« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

温かい心遣いに囲まれる


 正月を迎える準備は出来た。
 鏡餅などの飾り付けは、すでに3日前に供え付けた。
 それなりの大掃除も、済んだ。
 料理の方も、すべて買い終えた。
 郷土料理の素材も、月初の診療のための帰省で買い求めてきた。
 
 今年も、こちらで正月を迎える。
 故郷で新年を迎えなくなって、何年たつだろうか。
 親類縁者は、当然、故郷の方が圧倒的に多い。
 さらに、秋に母の実家で不幸があったから、そちら関係の方は、控え目な正月になるだろう。

 今年のお歳暮には、異変が起きた。
 メタボの体型を心配したためなのか、酒類が半減したのである。
 寂しい気もするが、察知して、帰省の際に地酒をしこたま仕入れてきたから、不足はない。

 その代り、例年にはない様々な種類がお目見えした。
 鮭の切り身、数種類の魚の切り身、鮭の切り身の粕漬けなど魚が激増した。
 骨のある魚は、食卓に上らなくなった久しい。
 骨を取って食べることが、できなくなったからである。
 止むなく、正月の訪問者用にしようと中身を取り出し、冷凍庫に保存しようとした。
 ふと、リーフレットの文字に釘付けになった。
 骨は取り去ってあると書いてある。
 そのような魚が売っているとは聞いていたが、実際に目にしたのは初めてである。
 食事処で、小骨まで無い魚を食べた記憶はあるが、それがそうだったのかは聞かなかったので、今でも知らない。
 
 次の魚には何も書いていない。
 こちらは、来客用にしまった。
 次の魚にも、小骨無しとの表示がある。
 余計な手間がかかっているのだろうから、ずいぶん高いのだろうが、その心遣いがとてもうれしい。
 贈り物そのものより、その心配りがとてもうれしかった。
 今晩からいただくことにした。
 久しぶりの焼き魚が、今夜の食卓を飾ることだろう。

 りっばな小箱に入った"お粥セット"も、送られてきた。
 "梅"から始まって、"ホタテ粥"、"ずわいがに粥"、"たらこ粥"など、食欲をそそる種類のお粥である。
 こちらも初めてである。
 最近は、噛むことも怪しくなっている。
 ありがたい贈り物である。
 心遣いがありがたい。
 ハム類、ソバ・うどん、醤油、味噌なども例年通りである。
 見えることろに出しておくと、一晩で無くなってしまう大好きなミカンも、見えない所に確保してある。

 農家に嫁いだ母の妹たちから、米が大量に送られてきている。
 豊作だったのだろう。
 つきたての餅も、いま母の妹から宅配便で着いた。
 2、3か月は、籠城できそうである。

 温かい心遣いに囲まれて、新年が迎えられる。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

今年も、もうわずか

 
 昨夜は、忘年会の2次会に参加しないで帰った。
 早めの帰宅だったが、当然、寝ていた。
 寝ていても、別に問題があるわけではない。
 "夜のハイキング"が始まる前に、帰宅しておくだけだ。
 最近の帰宅パターンである。

 朝食を終える。
 食器を洗っていると、ゴソゴソ音がする。
 外出着に、着替えはじめたようだ。
 今年最後のデイサービスは、昨日で終わった。
「今日から、"老人会"は休みだよ」
「何で?」
「お正月だから」
「何で?」
・・・・・・・・。

 不満そうである。
 同じような会話がしばらく続き、
『今日は老人会に連れて行って貰えないようだ』
と認識できた途端、自室に戻り、ふとんに入ってしまった。
 もう少し大掃除をしたい残りもあるし、正月を迎える料理の下ごしらえもしたい。
 昼食に起こすのであるから、そのまま寝かせておいた。

 今年も、もうわずかである。
 様々な新しいことを体験した1年であった。
 今年一番の出来事は、ショートステイを始めたことである。
 最初のショートステイから帰った時に、
「あそこの"老人会"は、変な人ばかり」
「もう行かないよ」

と、お気に召さなかったようである。
 今でも、
「お泊りの"老人会"だよ」
と言うと、
「行かない」
と完全拒否される。

「出張にいっていないよ」
「     」
「1週間も、いないんだよ」
「     」
「なにも食べないで、いられるの?」
「     」
・・・・・・・・・・。
 出かける際には、長い長いセレモニーが繰り返される。
 "嘘も方便"とは言うが、送り届けて建物から出る際に、後ろ髪を引かれるのは、今でも変わっていない。

 ワーストのトップは、"お漏らし"が常態になったことである。
 施設の係り員には、
  ・トイレには一人で行くように指導してほしい
  ・できるだけ昼は起きているように注意してほしい
の2点を頼んである。
 最後のショートステイから帰る時に係員からは、
「一人でトイレにいくのは、もう無理ですよ」
と言われた。

 1年はあっという間に過ぎたが、夢の世界の方も、着実に後を追っているようである。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

一足先に干支が訪れる

 
 ウシが2頭、やってきた。
 それも、金色に輝いているウシだ。
 真っ赤ではあるが薄っすらとした初日の出が印刷されている色紙に、しっかりと貼り付けられている。
 2頭の大きさは若干違うので、牡牝のウシであろう。
 金色の折り紙で折り込まれたものだが、立体感もある堂々とした姿で、立派な角も生やし、なかなか見事である。
 
 ここ数週間、
「"老人会"で、ウシを作ってる」
・・・・・・・・・・
「"2匹目"のウシを、作っている」
・・・・・・・・・・
「ウシが、できたよ」
・・・・・・・・・・
「ほかの人のウシを、手伝っている」
・・・・・・・・・・

と繰り返して、何度も何度も"ウシ"に関する報告を受けた。
 当初は、何のことなのか分からなかった。
 その内に、干支のウシであることは分かったが、ここまで見事だとは想像していなかった。

 昔の田舎では、ウシのことを"ベコ"と呼んでいたが、今では民芸品を呼ぶとき以外は、あまり使わない。
 ウシの鳴き声によるものだと、幼きころに教えられた。
 今では「モー」であろうが、昔は「ベー」と聞こえていたそうで、鳴き声に「こ」を付けた呼び名である。
 イヌを「わんこ」と呼び、ネコを「にゃんこ」と呼ぶのと同じである。
 今回の一連の話しの中で「べこ」とは一度も言っていない。

 田舎の一部の地区では、今でも神の使いとされている。
 別に、ヒンドゥー教だからではない。
 そのためではないが、幼きころは牛肉を食べた記憶はあまりなく、いつも豚肉であった。
 単なる貧乏だったためだろうが、今でも豚肉の方が好きである。
 今では地名の付いた、いわゆるブランド牛なるものもあるが、やはり豚肉の方が心休まる。

 翌日から、棚の上に飾られた。
 隣に、同じような色紙がもう1枚ある。
 今年の干支であるネズミだ。
 公的介護を受けるようになって、2回目の正月を迎えるのだ。
 早いものである。
 ふと介護の生活を始めたことを思い巡らす。
 症状も、ずいぶん進んだ。
 いつまで、干支を作り続けられるだろか。
 ぜひとも、十二支を揃えたいものである。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

今年最後の帰省(次女になったⅡ)

 
 状況を詳細に説明する話しが、続いている。
 叔父も叔母も、教職を全うした人だ。
 人に教えるような話し方で整理されているが、淡々とした叔父独特の話し方が続く。
 都会に住んでいる2人の息子たちも、昨夜に駆けつけて来て、一晩中、付きっ切りをしたそうだが、先ほど帰ったそうだ。

 聞いている中、寝たきりになったころの記憶が降って湧く。
 最初は、自転車での転倒だった。
 骨折をして、数カ月の入院をした。
 一時は普通の生活に戻ったものの、不自由な後遺症が残った。
 良い意味での気位の高い叔母であったから、肉体的な後遺症より精神的な苦痛は、人一倍だったろう。
 1年もたたないうちに、脳溢血で自我を失った。
 素人の考えだが、ストレスだったと今でも思っている。

 切々とした説明は、今だ続いている。
 突然、母がイスから立ち上がった。
 叔母に近づき、酸素マスクから空いている頬をさすり始めた。
 励ます声、語りかける言葉をポツリポツリと発しているが、よくは聞き取れない。
 しばらく、為すがままにしておいた。

 幾度なく繰り返されていた叔父の説明も終わった、
 帰りの挨拶を済ませ、話しかけている母を促す。
「頑張ってね」
「また来るからね」
「さようなら」

 呼応したように、叔母の目と口が動いた。
 単なる条件反射なのだろうが、そうではない様に見えた。
 別れを惜しんでいるように映った。
 そう信じたくなるような、動きだった。

 義理のに向って
「姉を、よろしくお願いします」
と、深々と頭を下げた。
 一瞬、びっくりしたような表情をしていたが、そこは人生経験の豊富な元・校長、うまい相づちで対応した。

 部屋を出て、エレベーターで降り、スリッパを履き替える。
 先ほどの、誰にも会うことのない連絡通路で聞いてみた。
「〇〇は、お姉さん」
「私は、次女だよ」
「私が、すぐ下の妹」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 ≪寝たきりの病気になっている≫
   → ≪だから、年上≫
   → ≪年上だから、姉≫
   → ≪姉だから、私は妹≫
 そんなところだろうが、85歳も越せば年の差や上下関係など、どうでもよいことだ。
 頬には、二筋の涙が流れていた。
 涙を見たのは、久しぶりである。
 前回の涙はどのくらい前だったのか思い出せないほど久しく、ここ数年は見ていない。
 うれしかった。
 心の温かさは、失っていなかったのだ。

 まだ涙が乾ききっていない母に、ハンカチを渡した。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (1)

今年最後の帰省(いつしか次女になった)

 
 容体が急変したと連絡のあった叔母の見舞いに向かった。
 病院の玄関脇にある駐車場に、車を停める。
「行かないよ」
「車の中で待っている」
 初めての病院とでも思ったのだろう。
 とにかく、病院嫌いは直っていない。
「見舞いだよ」
「だれの?」
「〇〇さんの」
「       」
 最後の返答はなかったものの、自分の診察ではないことを確認したようで、やっと車から降りた。
 受付を素通りし、待合室も通り過ぎる。
 こちらの病院も、大勢の人たちで混んでいる。

 何度も見舞いに来ているから、勝手知ったる病院である。
 突き当たりを曲ると、無味乾燥な鉄の扉がある。
 ここからは、病気を治すという病院本来の業務から離れ、介護を主な対象とした区域になる。
 意識の無くなり、寝たきりの人などが収容されている。
 同時に、認知症が進んだため、家庭では介護が難しくなった人たちを収容する病棟にも、通じている。

 植物人間という言葉があるが、今でも馴染めない。
 意志を伝える手段を失っただけで、 決して尊厳までを失ったわけではない。
 人間であることに、変わりはないはずだ。
 10数年以上も前、筋萎縮性側索硬化症を罹っている理論物理学者ホーキング博士の講演を、聞きに行ったことがある。
 ずいぶん後ろ席であったので、顔の表情までは窺えなかったが、一般人と遜色のない確固たる意志を持っていた。
 研究に対する情熱も、ひしひしと伝わってきた。
 植物人間という言葉には、単に生きるだけのサポート、言いかえれば、"水だけやっていれば良い"というニュアンスを感じるのは、私だけだろうか。

 疲れなど感じさせない歩き方で、黙々とついて来ている。
 最近は夜のハイキングが減ったといっても、鍛えた足腰は、さすがである。
 まだ少し疑っているのか、軽快さはない。
 連絡通路を進むと、また鉄の扉がある。
 中に入ると、スリッパに履き替えるようになっているが、今までは無かった"使い捨てのマスク"が置いてあり、着用するよう注意書きが添えられていた。
 インフルエンザが流行しているようだ。
 エレベーターの近くの壁に、
  "インフルエンザ流行のため当分の間、面会謝絶~~~"
と大きな告知が貼られている。
 雪が降るような季節であり、数日も待っていられない。
 病院棟からここまで、誰一人とも会わなかった。
 忠告を無視して、エレベーターに乗り込む。

 エレベーターが開くと、すぐ前に受付がある。
 係員らしい看護師が近づき、"面会は出来ない"という。 
 叔母の名前を言うと、
「〇〇さんなら、面会できます」
といって、案内をしてくれる。
 面会謝絶でも、叔母なら会っても良いと言った。
 案内されている方向も、前に来た病室の方角ではない。
 叔母なら絶対にインフルエンザには罹らないから良い、という意味ではなかろう。
 もう罹っても罹らなくても良い、という意味であろう。

 着いた。
 叔父がいた。
 広々とした明るい部屋の真ん中に、ペットが置いてある。
 家族や親戚が大勢来ても、囲める広さがある。

 驚いた様子をした叔父と型どおりの挨拶を済ませると、詳細な経過の説明が始まった。
 叔母の顔に、元気なころの面影を見つけることは難しかった。
 昨夜に、覚悟の電話をもらっていなければ、驚いてしまうほどの変わり様である。

 母は、近づこうとしなかった。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

今年最後の帰省(冬の医師は忙しい)

 
 主治医に向かう。
 個人医院であるが、なぜか駐車場は広い。
 満車になるほど患者が押し掛けたら、とても今の待合室では入りきれないほど広い。
 舗装された敷地にきちんと白線も引いてあるが、ここでは1台置きに駐車している。
 都会では考えられないほど、ゆとりがある。

 その駐車場が、4割ほど埋まっている。
 今まで見たこともない光景である。
 入口でスリッパにはきかえ、待合室のドアを開ける。
 立って待っている人も大勢いて、異様である。
 看護婦5人は、いつになく忙しそうに走り回っている。
 予約してあるわけでもないので、そのうちの1人に後日来ると告げると、顔見知りの看護師が大丈夫だといいながら、折りたたみ椅子を持って来て、母を座らせる。
 待たされるのを覚悟して、待つことにした。

 今日の患者たちは、若すぎる。
 いつものお年寄の懇親会メンバーではない。
 メンタルケアの病院で、あちこちに貼られていたインフルエンザのポスターを思い出したが、咳をしている人などいない。
 この病院には馴染まない雰囲気が漂っている。
 20代と思しき男女が数人、両親に連れられての幼児、働き盛りの壮年など、見慣れない""がいっぱいいる。
 常連客であるお年寄りが、小さく見える。

 椅子が温まらないほどの時間で、診察室に入れという。
 医師に、皆に悪いから診察の順番は守ってほしいというと、インフルエンザの予防接種を希望している人が、土曜の日に押し掛けたのだという。
 看護婦がやってきて、合図をすると、
「ちょっと待って下さい」
といって、カーテンで仕切られた場所に消える。
 次々に入って来る人の足音が聞こえる。
 突然、幼児の泣き叫ぶ声が、静寂を破る。
 続いて、みんながあやしている声が重なり合ってくる。
 微笑ましく感じ、なぜか心が和む。

 医師はすぐに戻り、問診というより、雑談に入る。
 昔話も加わるが、脈を取ったり、聴診器を当てて、心音や呼吸音などを調べており、抜かりはない。
 母も、まともに対応している。
 看護師によって、数人分のインフルエンザ注射の準備ができると、カーテンの奥に消える。
 数回繰り返した後に、一応の診察が終わる。
 ここでも3か月分の薬を依頼する。
 医師は、、椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。
「今年は、大変お世話になりました」
「そちらも、がんばってね」
「良い御年をお迎えください」
「左様なら ご機嫌よう」
 年長者を敬愛する良き慣習は、まだ健在であった。
 一瞬ではあったが、健在な母が、そこにいた。
 
 ただ、
「予防接種をしましょうか」
とは、聞いても来なかった。
 風邪などひいたことがないと、しっかり把握しているのだ。
 さすがは、母におしめの交換をしてもらったほど、知り合っている主治医である。

 外に出るため、待合室を通る。
 まだまだ、人があふれている。
 ここには、不況感などなかった。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

今年最後の帰省(病院嫌いは変わらない)

 
 朝食を終え、予約した時刻より30分前に到着するように、まずメンタルケアの病院に向かった。
 前回、予約した時刻に行ったら、ずいぶん待たされたからだ。

 母を車中に残し、受付に向かう。
 まだ開いていない受付の前に設置された箱に、予約カードを入れて、すぐに車に戻る。
 カーナビの画面をテレビに切り替え、田舎の様子を伝えるチャンネルに合わせる。
 標高の低い裾野に点在している人気のスキー場は、どこも雪不足と伝えている。
 大活躍している人工雪を作る機械の後には、白くなったコースが見事に出現している。
 便利な世の中になったものだ。
 標高が高いスキー場は、それなりに積雪があるように見えるが、一部だけのコースでの開場だそうだ。

 テレビは見ていない。
 不安というより不満そうな顔をして、外を眺めている。
 好きではない病院は、変わっていないようだ。

 開院の時刻になった。
 予約は開院の時刻であり、カードも30分前に入れた。
「車の中で待っているよ」
 想定外の返事である。
 当人が行かねば、診療の意味がないだろう。
 行くように促す。
 しぶしぶ、車から出る。
 嫌いであることも、しっかり覚えているようだ。

 予約カードは提出済みなので、まっすぐに待合室に向かう。
 あちこちに、インフルエンザのポスターが貼ってある。
 田舎でも、インフルエンザが猛威をふるっているようだ。  
 ほどなく、名前が呼ばれる。
 いつもより、待合人は少ないが、それにしても早い。
 作戦は、成功した。

 指定された番号の部屋に入る。
 担当の医師が、いやに愛想が良い。
 医師があまりにも愛想良いのは、何となく似合わないと思ったが、口には出さなかった。
 そういえば、前回の診療は、違う医師であった。
 担当の医師が急用のため、代行とのことだった。
 年配というより、ずいぶんな年寄りなのだが、経験が豊富であり、質問への回答も適切だったので、好感がもてた。
 この医師が担当の方が良い、とまで思った。
 いくら精神科の医師でも、そこまでは読めまいと苦笑したが、顔には出ない様に作り笑いでごまかした。

 積雪の季節を迎え、車での帰省が難しくなるので、3ヵ月分の薬が欲しいというと、あっさり了承する。
 変わり映えのしない問診の後、血液検査をしたいという。
 反対する理由もないし、患者側に選択するすべもなかろう。

 指定された部屋に向かう。
 看護師が5、6人、たむろしている。
 その内の1人が、紙コップを持って来て、尿を採ってきてほしいという。
 単独では無理だというと、あっさりと引き下がる。
「それでは、一緒に手伝いますから」
というのを期待したのだが、中止されてしまった。
 血液を採取して、すぐに解放された。
 釈然としないまま、支払いの窓口に向かう。

 前回と同様、母の態度が豹変する。
 鬱から、躁に変わっている。
 あたり構わず、誰にでも、
「お世話になりました」
「さようなら」
「ごきげんよう」

 近くにいる人には、握手を求める。
 そして、足早に出口に向かう。

 健脚ぶりは、まったく衰えていなかった。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

今年最後の帰省

 
 夜明け前のドライブは、すがすがしい。
 陽が昇るのが、先月よりさらに遅くなった。
 行き交う車の数も、ずいぶん少ない。
 診療のための帰省も、今年最後である。
 田舎に向かって、快調に進んでいる。

 窓を、少し開ける。
 すこし高めの温度に設定した車中に、ひんやりした外気が一気に入って来て、心地よい。
「今日は、雨だね」
 暗闇だし、星はおろか月さえも見えないものの、雨など降ってはいない。
 降る素振りもなく、ワイパーも作動していない。
「雨なんて、降っていないよ」
「降っている音がするよ」
「聞こえないの」

 窓を少し開けたため、冷気とともに路面を叩くタイヤの音も侵入してきた。
 強いていえば、雨の音と近いともいえる音だ。
 一般の道路と違い、ライトに照らされる前方は遠く暗く、はっきりと識別できる距離のものはない。
 周りの暗闇は、夢の世界で置き換えられ、こちらの世界の音と相まって、雨が降っているのかも知れない。
 いずれ夜が明けけば、納得するだろう。
 少し寒くなってきたので、窓ガラスを閉めた。
 雨の論争は、すぐに切り上がった。 

 前の夜、叔父から電話があった。
 母の妹である叔母の具合が、急変したとの連絡であった。
 医師から、いつ最悪の事態になってもおかしくないと通告されたので、姉にだけは連絡をしたとのことであった。
 前回の帰省の際、母の実家を訪ねたが、継いでいる実弟すら誰だか分からなくなっていたのて、伝えなかった。
 叔母への見舞いが、今回の帰省の目的の一つには加わった。
 いつもは、高速道路を途中で降り、季節ごとの素敵な場所を楽しみつつ向かうのだが、目的が増えた今回は、そのまま田舎に向かって一直線に進んでいる。

 夜が明けた、
 メインの道路に別れを告げ、田舎に向かう高速道につながっているジャンクションに入る。
 走行している前後の車が、極端に減った。

 田舎は例年になく、暖かいという。
 積雪によるチェーン規制なども出ていないから心配はないのだが、途中の峠は越さねばならないし、最後のトンネルを抜けた先は日本有数のスキー場の集まった場所である。
 習慣的に、外気温の表示に切り替える。
 車外は5℃、師走の夜明け時にしては暖かい。
 経由地の中では一番の豪雪の地域に至るが、気温は1℃下がっただけで、4℃もある。
 凍結も心配なさそうだ。

 ちょっと窓を開けた。
「また雨が降って来たね」

 いつもより1時間以上も遅く出発したのだが、もうすぐ着く。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

暖かい日には短い下着が欲しい

 
 介護センターで入浴時に着替えた衣類を、洗濯機に入れた。
 入浴日にあわせ2日置きの日課であるが、"お漏らし"した日も入浴するので、連日が多くなっている。
 以前は、ビニール袋に入っているシャツ、ズボン、下着などを、確認せずそのまま入れて洗濯していた。
  過去に2度ほど、使用したテッシュペーパーが入っていて、衣類に波の繊維がまとわりつき、閉口したことがある。
 その失敗があるから、今はチェックしている。
 見慣れないものが、入っている。
 膝小僧までの長さに切られた"股引"だ。

 "股引"という言葉は、最近、死語のようである。
 古くは、木綿地で仕立てられ、腰と足首とに締める紐が付いていて、主に職人たちの仕事着のことだったそうだ。
 今でも、祭りの担ぎ手などに見かけるが、ここで言う"股引"は、防寒用のズボン下のことである。
 田舎だけの方言なのかもしれないが、田舎の年配者の間では、今でもそう呼んでいる。

 前に若者たちに聞いてみたことがある。
 いろいろな呼び方をしていた、
 "タイツ"という呼び名は、バレエが目に浮かび、似合わない。
 "ロングパンツ"は、"ホットパンツ"は、短い下着をイメージしてしまい、これも違う。
 "フルレギンス"は、毛糸で編んだ乳幼児用のものだろう。
 "フルレングス"も、コートを思い出す。
 "8分長ボトム"、"10分長ボトム"などは、イメージすらわかない。
 やはり、"股引"は"股引"と呼ぶ方がピッタシである。

 切り口は解れてもいないから、最近、切られたようだ。
 いやな予感がした。
 日常使うために使っている"下着入れ"の中を覗く。
 予感は当たった。
 その中の"股引"は、すべて断ち切られていた。
 冬が始まったばかりなので、半分は下ろし立てであった。
 上下に半分づつ、左右は別々に泣き別れした膝から下の部分は、無残な姿で捨て置かれている。
 昨日の真夜中は、いつもより静かだと思いだしたが、暗闇の中に一条の光の中で、もくもくと作業をしていたのだろう。

 なぜ切ったのか、謎である。
 介護も1年半を過ぎ、大概のことは推定できるが、いくら考えても理解できない。
 無性に、理由を知りたくなった。
 せん無きこととは思ったが、聞いてみた。
「切ってないよ」

 わが家に、暖かい日のための"四分股引"が、新たに誕生した。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

来年の"牛"を作った

 
 介護センターの入口の正面から、十五夜の月さまが消えて、クリスマスツリーが設置された。
 お月さまに添えられていたススキの穂は、小さな花瓶に入ったまま、そのまま飾られている。
 ツリーは、七夕の笹竹と比べて、ずいぶん小さい。
 願い事を書いた短冊などは吊るさないのだろうから、これくらいの大きさで十分なのだろう。
 もう二十日ほどで、クリスマス。
 そして、すぐに新年を迎える。
 
 昨夜、デイサービスから戻ってから、同じことを語っている。
「老人会で、牛を作ったよ」
「大っきいのと、小っちゃいの」
「来年は、丑年だって」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 朝食の時だけでも、10回は繰り返していた。
 目がきらきら輝いているから、いつもと違う作業なのか、よほど気にいった何かがあったのだろう。

 田舎には、生まれ年の干支によって、守護してくれる"守り本尊"が定められている。
 "守護仏"とも呼ばれる。
 自分の"守り本尊"を本尊としている寺院に参拝し、御守御札を求め、身に付けたり、床の間などに祀り願う。
 干支によって、虚空蔵菩薩だったり、観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不動明王、阿弥陀如来だったりと決められている。

 子供の頃は、まったく興味がなかった。
 兄弟とも別々であるから、家族そろって出かけるわけでもないので楽しいはずもなく、あまり思い出としても残っていない。
 縁日に訪れたとも、記憶していない。
 ただ、神棚には、各人のお札があった。
 大半が寺院なのに、祀ってあったのは神棚だった。
 細かいことを言わないのが田舎なのだろうが、不思議である。
 昔ほどではないにしろ、田舎に住む人々の間では、今でも引き継がれている。

 田舎に帰るたびに墓参りはしているものの、"守り本尊"にはご無沙汰している。
 次回の診療帰省には、久しぶりに訪ねてみよう。
 干支最後の「亥」だから、阿弥陀如来だったはずだ。
 迎える86歳の年を、楽しく、無事に過ごせるように。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

愛読書の暦も消えている

 
 早くも、師走に入っている。
 昔と違って、正月を迎える準備が特別あるわけではないが、きっかけとして大掃除はしようと思っていたところ、本棚の片隅に、神宮館暦を見つけた。
 控え目にあるためか、意識していなかった。
 神宮館開運暦、神宮宝暦、神宮館運勢暦、いろいろな種類が並んでいる。
 今年の分はなく、その前の年までの9冊がある。
 呼び寄せてから、10年もの月日が経つのだ。
 この10年は、あっという間だった。
 時の過ぎるのは、歳を重ねるほど早くなるようだ。

 子どもの頃は、何事にも運勢暦を開いていたと記憶している。
 自分の分だけでなく、家族の分も見ていた。
 信じていたというより、活用していたという雰囲気であった。
 良いことが記載されていれば、素直に喜ぶ。
 良くなければ、その点を注意して一日を過ごす。
 「人には優しく」、「軽率な行動はしない」、「争いは避ける」、「万事控え目に」、「相手への思いやりを大切に」、「多忙な時ほど慎重に」などなどである。
 占いというより、何人にも当てはまる行動指針であろう。

 田舎には田舎の暦があったように記憶している。
 その頃の暦が、どこで発行していたものかは記憶していないが、いま棚に並んでいるのは神宮館運勢暦である。
 今年の分はない。
 その前の年には、まったく手に取ろうとしなかった。
 欲しいとも要求されなかったので、購入しなかった。
 前の前の年の暦を取り出してみると、半分あたりまでしか、開いた形跡がない。

 今から思うと、2年半前からずいぶん認知症が進んでおり、人生の大半を友にしてきた行動すら奪ってしまっていたようだ。
 当時は気付きもしなかったし、想像もしていなかった。
 さらに、その前の年の暦を取り出してみる。
 使い古された懐かしい暦である。
 温もりが感じられ、今でも元気だった頃の痕跡が残っている。

 何やら、運気のないことが書いてあったのだろう日には、
「車には気を付けなさいよ」
「寄り道しないで、学校からまっすぐ帰ってくるんだよ」

などの一言を背に受けて、学校に向かったものだ。
 40年ほどの歳月が流れ、現在の住まいに呼び寄せた当時も、
「車には気を付けなさいよ」
「お付き合いがあっても、あまり飲み過ぎない様にしなさいよ」
とあまり変わってはいなかった。
 いつしか、夢の世界の中に消えた。

 そうだ、今年は買ってこよう。
 来年からは、こちらから伝えてあげよう。
 
 

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »