、よく分からない。
 "牛に注意"との標識が出ているから、間違いなく入っている。
 草木の隙間から牧草地は見えるものの、牛には出会えない。
 やがて、下りに入る。
 変である。
 峠の頂上には、展望台があるはずだ。
 有料の時はUターン禁止だったと記憶しているが、今はその標識もなかったので、空地を見つけ引き返す。
 やはり頂上には、通じる道があった。
 曲がってみると、売店もトイレもない。
 奥に進んでみると、店の残骸とも思われるコンクリートの土台が打ち壊されており、かろうじて形だけは留めている。
 古戦場の大きな碑は、昔のまま残っていた。
 かつて展望台のあった場所に、間違いない。

 公営だったと店員に聞いていたが、市町村ではなく、道路を運営していた会社だったのだろう。
 駐車場も多少は残してあるが、大半の場所には入れないように仕切られており、寒々とした空間が広かっているだけだった。
 あっという時の間に、料金所が消え、展望台も消えた。
 ただ、山々も、湖も、そして青空までも、子どもの時のまま、変わってはいなかった。

 田舎から呼び、一緒に住むようになったばかりの頃、
「都会の子は、可哀そう」
と言う。
「なぜ」
と聞くと、しみじみ呟いていた。
「都会の子は、首を曲げ、頭を上げないと空が見えない」
「自然に目に入って見えるのは、建物だけ」
「建物なんて、大人になる頃には、みんな無くなってしまうものよ」
「思い出も、一緒にね」

 人の作っているものがいくら消えても、無料になった観光道路の周り景色は、何ら変わっていなかった。
 ふと、存命だった父が後部座席にいると錯覚するような時空間が、その景色の中には残っていた。
 今でも、なぜ田舎に魅かれるのか、分かったような気がした。

 ただ、昔の母も変わったし、その子どもも年を取った。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

帰路は遠回りに限る(2)

 
 予想通り、ひめさゆり群生地は、見物客らで混雑していた。
 ボランティアであろう人たちが、やってくる車を、手際良くさばく。
 前に来た時と同じような人が、かいがいしく采配している。
 大きな駐車場には、数多くの観光バスも駐車している。
 田舎であるから、駐車するスペースには困らない。
 こちらは、年寄りを助手席に乗せている。
 年寄りには、優しい地域である。
 さらに上の方へ進むように、指示される。
 そして、咲き乱れる間近に誘導される。
 車中から十分楽しめるように、車を停めた。

 小高い山の側面には、咲き乱れるひめさゆりの間隙をぬって、"くの字"に折れ曲がって連なる小道が整備され、大勢の人たちが連なるように散策している。
 淡紅色のひめさゆりの合い間に、赤に近いオレンジ色や真白いツツジが、引き立て役として咲いている。

 3、4メートルほど離れた道路わきに立たせて、記念撮影をする。
 なぜか、カメラに向かってこちらを向こうとした時に転ぶ。
 小さな悲鳴というか、歓声のような声があがる。
 係員が、あわてて近づいてくる。
 本人は、まったく意に介さず、こちらを向き、すぐに戻って来た。
 ほっとした表情をみせた係員は、すぐさま多忙な業務に戻る。

 しばし、久しぶりに再会したひめさゆりを、車中から楽しみ見る。
「美しいねー」
「はじめて見た」
・・・・・・・。

 繰り返して、つぶやいている。
 今では、何ごとに対しても、
「はじめて見た」
「はじめて食べた」
「はじめて会った」

と、初ものだらけの世界になっている。

「はじめまして」
 息子にだけには、言って欲しくない言葉だ。

 充分に堪能した後、東に向かう。
 立派な歩道付きの、4車線のパイパスを抜ける。
 父が存命の時には開通していたから、すでに10年以上は経つ。
 今なお、道路沿いに人家は見られず、歩道にも、人様どころか犬猫さえいない。
 手入れの行き届いている街路樹だけは、輝く春の陽の光を浴び、伸び伸びとしている。

 温泉地を通過すると山間部になる。
 芽吹いたばかりの青葉に、陽の光が反射し、まことに美しい。
 ひたすら東へと、車を進める。
「きれいだね」
「きれいだね」
 進む景色の中に、読みあげる""が無く、少々不満のようだ。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

帰路は遠回りに限る

 
 "ひめさゆり"が満開と聞いたので、どうしても見たくなった。
 地元に住んでおれば、いとも容易いことなのだが、離れて住んでいる者にとっては、なかなか満開の花と出会うことは難しい。
 ここ4、5年、お目にかかっていなかった。
 自生地は、30キロほど北上しなければならない。
 せっかく北上するのであれば、最近に走っていない東方面の、風光明媚な風景も訪ねたくなった。

 田舎は、北にある。
 戻る時は、当然、南下する。
 東端の地点から南下する距離は、田舎からの距離と同じである。
 よって、相当な距離が加算されることになる。

 診療のため、帰省している。
 来る時には、ちょくちょくトイレに立ち寄ったのが効いたのか、珍しく紙オムツの交換をせずに済んだ。
 注意すれば、寄り道をしても大丈夫だろう。
 デイサービスに行くようになってから、帰るとすくに寝てしまう。
 むしろ、会話をする時間が少なくなっている。
 この1カ月は、大好きな"ドライブの日"も消えており、喜々とした顔も見たかった。
 用事はすべて済み、時間はたっぷりある。
 今回の復路は、ご無沙汰している東に向かうルートを選んだ。

 トイレにも、行った。
 紙オムツも、交換した。
 充分すぎるほどの紙オムツも、車に積み込んだ。
 道の駅"だれでもトイレ"のある場所も、頭の中に整理した。
 いよいよ出発である。
 雲のかたまりが、あちこちに浮かんでいるものの、輝く日差しが射しており、絶好のドライブ日和である。

 都会と違って、田舎の道は混雑もなく、快適な走行が続く。
 ありがたいことに、道路は、必要以上に整備されている。
 小さい部落を避けるように、バイバスらしき短い道路も、出かけるたびに、あちこちに出来ている。
 たまに走ると、田舎の変わりようが良く分かる。
 常日ごろ、目にしている人には、分かるまい。
 自分の子どもの成長は、なかなか実感できない。
 たまに会う親戚や知人の子の成長には、ビックリするのにである。
 それと同じだ。

 昨年までは、車関係の店と病院の増加が目についていた。
 いまは、やはり介護関連である。
 養護老人ホーム介護老人福祉施設介護センターデイサービスショートステイ訪問看護なるものが、やたらに目につく。
 それらの名称を背負った車も、あちこち走っている。
 異常な増殖だ。
 高齢化社会の到来なのだろう。
 団塊の世代が、"後期高齢者"になったら、どうなるのだろうか。
 そんな事を考えていると、車内が静なのに気づいた。
 いつもの、看板の字の"朗読"が、はじまっていないのである。  

 自分の欠点が、公の場に出てくると嫌なものである。
 当たり前であるが、介護の文字は目に入っているはずだ。
 夢の中の住人となったとはいっても、まだまだ正気は残っている。
 どのような気持ちになっているのか、ちょっと気になった。

 嫌な気分になっていなければと思い、話題をかえようと、
「今日は、いい天気だねー」
と、声をかける。
「本当に、いい天気だね」
「暖かしい、暑いくらいだね」
「真っ青で、いい天気」

 元気で、弾んだ声が返ってくる。

 大丈夫だ。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

静寂の中に声が聞こえた

 
 真夜中の"活動"が、始まった。
 いつものことであり、いつもの範囲内のようなので、放っておく。
 最近は、ドア・チェーンの外し方を忘れたようで、"夜のハイキング"も玄関止まりとなった。
 一連のセレモニーの後には、静かになるだろう。

 いつもより、長く"活動"が続いている。
 やがてやってきて、
「隣の部屋から、話し声がする」
と、戸を叩きだす。
 隣に、部屋などはない。
 壁の向こうは、隣人の住まいである。

「話し声が聞こえてくる」
といって、しつこい。
 止む無く、寝室に行ってみる。
 当然、何も聞こえない。
 むしろ、静かすぎるほどである。
「静かじゃない」
「さっきは、話し声が聞こえていた」
「本当に、聞こえていたよ」
「大勢の人が話をしていて、うるさかった」

と、譲りそうもない。

 いつものように、具体的に聞いてみた。
「どんなことを、話ししていたの?」
「いろいろ」
「どんな人?」
「    」
「男の人、女の人?」
「       」
「何人いたの?」
「     」
 いつものように、回答は得られなかった。

 微かな音が聞こえている方が、静寂さを感じるような気がする。
 無音に近い時には、耳鳴りのような、何か連続している音が聞こえる時がある。
 耳の近くを流れる、血液の音だと聞いた。
 最終電車の中で、酩酊している"オジサン"が、一人でブツブツ話をしているのを、よく見かける。
 この時も、本人としては、だれかと話をしているのだろう。

 音は、波のような波動だそうである。
 空気中を伝わってくる振動のうち、人間の可聴域にあるものだけを聴覚がとらえ、音として感知する。
 個人別にも違うであろうし、年齢や性別などによって、バラツキもあるそうだ。
 可聴域は、動物によっても違う。
 いずれにしても、神経によってに伝えられ、やっと認識する。
 実際の音がしていなくても、伝達を担当している神経を刺激すれば、音が聞こえたようになるのだろうか。

 脳自身も、現実の音を認識したり、夢の世界の音を造ったりと、交互に巡っているのだろうか。
 そうならば、徐々に夢の空間が、支配を広げてくるのも理解できる。

 空気中を伝わってきた音は、三半規管なるもの中にある液体を通して、聞いているそうだ。
 だから、水中にいる魚の方が、より直接的に聞いているとも。

 音は耳で聞くものだが、低い周波数で大きな音は、振動として触覚でも知覚される。
 いわゆる、腹に響く、である。

 分からないことが、いろいろあるものだ。
 最近は、当たり前のことが、不思議なものとして思える。
 歳のせいなのか、認知症の遺伝子が呼ぶのかは分からない。
 昔の漫才師の言葉を借りれば、
「考えると、夜も眠れなくなる」
である。

 当の本人は、いつの間にか、"お休み"に入っていた。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

大丈夫だ、お昼は消えている

 
 居間の方に、動きが感じられる。
 今日も朝食を済ませると、すぐに寝てしまい、"ドライブの日"は中止になっていた。
 足音を立てないようにして、そーっと居間に近ずく。
 起きている。
 ふと時計を見ると、針は正午の15分前を示している。
 しかし、"お昼"が記憶から消えさって、ずいぶん経つ。
 昼だから起きたとは、理解しがたい。
 良く見ると、食事の時の前掛けをしている。
 お腹が減ったのである。
 確かに、朝の食事をしてすぐに夢の世界に入ったのだから、4、5時間は経つ。
 腹時計は、正確に時を刻んでいたようだ。
 夢の中の遊びにも、疲れたのだろう。

 ただ、いつもと違う動きをしている。
 ブツブツと、小声ではあるが、何かをしゃべっている。
 言っている言葉は、聞き取れない。
 時々、手をあげたり、突き出したりしている。
 実に、真剣な動作をしている。
 テレビは、点いていない。
 真っ暗なテレビ画面に映っている自分の姿に、語りかけている様にも見える。
 不思議な世界が、その空間に広がっていた。

 気付かれないように一旦戻り、咳払いをし、少し間をおいて居間に向かった。
「おかえり」
 予想された言葉である。
 最近は、居間に入ることは、家に帰ってきた時と信じて疑わない。
 それには、答えないで昼食の準備に入る。
「テレビでも、点けたら」
と、声をかける。
 映ると同時に、"一人芝居"は幕を閉じた。

 食事が始まると、いつものパターンである別の舞台が、開演した。
「今日のお昼は、・・・・・・・・」
「おやつに、・・・・・」
「・・・・をやった。楽しかった」
・・・・・・・・・・・・・・・ 

 今日は日曜日だから、"老人会"には行っていない。
 先ほどまで"お休"みだったから、夢の中の"老人会"の話だろうと聞き流し、食事を進める。

 食事後の薬は、1回に飲む分を小分けして、朝、昼、夜と小さなタッパーに入れてある。
 食事が終わっても、また飲むのを忘れている。
「薬は飲んだの」
「まだ、飲んでいない」
 今日は、まともである。
 たまに、飲んでいないのに、
「飲んだよ」
と、言い張ることも多くなってきたからである。

「夜だよね」
「違うよ」
「じゃ、朝だ」
「違うよ」
「じゃ、夜だね」
「いま何時?」
「12時」
「12時だったら、いつ?」
「夜」
 やはり、昼は消えていた。
 一人芝居を見たせいか、なぜかホッとする。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

百歳を目指して

 
 百歳を過ぎている人の話しを、最近よくする。
 "老人会"では、かなり名物の人なのだろう。
「今日、百歳を超えた人が来ていたよ」
「百歳を超しているのに、すごく元気だった」
「杖はついているけれど、一人で歩いていたよ」
「百歳を超しているのに、みんなと同じくらい食べるんだよ」
「それも、パクパクと良く食べるよ」
「すごいねー」
・・・・・・・・・・・・

 話の内容は、前後の入替えはあるものの、だいたい決まっている。

 百歳が珍しくない長寿社会になったといっても、昔の人間の感覚では、百歳を超えることは驚異的な事なのである。
 子どもの頃は、百歳を超えた人がいたという記憶はない。
 母にとっては、さらに貴重な存在に感じるのだろう。

 昔は、今のような万全な医療と介護体制などはなかった。
 認知症が出てくれば、まず食事に問題が出たであろう。
 今のように、症状に合わせた様々な介護食があるわけでもない。
 せいぜい"お粥"位だったのではなかろうか。
 すぐに、体力が落ちる。
 これでは、百歳を超えるのが、至難の業だったのも、うなずける。

 世間の優しさは、今とは比較できないほど満ちあふれていた。
 本来の"老人会"は、介護のデイサービスでの金銭的な集まりではなく、代々引き継がれてきた人との交じりの温かさがあった。
 生きることに関しては、お互いの助け合いがあったから、今ほど大変ではなかったように思う。

 だが、所詮、元気なうちだけだったのではなかろうか。
 認知が始まれば会合には出なくなるだろうし、寝たきりになれば、見舞いに来ることはあっても、それだけであろう。
 一日中、そばに居て、いろいろな遊びをしてくれるわけではない。
 かといって、今のようなデイサービスやショートステイなどの体制などもなかった。
 せいぜい、入院する位である。
 ひとりぼっちで、寝ていれば、精神的にも衰えてくる。
 そして、"一足先に川を渡ろう"、と思うようにな.ったのだろう。

 まだ、百歳の人のことを話している。
 適当に相づちを打つ。
 話しの様子から、施設の様子が目に浮かんでくる。
 百歳の人は、どうも女の人である。
 介護センターに来るのは、週に1回のようだ。
 中肉より、多少太めである。
 品の良さそうな人である。
 でも、名前は、知らない。
 他の参加者と同様、直接は話しをしたことはないようである。

 食器洗いのため、席を立つ。
 しばらくすると、ふすまの閉まる音がする。
 時たま、
「長生きしなくても良いよ」
と言うが、同時に、
「百歳までは、生きる」
とも、公言している。
 百歳の人に負けじと、英気を養うつもりかも知れない。
 土曜日は、入浴のあった日である。
 夕食の後に、しなければならないことは、別に何もない。
 寝るには、少し早い時刻ではあるが、そのままにした。

 2か月ほど雨が続いたが、今日は穏やかな、暑い晴れた日だった。
 久しぶりの爽やかな一日が、終わった。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

亜鉛は、充分?

 
 マーボ豆腐を、つくった。
 料理の手抜きをしたいわけではないが、レトルトの"マーボ豆腐の素"を使う。
 炒めた豚肉と豆腐とを混ぜるだけだから、あっという間にできる。
 マーボ豆腐を作る時は、いつも、ご飯が保温の時だけだ。
 今回は、炊きがけである。
 炊きたてのご飯に、できたてのマーボ豆腐では、口の中がヤケドをしてしまうだろう。
 皿にご飯を盛り、冷ますことにした。

 食べ物の熱さは感じなくなっており、注意しないと、むさぼるように一気に食べてしまう。
 そして、口の中がただれることが、しばしあったからである。
 みそ汁なども、ある程度冷ましてから出している。
 もう一つ、注意している点がある。
 できるだけ軟らかめに作るようにしている。
 噛むことが、極端に少なくなってしまっている。
 口に含むと、味噌汁で流しこむ。
 そのような食べ方をするようになってから久しいが、これだけは注意しても直らない。
 口にいっぱいに入っているのに、次の食べ物を入れようとするのを阻止する位が、せいぜいである。

 冷めたようだ。
 食事に入る。
「カレーライスは、おいしいネー」
「カレーライスは、久しぶりだね」

と言い出す。
 味が分かっているのではなく、いつもの相手を気遣っての言葉だから理解できる。
 ただ、マーボ豆腐をカレーライスと間違えたのは、初めてである。
 カレーライスと勘違いしているのではなく、本当にカレーライスと信じているようなのである。
 理由は、すぐに判明した。
 盛った皿が、いつもカレーの時に使っている皿だった。

 先週、赤飯を作ってみた。
 こちらも久しぶりだったが、何の反応もなかった。
 いつもの茶碗に盛ったから、分からなかったのだろうか。

 味覚に影響を及ぼすものは、亜鉛の摂取量不足だと聞いている。
 心配になって、ちょっと調べて見た。

・偏食、朝食抜き、ファストフードなどの食事による亜鉛不足
・降圧利尿剤や解熱鎮痛消炎剤などのクスリによるもの
・溶血性貧血や糖尿病などの全身の病気によるもの
・舌炎や口内乾燥症などの舌の病気によるもの
・うつ病やストレスなど心因性によるもの


 原因は様々あるようだが、亜鉛不足は間違いなさそうである。
 薬は飲んでいるが、前回の精密検査で太鼓判を押されたから、その他の病気は関係ない。
 最近は、口の中を火傷していないから、これも大丈夫であろう。
 ストレスは、むしろ"こちら"である。
 亜鉛不足になると、どうなるのかも見てみた。

・肌が荒れ、髪がパサつく
・倦怠感がある
・風邪の治りが遅かったり、傷が治りにくい
・物忘れが多い
・イライラする

 肌は年齢よりもツヤツヤしているようだし、"夜の活動"も相変わらず活発であるし、風邪などこの数年間ひいたことはない。
 "物忘れ"だけが、該当しているだけである。
 注意書きに、
・ひとつだけでも該当すると亜鉛不足の疑いがある
とある。
 でも、ちょっと違うような気がする。

 加工食品には、亜鉛を体内から排出してしまう「ポリリン酸ナトリウム」と、亜鉛を吸収しにくくする「フィチン酸」が多く含まれている。
 土壌中のミネラルが少なくなった土地が多くなっており、その地で育ったもの野菜のミネラルも減少してしまっている
とも書かれている。
 いやな世の中である。

 文字通り"味気ない生活"にならないためにも、亜鉛を補給しようと、亜鉛を多量に含む食品を調べた。
 カキと抹茶に多く含まれ、木綿豆腐、卵黄、海草、シラス干し、レバー、椎茸、ゴマ、大根やカブの葉などが良いそうである。
 大人の亜鉛の必要量は1日約10㎎で、大粒のカキなら1つ食べれば1日の所要量を軽くクリアすることができるそうだ。
 カキフライは大好きであり、1日ごとには食べていた。
 充分である。

 ふと、心配な点が湧いてきた。
 味覚の障害ではなく、"見た目の障害"ではなかろうか。
 もう一つは、カキフライを自宅で揚げるのではなく、スーパーから出来合いのものを買ってくる。 
 亜鉛を多く含むカキが、加工食品となったら、どうなるのか。
 これでまた一つ、主治医との"会話のネタ"ができた。

 カキの産卵期に入ったためなのか、6月に入ると、スーパーの棚から、"カキフライ"が消えている。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (1)

梅雨に似会う花は?(3)

 
 子どものころ、向いの大きな家とその隣の家に、見事なアジサイが植えられていた、
 向いの家は男1人女1人だったし、隣の家も男5人女1人で、両家とも一人娘ではなかった。
 ただ、アジサイは、確かに入口近くにだけ植えられていた。
 訊ねたことはなかったので、理由は知らない。
 すでに、向いの家も隣の家も取り壊されてしまって、アジサイが咲いていた痕跡すら残っていない。
 今や、その風景も、思い出の中にしかない。
 親しかった住人たちも、川の向こう岸に行ってしまった。

 牡丹といっている"アジサイ"を、"老人会"で作りはじめたと聞いてから、ずいぶん経つ。
 いつも作っているものは、その日か、せいぜい2、3日で出来上がって、得意げに持ってくるのが常であったはずだ。
 各自作り上げたものを取りまとめることはあっても、グループで1つの物を作り上げることは、今までなかった。
 週に1回の人もいれば、1日おきにやってくる人もいるので、団体作業は無理なのだと思う。
 母のように毎日行っている人は、むしろ珍しい。
 どんな力作か、楽しみである。

 介護センターの入口の正面には、誇らしげな3匹の"鯉のぼり"が、いまだに飾られている。
 紙で作った大きな鯉に、参加者が作ったであろう数多くの"ウロコ"が貼り付けある。
 アジサイも、各人が作った花びらを集めて、"手まり"のようにまとめるのだろうか。
 そうだとすると、結構大きなものができあがり、鯉のぼりと入れ替えられるのかも知れない。

 アジサイには"でんでんむし"が似合うから、カタツムリも作った方が良いと提案してみよう。
 6月の季語には、カタツムリ、カエル、水すまし、アメンボウなど、雨が似合う生き物たちが並んでいる。
 でも、似会うのは、カタツムリだと信じている。
 さらに、雨がシトシトと降り続く中でなければならない。
 これは青い紙テープを垂らせば、いとも簡単に解決できそうである。
 ふと、こちらも"夢の中"で遊び始めたと、苦笑する。
  
 デイサービスで作ってきた折り紙などの作品は、デイサービスに参加してから1年ほど経つが、ずいぶん増えた。
 次の主役が出現するためか、日が変われば話題にすることもないのだが、持ち帰った当日には、一生懸命な説明がしばらく続く。
 連日のように、
「今日も、牡丹の花を作ってきたよ」
と楽しそうに語っていた母は、寝室に入ってしまい、すでに"お休み"である。

 3週連続して、"ドライブの日"が消えることにもなるが、そのままにすることにした。
 新しく入会したと思われる"夢の中の老人会"が、よほど気に入ったようである。
 8週連続で雨だった土曜日が続いていたが、今日はスッキリした青空が広がっている。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »