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2008年10月

無料検診を受診する

 
 地域の高齢者を対象にした健康診断を受けに家を出た。
 住んでいる所の公園を横切ったところにある。
 距離にすれば、400メートルほどだ。
 秋晴れの中、のんびりと病院に向かう。
 歩きながら、
「なぜ、"老人会"に連れて行かないのか」
と、不満そうな質問が続いている。

 病院内は、人であふれていた。
 前もって予約してある。
 まっすぐ総合受付に向かい、尋ねる。
 丁字に曲った突き当たりにある受付けだという。
 指定された受付けは、それほど混んでいなかった。
 予約票と、あらかじめ健康に関するチェック票を提示すると、眼底検査を受けるかと聞いてくる。
 答えようとする前に、検査は別の日になるという。
 断った。
 C型肝炎の検査をするかと聞いてくる。
 躊躇していると、以前に手術などで輸血をしたかという。
 過去に入院すらしたことないと告げると、受ける必要はないだろうと独り言のようにつぶやき、体重と身長を測るからと場所を指で示す。
 事務的というより、無機質な雰囲気である。
 毎日、同じことをしているから、感情も消え去ったのだろう。
 体重はともかく、身長は意味がなさそうと思いながら向かう。
 次いで、カーテンで仕切られた奥で、医師の触診だ。
 聞こえてくる話しぶりから、正面の胸、そして背中に聴診器を当てて検診しているようだ。
 いろいろ話しかけているようだが、会話が成立していない。
 そこは医師である。
 即座に見破り、差しさわりのない質問に変わった。
 そして、呼ばれる。
 はじめから呼んでくれれば、手間と時間の節約になると思ったが、言葉には出さなかった。

 尿検査をするという。
 認知症のため一人では難しいと告げると、なんとかできないかというだけで、先に進まない。
 主治医の所や、介護センターとは違い、手伝ってくれない。
 ここは普通の病院、当たり前である。
 介護センターでの"痒いところに手が届く"ような対応に慣れてしまっているから、何となく物足りない。
 止むなく、コップを渡し、トイレに入るように促す。
 しばらく出てこない。
 あと数分出てこなかったら、看護師に連絡しようと思った頃、コップを片手に出てきた。
 成功したようだが、コップの縁に"大"がこびり付いている。
 漏らしたようだ。
 コップを置く場所に、人がいないのを幸いに、そのまま置いて、すぐさま次の受付に向かう。
 レントゲン、採血、滞りなく終わる。
 無機質な係員のいる最初の受付に向かう。
 事務的に結果を聞く日時が告げられ、すべてが終了した。

 朝から、何も食べていない。
 向かいのスーパーに寄り、牛乳とサンドイッチを買い求め、公園のベンチで広げた。
 お腹が減っていたらしく、口いっぱいに頬張っている。
 周りの木々が色付きはじめている。
 秋の足音が聞こえた。

 空腹がおさまった。
 のんびり、公園の中を散策しながら、帰路につく。
 すたすたと歩いている。
 周りの風景には目もくれない。
 この公園で2か月前、町内会主催の夏祭りが開催された。
 夕食後に連れ出したのだが、ちょっと歩くと疲れたといい、ベンチを見つけると座り込むので、途中で帰った。
 今日は、見違えるような健脚ぶりである。
 まだまだ、"夜のハイキング"には「要注意」のようである。
 
 

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食べることよりも夢で遊ぶ

 
 いつもの朝がやってきた。
 夜明けも、ずいぶん遅くなった。
 日一日と、わずかに昼間が短くなっているのだろうが、気付くことはない。
 ある日、大きく変化していることに気付き、驚く。
 子どもの成長と同じである。

 カーテンを開け、ガラス戸を開く。
 ちょっと前の暑さが嘘のように、心地よい冷気が入ってくる。
 ふとテーブルを見ると、無いはずの物がある。
 準備しておいた夕食が、手つかずのままになっているのだ。
 今まで、なかったことである。
 少なくとも、発見された"獲物"が残されていた記憶はない。
 天ぷら油すら無くなるのに、である。
 壁際の棚にも、お菓子がそのまま残っている。
 不可思議な空間が、そこにあった。

 デイサービスから帰って来て、すぐに寝たのだ。
 お腹が空かなかったのだろうか。
 普通、腹が減ったら、なかなか寝付けないものである。
 そういえば昨夜は、活動の騒音で目覚めた記憶はない。
 気温が下がってきたため、お互いの部屋のドアを閉めているので、単に音が聞こえ難くなったからではなさそうだ。

 最近、朝には、なぜか熟睡している。
 居間に出てきても、なかなか起きてこない。
 手つかずに残された夕食を片付けながら、声をかける。
「朝だよ」
 返事がない。 
 いつものことであるから、反応があるまで声をかける。
 やがて、動き出す音が始まる。
 無言で、這って出てくる。
「おむつを交換して」
「濡れてないよ」
 パジャマの濡れているのが一目で分かるのに、濡れていないと言って譲らない。
「いいから、交換して」
「うん、うん」
 
 再度、出てくる。
 テレビのコンセントを入れる。
 指定席の場所に座り、前掛けをして、食事を待っている。
 一日の始まりである。

 なぜ夕食を食べなかったかを、聞いてみた。
「食べたよ」
「おいしかった」
 夢の中で、豪華な晩餐会でもあったようだ。
 
 

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"お泊り老人会"から帰る

 
 あっという間に、1週間が過ぎた。
 7か月ぶりのショートステイも終わり、迎えに行く日である。
 この間、日ごろ出来ないことを、いろいろ行った。
 ショートステイの抽選に当たったと聞きつけた友が、急きょ設定してくれた旅行にも参加した。
 友というより年下の連中であるが、多少の歳の差があっても、この年になれば友である。
 旅行も楽しかったが、心遣いの方がもっと嬉しかった。
 旅は、昨年の9月以来である。
 その他の夜もお誘いがあり、ずーっと酒を酌み交わした。
 いつもより疲労感を感じるが、心地よい疲れだ。

 狭い駐車場に車を停め、施設に入る。
 エレベーターに乗り込み、引き渡した5階に向かう。
 出る時は、係員に暗証番号を押してもらわなければエレベーターにも乗れないが、入る時は自由である。
 入所しているお年寄りが、外へ出るのを避けるためなのだろう。
 江戸時代の「入り鉄砲に出女」のことが、ふと頭に浮かぶ。
 ここも入るのは出来るが、出ることのできない場所なのだ。
 現代でも、似たようなものがあるようである。
 辞めたくとも生活のため辞められない勤めも似たようなものだと、誰もいないエレベーター内で苦笑いする。

 エレベーターが開く。
 打ち合わせをした部屋は暗くなって、だれもいない。
 テレビの音がする集会所のようなところに向かう。
 数人の職員が、忙しく走り回っている。
 名前を告げる。
 職員が聞き取る前に、ニコニコ顔の母が走って来る。
 ほどなく一人の職員が寄ってきたので、今回の利用料金を渡すと、会計は1階だという。
 ずいぶん前なので記憶は定かでないが、前回はここで支払った。
 説明によると、土曜と日曜だけは事務所が休みなので現場で受け取るが、平日は1階の会計なのたそうだ。
 確かに、前回は土曜日であった。

 その職員が会計まで付き合ってくれ、エレベーターに乗り込む。
「○○さん、迎えに来てくれて良かったね~」
「うん、うん」
「今日も、お泊りになると思っていたものね~」
「うん、うん」
 満面に笑みを浮かべて、返事をしている。
 今日が帰る日だと聞いてから、ずーっと迎えを待っていたという。
 朝食後も、昼食後も、入口を眺め続けていたという。

 帰りに、スーパーに寄って、ご馳走を買っていこう。
 久しぶりに一緒の夕食である。
 そして、いつもの生活が再開される。
 帰るのも忘却する日がこないように祈って、施設を出た。
 
 

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久しぶりの"お泊り老人会"

 
 今年の3月以来、7か月ぶりのショートステイである。
 抽選が当たったと連絡があった翌日あたりに話をした。
 第1回目の時は、偶然だったのかも知れないが、前日に部屋で転んで動けないとの訴えで、急きょ中止した"いわくつき"の"老人会"である。
 嫌がるかと思っていたが、喜んではいないものの、予想したほどの抵抗は受けなかった。
 前回、ショートステイから帰ってくると、
「お泊りの老人会は、2度と行かない」
と言っていたからである。
 まだ先のことだったからか、それとも7か月前のことなど忘れたのであろうか。

 朝食も終わり、老人会に出かける時刻である。
 いつもの手提げ袋を持ってこようとするので、制止した。
 ショートステイの方は、歯ブラシとプラスチック製のコップだけの持参で、あとのすべては施設で準備してくれる。
 小さい方の手提げ袋に、1週間分の薬も準備してある。
 忘れているようだが、大好きな"老人会"ではないと感じ取って、おとなしい。

 施設に着く。
 この介護施設は、縦に長く大きい。
 7カ月ぶりなので、受付けが何階なのか、入口の案内で聞く。
 5階とのことで、エレベーターに乗る。
 黙ったまま、不満そうな顔をしている。
 会議室らしき部屋に通される。
 ほどなく係員がやってきて、手続きに入る。
 やたらに明るい女性である。
 少し遅れて看護師がやって来て、体温と血圧を測る。
 こちらは、口数が少ない。
 対象的、かつコントラストの妙がある。

 一つだけ質問に答えなかった。
「この1週間、お住まいから遠くに離れることはありますか」

 前々日、好く行かないのやり取りが、多少あった。
「行きたくない」
「出張で、いないよ」
「家で待っている」
「1週間、食事しないでいるの?」
「      」
 明るく朗らかな職員でも、出張を理由にしているとは、ご存じあろうはずもない。

 受け入れの打ち合わせが終わった。
 帰りのエレベーターに乗る。
 たまたま、掃除の係りの人が乗っていた。
「お忙しそうで」
と、あいさつ代わりにいうと、施設の実情をいろいろ説明してくれる。
 5階だけがショートステイでゆったりしているが、他の階は特別老人ホームで、ぎっしり入居しているのだそうだ。
 これからの老人社会に夢があるのだろうか。

 教えてもらった暗証番号を、玄関わきにあるテンキーに入れる。
 外に出た。
 1週間の自由な時間が与えられた。
 うれしいはずなのに、なぜか後ろ髪が引かれる。
 好きでもない所に押し込まれ、不安な気持ちであろう。
 そんな複雑な気持ちで、介護施設を後にした。
 
 

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介護センターで打ち合わせ

 
 1週間前、留守電にケアマネージャーから伝言が入っていた。
 要件は入っておらず、返信が欲しいとのことであった。
 翌日の業務の始まる頃に電話をしてみると、別の人が電話に出て、ケアマネージャーは休みだという。
 そちらから伝言があったことを告げて、電話を切った。
 ほどなくして電話が入り、打ち合わせをしたいから、都合を聞く電話であったそうだ。

 約束した時刻が近づく。
 ケアマネージャーと直接話していないので、打ち合わせの内容はよく分かっていない。
 土曜日だけは介護センターの方で送迎してくれる日なのだが、打ち合わせがその30分前なので、迎えも兼ねて車で出かけた。
 歩いても、すぐである。

 奥の会議室のようなところに通される。
 入ったことはない部屋である。
 大きな施設だから、まだまだ知らない"秘密の場所"が、いっぱいありそうだ。
 ケアマネージャー、介護センターの担当者、ショートステイの担当者の3名が入ってくる。
 不思議そうな顔に気付いたのか、今日の打ち合わせの目的を長々と説明してくれた。
 要は、担当者が定期的に集まって、介護のやり方などについて話す事になっているそうだ。
 その後は、こちらに対しての質問が続く。
 当り障りのない内容である。

 ショートステイの担当者とは、3月以来である。
 ケアマネージャーから、抽選に外れたと連絡を受け続けているから、会う機会もない。
 やっと抽選に当たったと連絡を受けたばかりである。
 そのことを告げると、こんどはシートステイの現状の話に移る。
 今の状態から、将来はどうなるのだろうかと心配になってくる。
 7か月も利用できなかったのである。
 昨年、介護認定を受ける際、出張や旅行の時にでもショートステイが受けられると説明されたし、パンフレットにも記載されていたと記憶している。
 現状は、"夢のまた夢"である。

 次いで、介護に係わる人不足の話に移る。
 人員の確保が大変なようだ。
 テレビの番組でも、よくやっている。
 在宅ケアを受けていないから、実感はわかない。

 母が連れられて入ってきた。
 ニコニコしている。
 打ち合わせは終わった。
 外は、うす暗くなっていた。
 
 

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3連休は忙しい(5)

 
 次の夜が明けた。
 親友の一周忌の日である。
 還暦を2つ残しての出来事であった。
 いくら考えても早すぎるが、これが運命というものなのだろう。
 1年の経つのは、年を重ねるほど早く過ぎるように感じる。
 昼食の準備をして、着替えに入る。
 12時になったら食べるように、繰り返して伝える。
「うん、うん」
 返事だけは良いが、出かけるとすぐに食べてしまい、ふとんに包まって夢の中で遊ぶことになるだろう。
 止める手段はないのだから、成行きに任せるしかない。
 昨日も喪服だったのだが、一緒に出かけたから何も聞いては来なかったのに、今日は聞いてくる。
「お葬式なの」
「大変だね」

とはいっても、誰のなのかは聞いてこない。

 メールなどの連絡は交換するものの、違族と実際に会うのは四十九日以来、久しぶりである。
 心の中はうかがい知れないものの、元気であった。
 以前のままで、年を重ねたようには見えない。
 何よりのことである。
 奥さんと娘さん、親友が最も大切にしていた家族である。
 それぞれ人生を楽しんで欲しいと、位牌に願った。

 寺での法要の後、墓参りに向かう。
 結構、混んでいる。
 2か月ほど前に、墓参りをした。
 早朝のせいだったのか、その時は閑散としていた。
 車だったため酒を酌み交わすことはできず、田舎から持ってきた酒をかけてやった。
 今日は、持って来なかった。
 酒も、こよなく愛した友である。
 "近々、酒を持って来るよ"、と心の中で声を掛けた。

 元気なころの母は、葬式があるたび、
「どんどん友達が減ってしまう」
「寂しいねー」
「みんないなくなる前に、私も逝きたいね」
と笑っていた姿が目に浮かぶ。
 そう思う頃の母は、もういない。
 友のことも、語ることもない。
 年が年だけに、辛いことをいっぱい経験してきたと思う。
 もう辛いことに出会う必要もあるまい。
 夢の中であっても、充分楽しんで欲しいと思う。

 帰宅する。
 熟睡していた。
 安らかな寝息だ。
 晴れの天気予報も当たり、さんさんと秋を感じさせる陽が、ベランダに射していた。
 
 

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3連休は忙しい(4)

 
 今夜の活動は、いつもと違う。
 トイレ-ハイキングは、早目に切り上げたようだ。
 部屋からカサカサと音はするものの、そんなにうるさくはない。
 ほっておいた。

 眠りから、呼び起された。
 音は、居間の方から聞こえてくる。
 騒がしいわけではないが、気になる音である。
 そーっと居間に向かう。
 常夜灯の下で、何やら活動している。
 蛍光灯を点ける。
 玉ねぎと戯れていた。
 いたずらをした後に、叱られるとしょんぼりしている幼子のような目をして、こちらを見ている。
 天ぷら油は飲んでも、生の玉ねぎは食べたことはなかったので、出したままにしてある。
 玉ねぎをいじるのは、初めてだ。
 でも、なぜ玉ねぎと戯れているのだろうか。
 聞いてみた。
 はじめは、何の答もかえらない。
 やがて、答えがかえる。
「出しっぱなしにしちゃ、だめじゃないの」
 棚の下に収納してあったはずで、出したのは自分なのに。
 周りには、オレンジ色の網袋から解放された玉ねぎと、茶色い薄皮が散乱していた。

 寝るようにいうと、
「一晩中、変な人が出てきて眠れない」
という。
「どんな人?」
と聞く。
「ちょっと痩せて、ひげ面の人」
 身振り手振りで、説明する。
「変な人で、怖い」
「ずーと部屋に居て、居なくならない」

 今日久しぶりに会った叔父のことである。

 今日の午後、叔父の家から帰る際、
「玉ねぎを持って行け」
と、しつこく言われたが、遠慮した。
 焼香に来たのであって、遊びに来たのではない。
 車に乗り込むと、
「変な人で、怖かった」
「顔を見ないようにしていた」
「目を合わせないようにしていた」
「目が怖かった」

という。
 弟とは、まったく分かっていないようだったし、説明しても意味もないだろうと、適当な相槌だけで済ませた。
 きちんと説明しなかった報いを、真夜中に受けたようだ。

 一つの収穫もある。
 デイサービスからから帰ると、
「今日も。老人会に変な人が来た」
「怖かった」

と、よく言う。
 変な人のレベルが把握できた。
 今まで変な人で眠れなかったとは言わなかったから、あの程度よりマシな人たちなのだろう。

 母の各遺伝子の半分を引き継いでいる。
 父は、最後まで頭はしっかりしていた。
 どちらが勝つか、ちょっと不安ではある。
 
 

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3連休は忙しい(3)

 
 今回の診療帰省での最大の目的に向かった。
 先週に亡くなった従兄弟の焼香である。

 母の実家は、長男である弟が継いでいる。
 場所は、多少離れている。
 田園風景の中にあり、好きな風景である。
 今は""に組み入れられてしまったが、今なお市街地からは離れており、集落に至るまでは水田が続いている。
 田んぼの中に囲まれた集落には、集会所、鎮守様など必要なものは、すべて揃っている。
 "火の見やぐら"も健在である。
 昔懐かしい風景が、時を越えて実在している。

 行くとは連絡したが、何時に行くとは伝えていない。
 玄関前に車を止める。
 降りようとしない母に、声をかける。
 玄関には、喪中の文字がぶら下がっている。
 これさえ無ければ、にこやかな叔父と叔母が出迎えてくれるのだろうが、声をかけると同時に家に入り込む。
 鍵をかけるなど、今風の風習などはない。
 不在ならば、勝手に入ってお茶を飲んでも許される。

 挨拶もそこそこに、焼香のため移動する。
 勝手知ったる家である。
 祭壇の前に座る。
 享年53歳、若々しい遺影が物悲しい、
 やはり、この年で逝くのは早すぎる。
 母の分まで線香をたき、焼香を済ませる。
 
 気丈な叔母は元気な態度で接するが、叔父は無精ひげを生やしているせいか、少しやつれて見える。
 叔母は、何度となく繰り返したであろう経過を、こと細かく説明する。
 言葉の端々に、
「運命だから」
との言葉がはさまれており、むしろ無念さがこもっている。
 無言の叔父の無精ひげが、なおさら痛々しく映り、気落ちの様子を如実に表す。

 めでたい言葉に『親が死に、子が死に、孫が死ぬ』があった。
 順序良く亡くなるのが"めでたいこと"であって、順が逆になるのが最も不幸なことだという。
 "もっともだ"と実感した。

 叔母の説明に、母は相槌を打っている。
 時おり、慰めの言葉も返している。
 対応は、まともである。
 無言の叔父が、お茶を入れてくれる。
 母は、美味しそうに飲み干す。
 やがて、叔母の話が止む。
「おいしいお茶を、もう一杯いただこうかしら」
「初めて会う人に催促するなんて、悪いわね」

 叔父も最近は物忘れがひどいと聞いていたが、予期せぬ言葉に唖然としていた。
 叔父も叔母も、誰だか分かっていないようだ。
 こちらも、驚愕である。
 しっかりしている叔母は、よりショックを受けていた。

 叔父の入れてくれたお茶も、まったく緑の色をしておらず、透明の冷たい水であった。
 電気ポットを見ると、コンセントが抜けている。
 上部に付いているところを押し、空気圧でお茶入れをしていたのだ。
 
 

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3連休は忙しい(2)

 
 診察室を出ると、人が変わったように明るく変貌する。
 誰かれとなく、握手を求める。
「お世話になりました」
「それでは、さようなら」
「元気でね」

 前回の診療あたりから始まった行動である。
 病院の関係者ならまだしも、診察に来ている人や付添い人には、びっくりの出来事であろう。

 診療代を払う場所に向かう。
 ここでも、喜々としている。
 さすがに、制止した。
 おとなしく座ったが、診察前とは打って変わり、観音様のように穏やかな顔に変わっている。
 待っている間に、ふと目に本日の担当医師の変更のチラシが貼ってある。
 医師が違っていた理由が分かった。
 開院前に予約カードを入れてしまったので、分からなかっただけだったのだ。
 支払いが終わると、窓口の職員に向かって同じようなことをいって、手を振り出口に向かう。
「何で手を振っていたの」
「教え子だよ」
 ここにも、幻の若い教え子がいたようだ。

 道路を隔てた薬局に向かう。
 ここでも同じ行動をするので制止し、椅子に座らせる。
 間もなく、カウンターから若い女性が近づいて来る。
 薬局の人がカウンターから出る姿など見たことはない。
 近くに寄ってくる。
 前回の時に、計算を間違えたのだという。
 不足したのだろうと思ったが、10円多くもらったので返却するのだという。
 10円と、訂正した領収書をよこし、ひたすら謝罪している。
 真面目といえば真面目であるが、
「前回お渡しした薬が間違えましたので、交換します」
だけは、避けてほしいものである。

 今回の薬を受け取り、支払いを済ます。
 やわら立ち上がり、
「お世話になりました」
「それでは、さようなら」
「元気でね」

と手を振り、出口に向かう。
「何で手を振っていたの?」
 答えは分かっていたが、聞いてみた。
「教え子だよ」
 ここにも、幻の若い教え子がいた。

 車に戻ると、ふと気がついた。
 教え子は、すべて女性である。
 決して男性に声をかけたことはない。
 女性でも、年寄りや、学生までの年齢の人には声をかけない。
 そうだ、毎日通っているデイサービスの職員の年層と重なる。
 その年層は、すべてが教え子のようだ。
 
 

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3連休は忙しい

 
 1カ月経つのは、早いものである。
 メンタルケアの病院に着く。
 今回は、次に予定が控えていたので、予約時刻の前に行った。
 まだ開いていない受付の前に置いてある予約カード入れの箱に、診察券と予約カードを入れる。
 駐車場に止めてある車に戻り、背もたれを倒し、まどろむ。
 この間、会話はない。
 病院嫌いは続いているし、病院に来ていることが分からなくなってもいないから、不穏で緊張しているのか、来ていることが不満なのかは不明だが、無言が続いている。

 帰省する際、早めの秋に会いたくて、自動車道を途中で降り、いつもの道より少し遠回りの峠を越してきた。
 時折り、うっすらした薄化粧の気配は感じるものの、まだ紅葉は始まっていなかった。
 田舎は雨の天気予報だったが、曇っているもののまだ雨は降っておらず、暑くもなく寒くもなく、心地よく気温であった。

 目覚まし音の音で、まどろみから覚める。
 病院内に入り、待合場所に向かう。
 いつもより混んでいて、いつもの場所が占領されている。
 座れないほどではないが、ゆったりと座りたい。
 ちょっとした常緑樹の植木鉢で区切られているところが、木々の隙間から空いているように見えた。
 誰もいないこの空間は、子どもを対象にした診察のようだ。
 診療科目が科目だけに、雰囲気が暗いのはやむを得ないが、声をかけてる職員だけが、やけに明るい。
 待っている人と、職員の明るさとか゜何となくマッチしない。
 職員まで暗かったら、救いようがないのも事実である。

 やがて、職員に連れられた二人連れが、診察室に入る。
 子どもは、焦点が定まらない目をして、黙ったままである。
 付き添いは母親だろうが、若いというより幼い顔をしていた。
 どのような症状なのか分からないが、可哀想な気持ちがわく。
 知恵遅れの子を持つ家族の大変さは良く聞く。
 子どもが大きくなると、ますます大変になるという。
 認知症の方が、マシのようだ。
 幸不幸は、比較の問題のようである。
 先ほどの二人連れに、幸多かれと祈りたい。

 名前がアナウンスされる。
 呼ばれた診察室の入口には、医師の名が書いてあるのだが、担当医の名ではない。
 他の診察室のいづれにも、担当医の名はない。
 指示された番号の診察室に入る。
 見かけたことのない年寄りの医師である。
 見た目では、とうに定年を迎えてもおかしくない歳だ。
 ロレツも心配な話しぶりで、ほぼ決まった問診が続く。
 でも、何となく、心が和らぐ話し方である。
 こちらの質問にも、迷いなど感じられない的確な回答をする。
 たいした話術である。
 最先端で高度な手術などは体力も必要なのだろうが、メイタルケアでは、人生経験の豊富な年寄りの医師が最高だ。

 それでも、病院嫌いの母は、心を開くことはなかった。
 その点では、まだまだ正常である。
 
 

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無料検診を予約する

 
 数週間前に、高齢者健康診査受診票なるものが送られてきた。
 一昨年は受診したが、どこにも異常はなかった。
 去年は、田舎の主治医の検査で、血圧がちょっと高めの他は異常がないと言われたので、受けなかった。
 先月の診察帰省でも、主治医からは問題ないと言われている。
 よって、今年も、遠慮しようと思っていた。

 介護センターから、検診を受けてほしいとの依頼があった。
 何でも、来所している老人の中に結核患者が見つかったため、肺の状況を調べてほしいとのことである。
 来初している全員を調べるように指導が入ったそうだ。

 数週間ほど放置していたが、申し込みに行った。
 一昨年に受診した病院である。
 近くにあり、地元では、それなりに大きな病院である。
 2年ぶりの訪問だ。
 待合室には、溢れんばかりの人が待っている。
 コンビニ前に若者がたむろするように、病院が老人たちの溜り場だと良く聞くが、ワイワイ、ガヤガヤしているのでもない。
 本当の患者だけのようで、意外と静かである。
 でも、ほとんどがお年寄である。
 病院が若者たちで溢れていたら、逆におかしいだろうと笑いがこみ上げる。

 待たされるのを覚悟して、総合受付に向かった。
 係員は即座に反対側を指さし、専用の受け付け窓口を示す。
 そこに向い、前に立つ。
 二人の係員が、手際よく片づけている。
 慣れたものである。
 数分も待たずに、順番がまわってきた。
 名前と、連絡先の電話番号を聞かれる。
 事前に記入しておく問診票を、ちらりと目で撫でまわしている。
 診察券を持ってきたかと聞かれた。
 一昨年は、この病院で受けた。
 その時に、診察券を渡された記憶が蘇ったが、無いと答える。
 対応している人が、一瞬いなくなり、一呼吸するほどの短時間で戻ってきた。
 片手には、プラスチックの診察券が握られている。
 神業のような気がした。

 すぐに、予約状況が記入してある紙をめくると、明後日は空いているという。
 こんなに近くの日に予約できるとは、予想もしなかった。
 当人にも言っていないし、心の準備も必要であろう。
 次の次の週に、予約を入れた。
 これで終わりである。
 最近、どの場面でも必ず見かけるコンピュータなる文明の利器は、この間には、一切登場しなかった。

 人間の能力の素晴らしさに感動して、病院を出た。
 時計の針は、30分も進んでいなかった。

 残りは、病院嫌いの本人への説得だ。
 
 

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実家も遠くなった(2)

 
 朝食を、終えた。
 介護センターに向かうための、いつもの日課に入る。
「どれを、着ていく?」
「ズボンは?」
「セーターは?」
「上着は、どれを着ていく?」

 出かける前の、いつもの質問を、滞りなく済ませる。
 一日置きの入浴日には、入浴後にすべての衣服を交換する。
 "お漏らし"も多くなったので、連日入浴する日も多い。
 順送りに着る衣服が、目の前にぶら下がっている。
 間違える心配はないのだが、注意しなければならない点は、パジャマを脱がずに、その上に着てしまうことである。
「おむつを交換して」
「うん」
 準備ができた。   
 着替えの入った袋を手に、すでに玄関で靴を履いている。

 何事もなかったかのように、車に乗り込む。
 話題もないので、母の実家のことを聞いてみた。
 しつこく聞くと、面倒くさそうに話し出す。
 知らないことが、いろいろ会話に出てくる。
 今まで聞いていた内容とは、まったく違う。
 よくよく聞いていると、実家の裏側に住んでいる本家の話しだ。
 実家の話は、その中に少し入り混じっている。
 否定する必要もないので、適当に相槌を打つ。
 亡くなった従兄弟だけでなく、叔父の名前は一度も出てこない。
 まもなく、説明が止む。

 質問をしてみた。
「次男坊は、何て言う名前だっけ」
「   」
「子どもは、何人だっけ」
「   」
 無言が続く。
「叔父さんの名前は何だっけ」
「○○だよ」
 祖父の名前である。

 実家の記憶も、徐々に夢の中に納め始めたようだ。
 
 

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実家も遠くなった

 
 昨日、従兄弟の訃報の、第一報が入った。
 母の実家の二男である。
 入退院を繰り返していたようだが、生死にかかわる病気とは聞いておらず、まだ50歳を迎えたばかりだと記憶している。
 家族にとっても、思ってもみない出来事だったようで、電話の向こうからヒシヒシと混乱が伝わってくる。
 事故ではなさそうなので、詳しくは聞かなかった。
 母は長女である。
 いま家を継いでいる長男との間には、三人の姉妹がいる。
 年も離れているし、母から見れば、叔父だってまだ若い。
 その子供が先に逝く。
 叔父の心境は、いかばかりかと思いやる。

 朝食時に、伝えた。
 反応がない。
 田舎育ちであるから、冠婚葬祭は何事にもまさる"催し事"だし、突然やってくる葬祭は、特にそうである。
 予想もしなかった反応だ。
 続いての、
「どうする?」
かの質問にも、まったく返事がない。

 そういえば、最近は実際に会っている時以外は、親戚の話をしなくなっている。
 電話をかけようとしなくなったし、かけようとチャレンジした痕跡も見られなくなった。
 もちろん、電話が鳴っても、取ろうとはしない。
 こちらの部屋にも受話器はあるのだが、電話が鳴ると、
「電話が、かかってきたよ」
と、わざわさやって来て、戸をたたく。
 その知らせる行動も、めっきり減った。
 最近は、在宅している時でも、居間に戻ると、
「おかえり」
と外出していたと勘違いしており、
「電話があったよ」
と報告するようになった。

 実際に外出している時には、長い時間を記憶しておくエネルギーが足りなくなっているようで、その報告も消え去る。
 要件は、留守電に入っているから、何ら困ることはない。
 短時間にせよ、電話が鳴ったことを覚えているだけでも、まだ"マシ"だと思っている。

 土曜日のデイサービスは、朝に連れて行けば、帰りは介護センターの車で送り届けてくれる。
 連絡を受けるのに、なんら問題はない。
 今のところ、式場の場所や日時の連絡もないので、今日は何もなさそうである。
 いつもの通りに、介護センターに預けることにした。
 
 

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久しぶりに財布を盗られた(2)

 
 最初の"盗難騒動"は、5、6年ほど前だったと思う。
 初めに盗まれたという対象物は、通帳であった。
 会社から帰宅すると、今か今かと待っていたようで、
「通帳が盗まれた」
と大騒ぎをしている。
 たまたま月曜の日であり、ちょうど前日に帰省していて、家を空けていた日だった。
 当時も、無人の実家を見に、月に1回は帰省していた。

 あまりの剣幕に、疑いなど思いもつかなかった。
 すぐさま警察に電話をするため、こちらの被害も確認しようと自室を調べた。
 荒らされた様子などまったくなく、何も盗まれていなかった。
 ホッとすると同時に、動転していた気持ちが修まった。
 年を取れば、物忘れが多くなる。
 きっと、しまい忘れたのだろうと、単純に考えた。
 認知症の知識に関しては、まったくの無知だった。
 発症を疑うことなど、露ほどもなかった。

 居間に戻り、しまい忘れだろうから探すように言う。
 なかなか動こうとはしない。
 やがて、その理由が話の中に出てきた。
「通帳が盗まれた」
から、
「通帳を返せ」
に変わる。
 何のことはない。
「14階の住まいに、泥棒など入るわけはない」
「でも、通帳がなくなった」
「ここには、二人しか住んでいない」
「自分が盗むわけがない」
「だから、返せ」

なのだろうと、勝手に類推した。

 その当時は、母の部屋に入ったりすることなどなかったので、納めてあったところを再度探すように言う。
「一日中、探してもなかった」
「盗んだ」
「返せ」

と言い張り、なかなか探そうとしない。
 疑いがはれる様子もないため、警察を呼ぶから、もう一度探すように強要した。
 しぶしぶ探すと、すぐに見つかった。
 見つかると、今までの疑ったことを悪びれることもなく、何もなかったような態度に戻った。
 生涯の中でも、大きなショックの一つであった、
 失望と同時に、腹も立った。

 それでも、認知症の代表的な症状だとは、思いもしなかった、
 それらに関する知識など、持ち合わせてなかったのである。
 1、2年も経つと、盗難騒動がちょくちょく発生するようになった。

 やがて、
「通帳を盗んだ」
から、
「お金を盗んだ」
に変わっていく。
 自分で買い物をしたのを忘れるのは良い方で、入ってもいない金額が入っていたと主張し、なぜ盗んだのかを咎める言い方に変わっていった。
 いつもの優しそうな雰囲気は、みじんもなく消える。
 腹が立つことより、虚しさだけが残った。
 その後の介護生活に入る"きっかけ"の一つである。
 紆余曲折はあるものの、着実に夢の世界に入り続けている。


 今日も、朝を迎えた。
 久しぶりに、陽が射している。
 すがすがしい秋晴れである。
 数時間前の"騒動"のことを、聞いてみた。
「財布は、あるよ」
 
 

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久しぶりに財布を盗られた

 
 戸を叩く音で、目を覚ます。
 寝ている部屋の前には、ダンボールが3箱積み上げてある。
 本がぎっしり詰まっていて重く、多少のことでは動かない。
 向かいにある風呂場と間違うのを防ぐためもあるが、主な役割は、侵入を避けるための砦である。
 柵を設けようとも考えたが、段ボールの方が柔らかく、ぶつけても怪我をしないだろうと思い、そうした。

 その砦の向こうで、何やら喚いている。
 意識が徐々に、はっきりして戻ってくる。
「財布が無くなった」
「財布が無くなった」
・・・・・・・・・・

と、繰り返して言いながら、戸を叩き続けている。
 真夜中だ。
 隣の住人にも、響きそうな音である。

「真夜中だよ、うるさいよ」
 ドア越しに、注意する。
「財布が無くなった」
「真夜中だよ」
「財布が無くなった」
「朝になったら、探してあげるから」
「財布が無くなった」
 やめる様子は、まったくない。
 訴えは、続く。

 止む無く、部屋から出ていく。
 パジャマのままの姿である。
 半年前は、パジャマに着替えさせても、外出着に着替えてしまい、その姿で寝ていた。
 いつしか、着換えたパジャマで寝るようになったが、"夜のハイキング"の際には、やはり取り替えてしまう。
 今日は、外に出かけるつもりは、なさそうである。
 当たり前のパジャマ姿が、不思議に感じてしまう。
 こちらも、感覚がずれてしまったようで、心の中で苦笑する。

 寝室に連れていく。
 訴えは、続いている。
「財布が無くなった」
が、いつしか、
「財布が無い」
「財布を取られた」
「財布が盗まれた」

に変わっている。

 この1年、買い物をしたこともないし、財布をいじったこともないはすである。
 最近は、財布のことを口に出すことすらない。
 少なくとも、今年に入っては、まったくない。
 思い当たることは、介護センターでの"買い物ゲーム"である。
「楽しかった」
とニコニコしながら話していた姿が、すぐに浮かんだ。
 きっと、買い物の楽しい思い出が、よみがえったのだろう。
 世の中、良いことだけでは済まないようである。

「盗ったのは、誰だか分かっている」
「財布を返して」

に変わった。
 "盗難騒動"は、終焉に向かっている。

 先ほど叩いていたドアは、向かいにある風呂場の戸であった。
 
 

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