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2009年2月

フロントガラスは楽しい

 
 朝食が終わると、迷うこともなく"老人会"へ行こうと思ったらしく、着替えを始めた。
 最近は、昼食を済ますとすぐに寝室に戻り、寝てしまうのだが、今日は雰囲気が違う。
 食器洗いが終わるころには、着替えを済ませ、手提げ袋をしっかりと握りしめ、出かける催促をする。
 いつもより、体形がふっくらしている。
 またパジャマを着たまま、その上に外出着を着込んだようだ。
 問いただすと、
「パジャマは脱いだよ」
というが、再度着替えるように促す。
 しぶしぶ着替え直すと、案の定である。
 さらに、股引も重ね着している。

 着替えが終わっても、出かける時刻にはなっていない。
 楽しい"老人会"で頭の中はいっぱいになっているのか、つけっぱなしのテレビには目もくれず、玄関の方を見つめている。
 待っていてもしょうがない状況である。
 早すぎるが、出かけることにした。

 いつもの習慣で、ベランダから外の様子を確認する。
 行き交う人は傘をさしているものの、霧雨程度のようだ。

 外に出ると、思っていた以上に寒い。
 急いで、車にかけ込む。
 エンジンを始動させるが、寒さが身体にまとわりつく。
 ずいぶん気温が低そうだ。
 車の液晶パネルを切り替え、気温計を表示させる。
 3℃。
 寒いはずである。
 エンジンは快調な音を立てているが、なかなか温風にならない。
 アイドリングより、走行する方が早く温まるだろうと思い、出発することにした。

 介護センターに着いた。
 始まるには、ずいぶん時間がある。
 駐車場に車を入れ、テレビに切り替える。
 お馴染みの顔ぶれが、似たようなことを解説している。

 助手席から、小さな独り言が聞こえだした。
 聞き取れない。
 テレビの音を消す。
「流れた」
「あっ、また流れた」
「こっちも、流れた」
・・・・・・・・・・・・・・・・

 霧雨から、小雨に変わっている。
 ワイパーが動いていないフロントガラスに、小雨が降り注ぎ、成長した水滴が、いく筋も流れ落ちている。
 まるで湧き出るように、次から次へと水滴が発生する。
 透明な小さな水球の中に、あたりの風景を凝縮させた様子は、光を受けて輝き、あたかも宝石のようである。
 同じ道筋をたどるもの、新たな流れにチャレンジするもの、様々な姿を見せている。
 なるほど、眺めていても楽しいものだ。
 
「流れた」
「あっ、また流れた」
「こっちも、流れた」
・・・・・・・・・・・・・・・・

 幼子のような顔をしていて、生き生きしている。 
 声を掛けないことにした。

 流れ落ちる風景が、ちょっと変わり始めた。
 雪だ。
 充分に温まった車内の気温に抗しきれず、一瞬で水玉になる。
 今年初めて、じっくりと雪の舞を楽しむ。

 時刻になった。
 5メートルほど離れた玄関口に向って、車を発進させた。
 
 

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冷凍庫が奇襲される

 
 いつもの"夜中のハイキング"の物音で、目が覚める。
 ガタガタ、音がしている。
 こちらの部屋への攻撃ではない。
 いつもより、離れた場所から音がする。

 耳を澄ます。
 大きな音という訳ではないが、いつもと違う音だ。
 途中で制止するのには、大変なエネルギーと根気が必要だし、こちらも面倒くさいというか、制止することに飽きている。
 どうせ時間が経過すれば、満足するようで自然に止まる。
 「時」が解決するのを、待つことにした。

 止んだ。
 そーっと足音を立てないようにしながら、見に行く。
 今夜は、冷凍庫という砦が猛攻を受けていた。
 上段の冷蔵庫には、ガムテープを貼って、開かないようにしたが、冷凍庫には貼っていなかった。
 ターゲットとなるアイスクリームは、大量の食べかけがカーペットにへばり付き苦労したため、買い置きしないようにしている。
 それ以降は、すぐに食べられる物がない冷凍庫がいじられたことはなかったからだ。
 しまったと思ったが、後の祭りである。

 冷凍庫に"駐屯していたもの"は、全滅した。
 鮭の切り身は、歯形だけ残して散乱している。
 肉の塊は、むき出しにされ、転がっている。
 冷凍食品の袋は、ことごとく開封され、無惨な姿で散らばっている。
 ハックされた魚の切れ身だけは、開けることが出来なかったようで、辺り一面に散らばっているが、なんとか形は留めている。

 後片付けの物音に気が付いたのか、寝室から出てきた。
「夕飯は、まだ?」
 食べたことを、すっかり忘れている。
「食べていない」
と、言い張って聞かない。

 菓子パンを差し出す。
 大騒ぎは、一件落着した。
 明日の朝食が、質素になることだけは、間違いなさそうだ。
 
 

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短い正月を見た

 
 朝食の準備をしていると、
「正月だ、正月だ」
との、季節外れの嬉しそうな声が聞こえる。
 振り向くと、テレビに向かって話しかけている。
 一瞬ではあるが、神楽らしきものが映っていた。
 時刻的には主要なニュースが終わり、トピックニュースや季節便りを流す頃合いである。
 どこかで行われた行事なのだろう。
 声をかけると、
「正月だよ」
と喜々としている。

 幼きころの田舎では、正月には獅子神楽が欠かせなかった。
 獅子舞と数人がセットになって、各家を回っていた。
 やってくるのが当たり前の雰囲気があり、何がしかのお金を紙に包んで置いていたものである。
 邪気を払い福を呼ぶ縁起ものだが、子供は獅子に噛まれると、これからの1年が丈夫で過ごせるといわれていた。
 家族の中に、厄年を迎えた者や年男年女がいる時には、お金の包みを2個用意して渡す。
 いつもより長い時間、じっくりと舞ってくれる。
 父の妹が嫁ぐ年などは、振舞い酒をしていたと、おぼろげではあるが記憶している。

 昔ながらの伝統も、会社勤めをする年代になってからは、高度成長の波が田舎にも波及したようで、なくなったようだ。
 正月には帰省していたが、出会った記憶がないからである。

 正月はなくなったようだが、農業を始める頃になると行われる春神楽、収穫が終わったころの秋神楽、春と秋の彼岸などは、田舎の各地で、昔ながらの形式で、今もって行われている。
 こちらの方は、ほかの伝統芸能のような細々としてではなく、昔より大きな行事になっていると聞く。
 舞のほかに余芸や曲芸もセットされ、見ごたえのあるものである。

 食事の最中も、
「正月だから、寒いのはしょうがないね」
などと、正月に結びつけて、時おり話しが続く。
 食事が終わった。
 デイサービスに出かける時刻を迎えた。

 "老人会"に行ける、と認識した瞬間、正月は消えた。
 
 

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今日も幸せな1日が過ぎた

 
 デイサービスからの送迎バスを待つ。
 予定の時刻よりずいぶん早いが、もうすぐ到着だろう。
 通りに出ると、案の定、近づいてくるパスが見えた。
 予想通りの早い到着である。
 自動ドアが、シューと音を出しながら開く。
 顔見知りの女性の職員が降りて来て、
「ごめんなさいね。早すぎて」
「今日は、3人が休みだったの」
と、こちらに向かって話しながら、母の降車を手伝っている。

 ニコニコしながら、降りてきた。
 渡された手提げ袋が、ぱんぱんに膨らんでいる。
 朝の着替えには注意していたつもりだったが、着替えている最中、ズーッと覗いていたわけではない。
 着替えを促し終わったときに、セーターの前後が違っていたので、そのやり直しはさせた。
 それ以上の違和感は、感じなかった。

 手提げ袋の膨らみ具合から、パジャマを着たまま、その上に着ていったようだ。
 最近は、お漏らしが続いているようで、本来は1日おきの入浴が、連日の入浴に変わっている。
 今朝も、前の日にデイサービスから持ち帰った着替と、昨夜に"お漏らし"したパジャマや下着類を洗濯しただけで、部屋の中まではチェックしなかった。

 手提げ袋をあけて洗濯槽に入れた。
 パジャマの上下が入っていた。
 やはり、その上に外出着を着たようである。
 今では珍しいことではないので、介護センターの職員も、別に付け加えなかったのだろう。
 洗濯機のスイッチを押した。
 軽快な音を出しながら、洗濯機が回り始めた。

 夕食が終わった、
 食器洗いをしていると、ふすまの閉まる音がした。
 振り返ると、姿はなかった。
 介護センターで入浴もしてきた。
 寝る時刻には早すぎるが、起こす必要もあるまい。

 自分自身で自分のことが出来なくなったことを、他人にしてもらうのは、正常な頭では辛いと思う。
 認知症は、その恥を捨て去ってくれる。
 神が与えプレゼントであろうか。

 洗濯の終わりを告げる音がした。

 今日も、一日が終わった。
 
 

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また演題が変わった

 
 今日も、日が変わった。
 まもなく、公演の幕が開く時刻である。

 期待を裏切らずに、本日も開幕した。
「フックがない」
「フックがない」
・・・・・・・・・・・・・

 同じ言葉を発している。
 今日は、元気いっぱいの攻撃である。
 じっと息をひそめる。

 部屋の入口に設置された強固な砦は、そう簡単には陥落しない。
「いないんだ」
「どこに行ったんだろうね」

の言葉を残して、いったん撤収した。
 静寂が暗闇を支配する。
 ここで対応したら、こちらが甚大な被害を被る。
 再び始まるであろう攻撃に備える。

 攻撃が再開された。
「フックがない」
「フックがない」
・・・・・・・・・・・・・

 言葉に揺れもなく、同じ言葉を発している。
 "フック"とは何だろう。
 いくら考えても、思い浮かばない。
 2度目の攻撃も、熾烈である。
 じっと、やり過ごす。

 繰り返される波状攻撃にも、疲れが見えはじめた。
 砦の戸を開ける。
「フックがない」
「フックって、何?」
「フック」
「何に使うの?」
「カバンを掛けるやつ」
「カパンは、掛けていないよ」
「老人会で、かける」
・・・・・・・・・・・・・・・・。
 その後の訴えで、デイサービスでカバンを掛けていたフックが無くなってしまって、買って来て欲しいと言っているようだ。
 紙おむつや尿取りパットが無くなれば、すぐに要求するし、連絡帳が埋まってしまうと、すぐに連絡帳代を要求してくる。
 それ程、きちんとした介護センターからは、要求などされていない。
 フックの話しは、聞いたこともない。

 しばらく言葉のやり取りは、続いた。
 すぐに買ってくることにして、やっと話しを終えることができた。
 まだ夜明けまでには間があるが、すっかり目が覚めてしまった。

 いつもの朝を迎える。
 フックのことは、すっかり忘れたようだ。
 こちらから、問いかける必要もあるまい。
 必要なら、介護センターから要求してくるであろう。
 明るい日差しが、差し込んできた。
 今日は、よい天気になりそうだ。
 
 

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瞬く間に日曜日が過ぎた(2)

 
 食器洗いをしていると、背後で、ふすまの閉まる音がする。
 振り返ると、姿はない。
 最近は、起きているようにさせるのが面倒になった。
 デイサービスでみんなと一緒の時が""で、それ以外はすべて""とでも思っているのだろう。
 明るいから、暗いからとの判断は、すでに通用しない。

「今日は、天気がいいねー」
「天気が、素晴らしいねー」

との、"ドライブの日"であるとの暗示する催促もなかった。
 そのままにした。

 散歩がてら、買い物に行くことにした。
 10時のお八つのミカンを、コタツの上に置いて着替えた。
 風が強く、思った以上に肌寒い。
 店に"節分もの"が、並んでいる。
 そういえば、
「老人会で、鬼を作ったよ」
といっていたのを思い出した。
 正月が終わったと思ったら、もう2月なのである。
 早いものである。

 寒さが身にしみる。
 目の前に、酒屋がある。
 その前に、酒の自動販売機がある。
 "ホット"という字に、目を奪われる。
 今日は、予定がない。
 近くのベンチには、同じ団地の年配者たちが、たむろしているのだが、風が強いせいか、今日はいない。
 顔見知りに、呼びこまれる心配もない。
 無意識に、ズボンのポケットの中で、硬貨をまさぐっていた。

 年を重ねるほど、酒が美味く感じるのは、なぜだろうか。
 あっという間に、胃の中に吸い込まれる。
 北風が心地よく感じる熱る間もなく、住まいに着く。
 大好物のミカンは、手つかずに残されている。  
 もうすぐ、昼食時である。
 食事前に食べさせる必要もあるまい。
 ミカンを片付けてから、声をかけた。

 昼食の準備をしていると、身体がポカポカしてきた。
 ついつい、在庫してあるものを、コップに注ぐ。

 昼食を終えると、外出着に着替えようとする。
「今日は日曜日だから休みだよ」
「何で?」
・・・・・・・・
 いつもやり取りが、繰り返される。
 そして、寝室に消えた。
 食事の後片付けも、終わった。
 心地良い酔いも、まだ全身を包んでいる。
 先ほどの片付けたミカンと、新たにお菓子をコタツの上に置き、こちらも好物の瓶と大きめのコップを携えて、自室に戻った。

 ウトウトしたようだ。
 居間を眺めてみると、姿はないが、おやつは消えていた。
 夕食には、間がある。
 夕食まで休むことにして、コップを傾けた。

 遅めの夕食が終わった。
 入浴後、各々、部屋に戻る。

 いつもより早い時刻から、活動が始まった。
 今日は、こちらも休養は十分だ。
 臨戦態勢は、万全である。
 
 

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瞬く間に日曜日が過ぎた

 
 朝食をつくっていると、背後で朗読が始まった。
「7時○○分」
「7時○○分」
「7時○△分」
「7時○△分」
「7時○△分」
「7時△△分」
・・・・・・・・・・・・

 テレビに映っている時刻を、延々と読み続けている。
 字幕を読むのは日常茶飯事であるが、時刻の方が優先されて読み続けられるのは、珍しい。
 あくまで、字幕が優先であるはずだ。
 しばらく読む字が出てこなくて、つまらないとでも思ったのだろう時にしか、代替えとして時刻は読まれない

 声を出すことは健康にも良いと聞いているし、迷惑をかけるわけではないから、そのままにした。
 もうすぐ朝食の準備ができるので、その時までのことだ。

 毎日、デイサービスに行くようになってから、ノートに時刻を書き続けることは、しなくなった。
 それ以前は、
「時間を書いている」
「毎日、書くのに忙しい」

といって、1日中、書いていた。
 やがて、書かれた時刻は、数字としての形を成さなくなり、判別が出来なくなった。
 一行一行、鉛筆で黒く塗りつぶす作業に変わっていった。
 当時、認知症が進んでいるためとは想像もしていなかったが、何となく違和感は感じていた。
 年による物忘れなどの動作とは、違っていたからである。
 でも、1年中、1人で部屋にこもったままで話し相手もいないから、寂しかったのだろう位にしか思っていなかった。

 帰宅するなど一緒にいるときは、すぐに中止された。
 同じ動作を繰り返していたから、疲れるのだろう。
 中止しても、鉛筆を持っていた右手が、時おり、けいれんのように小刻みに動いていた。

 大学ノートと鉛筆の消費量は半端でなく、捨てても捨てても、溜まったものである。
 ダンボールに2箱を残してノートは捨てたが、今でも小物入れは、短くなった鉛筆で埋まっている。

 食事が終わった。
 今日は、"老人会"は無いとの説得も終わった。
 行けないと分かれば、すぐに寝ようとするであろう。
 冗談で、聞いてみた。
「たまには、ノートでも書いたら」
「書かない」
「書かないで、テレビを見ている」

 一発で、却下された。
 
 

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