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2009年1月

演題が変わった

 
 世の中、良いことがあれば悪いことも起きるという。
 程度の差こそあれ、バランスが取れているのだという。

 最近、ドアチェーンの外し方を忘れたようで、"夜のハイキング"は室内どまりとなった。
 真夜中に、住まいのまわりを探しまったのがいつだったのか、思い出せないほどである。
 決して懐かしいとは思わないが、交通事故の心配をしなくて良くなったのだけは助かる。

 体力が落ちたためなのか、寒いから出不精になったのか、"室内ハイキング"にも、かつての迫力はなくなった。
 最近では、1時間も持たず、いったんは落ち着く。
 衣類などを出したり納めたりは、続けているようだ。
 長股引を、5分股引に"仕立てられる"被害もなくなった。
 すべて隠してしまったし、すでに"仕立てられた"ものは衣紋掛けにかけ、一列に展示してある。
 5分を、さらに短い3分などの股引にする趣味はないらしい。

 日が変わった。
 まもなく、公演の幕が開く時刻である。
 期待する演劇ではないのだが、今日の演題は何なんだろう。
 やはり、開演した。
 寝室で物音がすると思ったら、すぐこちらにやって来て、戸を叩き出した。
「雪が降っている」
「大波がやって来た」
「大変だ、大雪だよ」
「海が荒れているよ」
「大波だよ」
・・・・・・・・・・

 いつものセリフとは、ちょっと違う。

 人間は経験を知識として蓄え、次の事態に対応できる。
 こちらも、今まで様々な経験をした。
 今すぐ、対応はしない。
 相手の体力を削いでおかないと、いったん治まったとしても、再び来襲を受ける。
 運の良いことに、入口に設置してある、書籍をぎっしり詰めて重い3箱のダンボール砦は、いまだ陥落していない。
 加えて、戸の取っ手の凹みには、ガムテープを貼っておいたから、手を引っ掛けることができないように細工もしてある。
 当然、つっかい棒もしてある。
 守りは、完ぺきである。

 攻撃は、止むことなく続いている。
 じっと耐える。
 叩き方に変化を感じた。
 やっと疲れたようだ。

 戸を開ける。
「雪が降っている」
「大波がやって来た」
「大変だ、大雪だよ」
「海が荒れているよ」
「大波だよ」
・・・・・・・・・・

 同じことを、訴えてくる。
「どこで」
「こっちだよ」
 部屋にかけてあるカレンダーの風景の中では、雪を冠した富士山がそびえ、手前の駿河湾だろう海岸に波が打ち寄せていた。

 まもなく、本日の演劇は幕を閉じた。
 
 

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再度、老人会に向かう(2)

 
 送迎の職員と、型どおりの挨拶を交わしながら、引き取る。

 今日は外に出なかったことに気付く。
 エレベーターの前で待っているように何度も確認してから、郵便箱に向かい、中をチェックする。
 相変わらず、広告チラシなどで溢れている。
 
 ほどなくして振り返ると、ガラスのトビラ越しに"姿"が見える。
 その瞬間、エレベーターが動き出し、姿が消えた。
 いつもと違う行動が、裏目に出た。

 エレベーターの動きを確認する。
 複数階で、止まったのであろう灯りが、点滅を繰り返す。
 最終的に、10階まで上ってから、下りに変わった。
 最上階に住んでいることだけは、まだ覚えている。
 途中で降りることはあるまい。
 10階で降りていれば、10階のフロアーを探せば済む。
 そのまま乗っていれば、ここで待てばよい。
 取りあえず、待つことにした。

 これから上に向かう別のエレベーターに入った人から、
「乗らないのですか?」
の声が、幾度となくかかる。
 母がいなくなった、とは言いにくい。
 不思議そうな顔をしながら、扉が閉じられ動き出す。

 乗っていたエレベーターが、やっと下りてきた。
 いない。
 10階で降りたようだ。
 乗ろうとした時、となりのエレベーターも10階に止まっと知らせる灯り点いた。
 となりのエレベーターも確認してから、向かうことにした。
 着くと、その奥に乗っていた。
 予感というか、受け継いだ遺伝子が知らせてくれたようだ。

 同乗している年配の女性が、心配そうに話しかけている。
 多少の異変を感じていたようで、こちらを家族と知って安心したのか、ホッとした表情を見せる。
 エレベーターから出ると、
「老人会に行くよ」
「早くして」
といいながら、駐車場に向かおうとする。
 先ほど、デイサービスから帰ったばかりを忘れている。

 行く、行かないの会話をしていると、先ほどエレベーター内で声をかけてくれた女性が、
「これからショートステイですか」
から、こちらの事情を知ったらしく、
「大変ですね」
に変わる。
 不満そうな母を、次のエレベーターに押し込んだ。
 
 

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再度、老人会に向かう

 
 時計のチャイムが、軽やかに鳴り響く。
 デイサービスから、帰ってくる時を知らせる音だ。
 指定された時刻より、ずいぶん早くセットしてある。
 定刻の時刻に合わせて向かうと、いつも到着しており、ハザードランプを点灯しながら待っている。
 最近、送り届けるルートが変わったようだ。
 今では、ずいぶん早目に迎えに行くようにしている。

 14階に住んでいるため、よほど強風で雨粒が窓ガラスを叩かない限り、雨音はしない。
 アルミサッシの進歩からか、少しの風音も聞こえない。
 1階におりてから雨であることを知り、傘を取りに戻ったことは、数え切ないほど繰り返し経験している。
 その結果、明るい日差しが射し込んでいる時以外は、眼下の公園を歩いている人を探し、傘をさしているか、いないかを確認する習慣が身についてしまった。

 土曜日だったが、友人などからの"お誘い"もなかった。
 買い物にも出かけなかった。
 冷凍庫には、お歳暮で贈られてきたものや、正月のために買い
求めたものが、まだ充分に空間を埋めている。
 午前中が晴天だったから、洗濯物は昼過ぎに取り込んだ。
 その後は、自室で過ごしていたので、天気の様子は知らない。
 雨が降っているとは思えないが、出かける前の習慣が出る。
 ベランダの戸を開ける。
 子どもの嬌声が、飛び込んでいる。
 階下を眺めると、子供たちが元気で駆け回って、遊んでいる。
 曇り空に変わっているものの、雨は降っていない。

 部屋着に上着をはおるだけで、迎えの場所に向かう。

 エレベーターが1階に到着し、扉が開く。
 10歩ほど歩くと、待ち合わせ場所が見える。
 すでに送迎車は待っていた。
 時計の針は、指定時刻より、まだ25分以上も前を示していた。
 
 

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夢の世界に電話が鳴る(3)

 
 目覚まし時計の音で、我に返る。
 爽やかとはいえない朝を迎えた。
 天候は晴れ、遠くに富士山もくっきり見える。
 寝不足だけでなく、すっきりしない。

 起きてくると、同じことを言う。
「亡くなった」
 忘れるでもなく、揺れ動くことなく、断言する
 やはり、いつもと違う。

 なぜ分かったのかを、再び聞いてみる。
「見たもの」
「変な顔をしていたから、ダメだったんだね」
「お姉さんの顔は、変な顔になっていた」
・・・・・・・・・・・・・

 久しぶりに見舞いに行った時の衝撃が、今の状態でも消え去ることがないほど、深く刻まれてしまったようだ。
 その姿が、夢にでも"再放送"されたのだろう。

 "事が事"だけに、確認はしたい。
 しかし、用もなしに電話をする習慣はない。
 容体が急変したからとの連絡があったため、久しぶりに見舞いにも行っている。
 容体の確認も、"何かを期待"したかのようで、変である。
 新年を迎えた正月でもある。
 まして、
「母が言っているので、亡くなったのですか」
などとも聞けまい。

 そうこうしているうちに、電話が鳴る。
 早朝の電話である。
 親戚以外からとは思えない。
 母が電話に出ることなど、数年前からしなくなっている。
 緊張して、受話器を取る。

 受話器から明るい声が伝わってくる。
 母の末妹からだ。
 おくればせの新年の挨拶であった。
 思いがけないチャンス到来である。
 型どおりの挨拶をしたのち、それとなく聞いてみる。
 容体は回復して、落ち着いているとのことだ。

 問題はなかろうと考えてはいたが、胸のつかえが下りた。
 不安も、すっきりと消え去った。
 部屋には、すがすがしい陽の光が、いっぱい注いでいた。
 
 

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夢の世界に電話が鳴る(2)

 
 やっと寝かし付けたが、目が冴えて眠れそうもない。
 かといって、起きる気にもならない。
 夜半は過ぎているが、夜明けまでには、まだ間がある。

 不可思議な世界は当たり前になっているこの頃である。
 大概の事には慣れて動じなくなったのだが、
「亡くなった」
は初めてだし、"事が事"である。
 電話に出たわけではないのだから、気にする必要はないと思っても、不安は消えず、すっきりとはしない。

 子供のころ、その実妹は、よく遊びに来ていた。
 やって来ると
「今日、来ると思っていた」
 叔母は、 
「お姉さんの"来なさい"、というのが聞こえたから」
とお互いに言う。
 あいさつ代わりに言っていただけなのだろうとは思っていた。
 定期的に来ていたから、周期的にも訪ねてくると感じたのだろうし、しばらく会わないと会いたくなったのだろう。

 そうでないように見える時も、確かにあった。
 他の人から声がかかっても、
「今日は妹が来るので、ゴメンね」
といって断った日に、連絡もなかったのにやってくる。
 そのような場面を、しょっちゅう目にしたのも事実である。
 なにか理屈では判断できないものも感じたことも多かった。

 あくびは、"うつる"という。
 原因はよくわかっていないそうだが、その場に居合わせない電話の相手にも"うつる"という。
 今でも、あくびをする時に口に手を当てる。
 自分の魂が、天に逃げてしまうのを防ぐためだと教えられた。
 だから、飼っている犬などにも、"うつる"そうだ。

 信じてはいないが、今の叔母は"夢の世界に本籍ごと引っ越した"し、母も大半の時間を"夢の世界"で過ごしている。
 否定もできまい。

 そんなことを考えているうちに、隣の部屋も静かになり、いつしか眠りについた。
 
 

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夢の世界に電話が鳴る

 
 夜半に、部屋の戸を叩く音がする。
 体力が落ちたためではなさそうだが、最近の叩き方は、おしとやかになってきた。
 今夜のは、そうではなく、以前のような激しい叩き方である。
 夢の世界での遊びに、あきただけではなさそうだ。
 いつもと違い、何かを訴えている。

 正月を過ぎてから、めっきり寒くなった。
 別に寒さが厳しいのではなく、例年通りの気温に戻っただけとのことであるが、寒いものは寒い。
 "お漏らし"が常態のため、少し窓をあけておく。
 ちょっと開けただけなのに、ここは最上階の14階、部屋の中を寒風が自由奔放に通り抜けていく。
 布団から抜けると、やはり寒い。
 ブルッと身体が震える。
 "半てん"というより、綿の入った"やっこ"を羽織る。

 開ける。
 本がぎっしり詰まった3箱の段ボールの""は、いまだ攻略されておらず、部屋への侵入を防いでいる。
 片手を"砦"におき身をあずけ、もう片方を"砦"越しに叩いていた。
「○○○が亡くなった」
 前回の見舞いから"姉"に変わった実妹が、亡くなったという。
 一瞬ドキッとするが、変である。
 知りえる手段はないはずだ。
 問うてみる。
「電話があった」
という。
「いつ?」
「さっき」
電話に出たの?」
「出ない」
「出なくて何で分かるの?」
「そう言っていた」

 なぜ分かったのかの論議は、今では無駄である。
 すでに、そのような質問すること自体が、意味をなさない。
 大丈夫だと思っても、不安な気持ちが湧いてくる。
 しかし、深夜である。
 どうしようもない。
 真剣に訴えるのを説得して、とりあえず寝かしつける。

 そういえば、昨夜、風呂に入っていた時、電話が鳴った。
 あわてて出ようとしたが、すぐに切れた。
 留守電にも入っていなかったから、何かの売り込みであろうと思って、気にもしなかった。
 不景気のせいか、最近、とみに多いからである。
 本当に亡くなったのなら、留守電に入っているだろう。

 デイサービスでの入浴日だったし、すでに寝ていたから、一応声をかけたものの返事もなかったので、そのままにした。
 状況からして、その時に目覚めていたとは思えない。
 夢の世界にも、電話が通じるようになったようだ。
 
 

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初ドライブの日7(急いで帰ろう)

 
 さらに、南下する。
 花が、あちこちに姿を見せ始めた。
 赤色、黄色、ピンク、紫、色とりどりの花が、沿道の周りの畑に咲き乱れている。
 ビニールハウスもちらほらあるが、何の被いもない畑にも、いろどり豊かな花が負けじと咲き誇っている。
 まもなく道路に沿って植えられた赤い花が、見渡す限りの道路沿いに出迎える。
「きれいだねー」
 もう少しで、春と出会える。
 目的の、黄色にひかり輝く"菜の花"、とだ。

 突然、臭って来た。
 汐の香りでもなければ、花の芳しい匂いではない。
 "お漏らし"したのだ。
 それも、"小"ではなく、"大"だ。
 "大"だからコンビニでのおむつ交換は、申し訳ない。
 かと言って、道の駅や、大きなスーパーなど近くにはない。
 仕方がない。
 帰路に、ハンドルを切る。
 南下し過ぎたから、自動車道にも、しばらく時がかかる。
 窓を開ける。
 冷気が、遠慮なく入ってくる。
 寒さを取るか、臭いを避けるか、判断に苦しみながら先を急ぐ。
 自動車道の入口に着く。
 アクセルを踏み込み、第一目的地に向かうが、寒さが増す。
 
 紙おむつの、交換を終えた。
 強烈な鼻を突く攻撃は消えたものの、臭いとの小競り合いは続いている。
 さすがに風呂までは付いていないので、仕方がない。
 寒さと臭いの調整を取りながら、車を進める。 

 子供の頃の田舎では汲み取り式トイレは、どこでも当たり前だったし、トイレというより便所という言葉が似合う風景で育った。
 その近くでは、常に匂っている。
 夏場は、"特に"、であった。

 黙っている。
 怒りというより、無性に悲しかった。
 そして、恥ずかしくなった。
 本人の方が、もっと申し訳ないと思っているだろう。
 "夢の世界"に現住所を移したといっても、恥をさらす苦しさ、辛さは、いかぱかりか。
 臭いを消すために、少し開けたウインドウが風を切る。
 ヒューヒューと響く風の音の中に、
「修業は、まだまだ足らんな」
との父の笑い声が聞こえたような気がした。
 
 

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初ドライブの日6(飛行機が大空を舞い、漁船が着飾る)

 
 2、3か所の砂浜を訪れたら、有料道路は終わった。
 さらに、南下する。
 ラジオが、正午のお知らせを告げる。
 車で近くまで入れる砂浜に立ち寄り、昼食を取る。

 ここでも、大勢のサーファーが波間に、垣間見える。
「飛行機が飛んでいる」
「変な飛行機」
「ゆらゆら揺れていて、大丈夫なのかしら」
「あぶないねー」

 近くに飛行場などないはずだ。
 こちらも見上げたが、見えない。
「どこ?」
「あそこ」
と指をさす。
 見えない。
「どこ?」
「あそこ」

 ふと、飛行機の音などしていないのに気付く。
 指をさしている方向を、じっくり見てみた。
 座高が少し違うだけで、少し座席をチョツト前に出すだけで、フロントガラスからの景色は、一変する。
 青空が大きく広がっていて、視野の大半を占めている。
 そこに、風を受け、勢いよくあがっている凧を見つけた。

 田舎には、唐人凧と言われる民芸品がある。
 江戸初期から続いており、歴史に裏打ちされているものである。
 だが、凧は子どもが楽しむものだ。
 目の前の砂浜には、子供連れはいない。
 大人たちというよりも、数組のカップルがあげていた。
 凧上げが、はやっているとは聞いていない。
 この地区だけの"はやり"なのだろうか。
 お互いに好いた二人の思いがこもった凧は、冷風をものともせず、青空に一定の空間に位置を占め、浮かんでいる。
 まわりに子供はいないし、その姿は飛行機にも見えなくもないから、見間違ったとしても止むを得まい。
 気持ち良さそうに舞っている。

 朝食も終えた。
 "だれでもトイレ"も済ませた。
 さあ、春を求めて、さらに南下しよう。
 本道にハンドルを切ろうとした時、今までにない光景が目に飛び込んできた。

 いつもと違う漁港の情景である。
 まず、漁船の数が違う。
 ぎっしりと、行儀よく係留されている。
 いつもは、こんなに隙間なく、つながれてはいない。
 そして何よりも、各漁船に大漁旗がはためいている。
 びっしりと並んだ漁船には、彩り豊かな大漁旗が掲げられ、よく似合い、きらびやかでとても美しい。
 1年の汚れをきれいに掃除をしたであろう漁船そのものも、陽の光をキラキラ反射させ輝き、きれいだ。
 ここにも、正月があった。
「きれいだねー」
 いつもと違う美しさを、感じ取ったようだ。
 いつもは見られないような心和む風景である。

 美しい。
 青空に、大漁旗は良く似合う。
 少しの間、目の保養を楽しんだ。
 
 

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初ドライブの日5(砂浜で鏡餅と出会う)

 
 最初の浜を出て、海岸にそった有料道路を走る。
 春と秋なら、窓を開け、潮風を胸一杯に吸い込み、磯の香りを十分に楽しむのだが、今は寒すぎる。
 太陽の光りだけはいっぱい入り込み、外の寒さが信じられないほど車の中は暖かい。
 道は、すいている。
 一直線の道のかなたに、わき上がった数個の小さな入道雲がくっきりと見え、外も暖かさに包まれていると勘違いさせる。
 天空は真っ青で、雲ひとつない。
 春を通り過ぎて、夏を感じさせる。

 左手には、延々と続いている砂浜が続いている。
 白く長い波が幾重にも生まれ続け、浜に押し寄せて、こちらも途切れることはない。
 無数の見慣れない小旗がはためいている砂浜がある。
 いそぐ旅でもない。
 立ち寄ることにした。

 近寄って見ると、"日本一の鏡餅"と書いてある。
 入口近くの砂浜に、巨大な二段重ねの鏡餅らしきものが見える。
 車から降りるように促し、近づく。
 巨大な鏡餅の姿をしている。
 触れてみる。
 ビニールに包まれてはいるが、間違いなく鏡である。
 硬くなっていて、小さなヒピが網目のように入っている。
 見上げる大きさだ。
 "日本一"の文字も、あながち誇張でもなさそうで、うなづける。

 鳥居も作られており、鏡餅の前には松も飾られている。
 隣には、なぜか背の高さほどの大太鼓が置いてある。
 右わきには、10メートルほどの立て看板が設置されており、訪れた人が、自由に書き込めるようになっている。
 近くには1組のアベックがいて、ふたりでひそひそ話しながら、思い出を書いている。
 せっかくの立派な鏡餅は、観客が少なく、寂しそうである。

 『ご自由に』との文字に誘われて、2本のバチを手渡す。
 太鼓を叩き出した。
 片手に一本づつではなく、両手で2本をつかんで叩いている。
 奇妙な図ではあるが、景気良い音が、波と音量を競っている。
 喜々として子供のようだ。
 間もなく86歳を迎えるが、まだまだ体力の衰えはなさそうである。
 
 

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初ドライブの日4(イクラは大好き)

 
 海が見えた。
 またたく間に、目的地に到着した。

 自動車道の終点から、すぐに砂浜の一つがある。
 夏場だけ有料の駐車場には、サーフィンをしに来ている車が10数台見かけるだけで、閑散としている。
 舗装された上には、風に飛ばされた砂が、あちこちに様々な模様を描いたまま、捨て置かれている。
 混雑したであろう夏のシーズンなど、忘れ去った静けさだ。

 砂浜近くに、海に向かって車を止める。
 フロントガラスいっぱいに、海が広がる。
 そうだ。
 初日の出の時にも、この駐車場はぎっしりだったはずだ。
 数多くの砂浜が続く海岸沿いは、初日の出の名所で、車が動かないほど、例年、大渋滞に見舞われる。
 今は、その騒がしさもない。
 ただ、押し寄せる波の音だけが満ちている。

「波があるねー」
「大荒れだね」
「あら、また波が来た」
・・・・・・・・・・・・

 海好きは変わっていないようだ。
 しばらく、波を眺めることにした。

「何が獲れるのかしら」
「寒くないのかしら」
「いっぱいいるねー」
・・・・・・・・・・・・・・・・・

 サーフィンの連中を、漁業をしている人と思ったようだ。
 それにしても、大勢いる。 
 若い者にとっては、寒さなど感じないほど楽しいのだろう。
 最近は、年配者のサーファーも増えてきたと聞くが、顔は見えないから若者としておこう。
 サーフィンは、やはり若者が似合う。

 昼には早すぎる。
 菓子パンを2つに割って、片方を渡す。
「おいしいね、イクラ・パンは」
 聞きなれない言葉である。
 聞き直してみた。
「このイクラパンは、おいしいね」
 間違いなく、イクラ・パンと言っている。
 どこにでも売っているコッペパンに、マーガリンとジャムが塗って、はさんでるパンである。
 田舎で、"つき合せ"と注文すれば出てくるシロモノである。
 田舎ではバターなのだが、こちらではマーガリンのようだ。
 イクラとは、似ているわけでもなく、決して近くでもない。
 強いていえば、赤い点だけが似ている。
 想像力に感心すると同時に、笑いがこみ上げる。

 昨年のお歳暮で、イクラが数か所から贈られてきた。
 イクラも、大好物の一つである。
 刺身を添えたりと、それなりの工夫はしたつもりだが、年末から1日おきにイクラ丼にした。 
 手抜きをしたつもりはないが、献立に出し過ぎたようである。
 赤い食べ物は"イクラ"、と決まった。
 
 

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初ドライブの日3(みんなと一緒は楽しい)

 
 さあ、出発だ。
 早速、看板の文字を読み上げる声が聞こえ始める。
 楽しそうである。
 すぐに、自動車道に入る。
 帰りには渋滞もあろうが、向かう時には事故などがなければ、渋滞した記憶がないほどスムーズに行ける。
 ほどなく分岐点を通過すると、しばらくは道なり、カーナビ麗人も声をかけなくなった。
 黙りこけている。

 話しかける。
 なかなか乗ってこない。
 やはり自動車道のつまらなさが、尾を引いているようだ。
 "老人会"に、話しをふった。
 会話が復活し、流暢に豹変する。
 次から次へと、言葉が滑らかに出て、よどみない。

「お習字をしたよ」
「お正月って書いたんだよ」
「上手だって褒められた」
「一番上に、貼られているよ」
・・・・・・・・・・・

「新しい人が、いっぱい入って来た」
「変な人ばっかり」
「怖いから、あまり近づかないようにしている」
・・・・・・・・・・・

「みんなが帰った後は、新聞紙をたたむのを手伝った」
「助かった、ありがとうと、いつも言われている」
「教え子より、早いんだよ」
・・・・・・・・・・・

「トランプをする人が、来たよ」
「めくったトランプを当てるんだよ」
「手につかんだお金が、消えてしまう」
「手の裏表を見たけれど、無くなっていた」
「どこへ、消えたんだろうねー」
「みんなも、ビックリしていた」
・・・・・・・・・・・

 何度も聞いた話を、繰り返している。

 目は、キラキラ輝いている。
 デイサービスが休みの日には。昼間中、訪ねている夢の世界より、みんなでいる世界の方が、やはり楽しいようだ。
 "老人会"が生きがいは、変わることはなさそうである。
 
 

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初ドライブの日2(何かが変!)

 
 準備ができた。
 紙おむつも、忘れずに持った。

「どこに行きたい?」
「どこでもいい」
「海、山?」
「どこでもいい」

 いつもの行く前のセレモニーが少し変わった。
 必ず、海を選んでいたはずである。
 少し気になる。
「海、山、どちらにする?」
「どこでもいい」

 不安な気持ちが、大きくなる。
 振り去るように、引き続いて聞いてみる。
「海にする?」
「どこでもいい」
「太平洋、日本海?」
「どこでもいい」
 やはり、何かが違う。
 でも、いいや、早めの春を求めて、出発しよう。

 眩しいばかりの陽の光がそそぐわりには、肌寒い。
 車に乗り込む。
 始動させる。
 "カーナビ麗人"が、
「あけまして、おめでとうございます」
と声を出す。
 新年を迎えて、初めての乗車なのだ。
「おめでとう」
「今日は、1月4日です」
「そう、早いわね~」
「もう4日になったんだね」
・・・・・・・・・

 早速、助手席では、"カーナビ麗人"と会話を交わしている。

 楽しそうな会話に割って入り、再度、聞いてみた。
「どこに行く?」
「どこでもいい」
「海、山?」
「どこでもいい」
 やはり、何か違和感を感じる。

 久しぶりに、大好きであった、いや、今でも大好きであろう海に向かうことにした。
 自動車道を乗り継げば、1時間ほどで着ける馴染みの砂浜に、まず年始の挨拶をしよう。
 次いで、同じくらいの距離を南下するルートをセットした。
 そこは常夏の場所、一年中、花が咲いている。
 元旦の日の電話で、田舎は雪が降り続いているという。
 一足先の春を訪ねたくなったからである。

 始動した。
 "カーナビ麗人"との会話も、再開された。
 "初ドライブの日"を祝うように、真っ青な空が輝いている。
 
 

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初ドライブの日

 
 正月の喧騒が、終わった。
 いつもの状態が戻るも、まだ正月休み中である。
 三が日が明けても、4日が日曜日だからだ。

 朝食を終える。
 食器を洗っていると、ゴソゴソ音がする。
 外出着に、着替えはじめた。
 こちらも、"いつも"に戻った。
「まだ老人会は、休みだよ」
「何で?」
「正月だから」
「お正月も、やっているよ」
「やっていないよ」
「何で?」
「正月だから」
「何で?」
・・・・・・・・
 しばらく、やり取りする。

「正月が終わっていないから」

「お正月は終わったよ」
「さっき、正月は終わったと言っていた」

 見ていなかったが、正月の三が日が終わったとでも、テレビで流していたのだろう。

 楽しい喧騒が終わり、静かな世界に戻った。
  → 正月が終われば、"老人会"が始まる
  → でも、"老人会"に連れて行く様子は見えない
  → 確信が、持てない
  → でも、いまテレビで、"お正月は終わった"と言った
  → やっばり、お正月は終わっていたのだ
  → 間違いない
  → 楽しい"老人会"に行こう

 疑心暗鬼だったのが、確信に変わったのだろう。

 家にこもっているのに、飽きたようだ。
 別にすることもない。
 すでに、着替えも済んでいる。
 おせち料理は、まだまだ大量に余っている。
 お昼のお弁当は、選り取り見取りで、すぐにでもできる。
 出かける環境は、すべて整っている。

 久しぶりに、ドライブに誘ってみた。
「行く」
「行きたい」
 即座に、返事が返る。
 一瞬にして、"老人会"は消え去った。
 不満そうな顔も、破顔一笑に変わる。
 待っていた"笑顔"である。
 久しぶりに、"ドライブの日"が復活する。
 新春の"初ドライブの日"が始まった。
 
 

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今年は、何かが違う

 
 新年会がお開きになった。
 せっかくの正月であるから、"明るいうちに始めよう"との意見がまとまり、昼過ぎから始まった。
 1年の過ぎるのも早いが、楽しい飲み会も瞬く間に過ぎた。
 4時間も過ぎていたのである。
 少々飲み過ぎたようで、心地よい酔いが身体全体を包んでいる。
 みんなと別れ、帰路に着く。
 酔いを覚ますため、歩いて帰ることにした。
 気を遣ってくれる連中が、近くで開催してくれた。
 車ならすぐであるが、歩いても20分程度の距離である。

 冬至を過ぎてから、日一日、夜明けが早くなっていのを感じていたが、夜の6時をほんの少々まわっているだけなのに、すでに暗くなっていた。
 あまり人は歩いていない。
 師走の中ごろまで、1、2か月戻ったような暖かい日が続いていたが、年が開け、日も落ちると寒さも増したようだ。
 北風が頬をたたき、耳も冷たくなってきた。
 出掛ける時には快晴だったので、完全防寒の姿はしていない。
 マフラーだけは持ってきたので、襟を立てマフラーで寒さを防ぐ。
 ずいぶん、店が開いている。
 医院と書かれている所は、どこも開いていない。
 八百屋も開いていない。
 昔から書き入れ時なのだろう酒屋は、当然、開いている。
 昔から、なぜか半開きになっている。
 シャッターも、4割程度しか降りておらず、
『大丈夫、開いていますよ』
と思わせぶりなのは、変わっていない。
 なぜなのか不思議に思っているが、未だ答えを得ていない。

 そんなことを考えていたら、あっという間に着いた。
 ドアを開ける。
 着替えをして居間に行くと、不思議な世界があった。
 テレビの音がしているからではない。
 いつも、点けっ放しになっている時の方が多い。
「お帰り」
 起きていて、テレビを見ていたのだ。
 ここ数か月、消えさった光景がそこにあった。
 起きているなど、想像すらしなかった。
 すでに暗くなっているから、"夜のハイキング"に出かけている方が自然で、かつ理解できる。
「寝てなかったの」
「待っていたよ」

 昼夜逆転がさらに進んで、結果として一巡したためなのか。
 正月で昼間起きていたために、正常に戻ったのか。
 それとも、夢の世界で遊ぶのに飽きたのか。
 どうでも良いことだ。
 "結果、オーライ"である。
 今年は、良い年になりそうだ。
 
 

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