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2009年6月

アジサイが咲く

 
 迎えに行く。
 玄関から入った奥の正面に、何やらぶら下がっている。
 天井からつり下げられた大きなボール紙らしきものに、大輪が1つ、その周りに小輪が5個ほど、貼り付けられている。
 アジサイだ。

 母が出てくる間に、見知った職員に聞いてみた。
 みんなで、花びらを折り紙で作ったそうだ。
 なるほど、ものすごい数の花びらが。張り付けられている。
 中央の大輪は、実物以上に盛り上がり、立体感がある。
 赤紫から青紫と、各色も揃っている。
 色だけでなく折り方も様々で、姿かたちから、多数の人の作品が張り付けられており、臨場感を醸し出している。
 咲き始めの青色のイメージはあるが、鮮やかさには欠ける。
 雨に打たれたあの青さは、無理のようだ。
 デフォルメされていると思えば、立派である。

 庭先で見かけるアジサイは、ほとんどがイヨウアジサイだ。
 七変化が素晴らしい。
 日本原産のガクアジサイを、長年にわたって改良された品種だと聞いたことがある。
 "花"だと言われている部分は"ガク(萼)"という部分にあたり、本来の花は中心部で小さく目立たない。
 セイヨウアジサイでは、すべてが装飾花に変化している。
 など雑談していると、帰りの支度もできたようで出てきた。

 デイサービスでの出来事は、くどいほど話す。
 日にちは"混ぜこぜ"になってしまったが、何から何まで全部、繰り返し報告する。
 でも、アジサイの件は、会話の中には出てきていない。

 聞いてみた。
「アジサイを作ったの」
「作ってないよ」
 きっぱりと否定された。
 アジサイの全体を、1人で作らなかったからだろうか。
 アジサイの花びらを数個作っただけでは、アジサイとは認識できなかったのか、それとも認めなかったのか。
 いづれにしても、作っていないという。
 
 そういえば、送迎の途中では、見かけなかった。
 注意して見ていなかったので、アジサイが咲いているのに気付かなかっただけかも知れない。
 部屋から眺めおろす公園にも植えてあるが、数は少ない。
 14階のベランダからは、とても鑑賞できるほどの数量は、植栽されていない。

「今日のお昼は、タマゴ焼きがでた。おいしかった」
「おやつに、蒸しパンが出た。おいしかった」
「みんなで塗り絵をやった。楽しかった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いつもの通り、聞き流していると、
「折り紙で、花を作った。
  ~ みんなで作った花を、大きな紙に貼った」

 ずいぶん前のようだが、小さな疑問が、また1つ解決した。

 雨がシトシト降る中に、アジサイは似合う。
 アジサイといえば、濡れていなければ、いけない。
 紙に貼られた花は、花として認めても、乾いていてはアジサイと認めてもらえないようだ。
 いっぱいのアジサイが植栽されている公園が近くにある。
 今度、雨が降ったら、遠回りしよう。

 そして、再来週の診療のための帰省では、田舎のアジサイも訪ねてみよう。
 
 

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オカズを残す(2) 

 
 理由は、簡単なことだった。
 この3日ほど、食事の途中で洗濯機の終了ブザーが鳴ったり、電話がかかってきたりしたため、こまめに"声かけ"をしなかった。
 口いっぱいになったから、食事を終えようとしていたのだ。
 最後の日は、こちらが食べるのを待っている間に、口に入っていたものが飲みこまれたため、再び食べ始めたのだ。

 食べ物を口に入れることと、噛むこと、飲み込むことがうまく連動しなくなって久しい。
 口いっぱいになると、入らない。
 1人の時は、それで食事は終わりを迎える。
 残ったものは、捨てられる。
 果物やお菓子などの中で、大好きなものは食べ尽くすから、不思議である。

 平らげるというより、処分されるといった表現の方が、的を得ているかもしれない。
 一度に入りきれないコッペパンなどの大きなパンも、半分は捨てられる運命だ。
 半分ほど食べられた後、捨て置かれる。
 ゴミ箱の中にも入れてもらえず、辺りに捨てられる物もある。
 しまい忘れたバナナは、無残である。
 1本を3分の1ほど口に頬張ると投げ捨てられ、次のバナナが同じ目にあう。
 そして、すべてがなくなる。
 繰り返されている光景が、鮮明に目に浮かぶ。

 翌日は、通常の食事パターンに戻った。
「もう口に、入れない」
「うん」
「良く噛んで」
「うん」
「まだ、口の中がいっぱいだよ」
「うん」
「まだ残っているよ」
「うん」
・・・・・・・・
  ・・・・・・・・

 何度も、何度も、繰り返す。
・・・・・・・・
  ・・・・・・・・

 並んだ食べ物をすべて平らげ、閉幕に入る。
「口に入っている間は、立ったりしない」
「うん」
「まだ、入っているよ」
「うん」
「まだ、頬がふくらんでいるよ」
「うん」
「まだ、動かない」
「うん」
・・・・・・・・
  ・・・・・・・・

 様々な問題はあるものの、一応は自分で食べている。
 食べること自体が難しくなる時は、いつ迎えるのだろうか。
 
 

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オカズを残す

 
「残すよ」
 聞きなれない言葉が、耳に入ってきた。
 こちら以上に食欲があるのに、オカズを残すというのである。
 数週間前にも同じようなことをいって、残したことがあったのを、思い出した。
 その時は、嗜好でも変わったのだろう位にしか思わなかった。
 顔色や様子からは、体調不良など微塵もない。
 昨夜に、菓子パンを1袋、平らげたからでもなさそうだ。
 大好きな"老人会"に出かける時刻には、まだ早すぎる。
 不思議なことが、起こった。

「これ、残すよ」
 次の日も、同じようなことをいう。
 今日は、半分に切って分けた"ゆで卵"と、煮付けた"さつま揚げ"が皿に残っている。
 食べ物の好き嫌いはないから何でも食べるが、どちらかというと、両方とも好きな部類に入るはずだ。
 様子からして、元気いっぱいである。
「どこか、具合でも悪いの」
「どこも、悪くないよ」
 年寄りには多すぎると、親戚に指摘されるほどだから、すでに食べた分で問題はなかろう。
「残しても良いけれど、お腹でも痛いの」
「痛くないよ」
 何かが変だが、当人は、いたって元気である。
 後片付けも終わり、デザートになった。
 こちらは、パクパクと平らげた。
 不思議なことが、連日、続く。
 
「これ、残すよ」
 今日も、また不思議なことが続く。
 食事を始める前に、電話がかかって来たので、こちらは、まだ箸を付けただけである。
 不思議だと思いつつ、食事を進める。
 別に、味付けを失敗したのでも、なさそうである。
 うまいと威張れるほどではないにしろ、不味いわけでもない。
 しばらくすると、
「やっぱり、食べるよ」
と、今日は再開した。
 そして、瞬く間に、平らげた。 

 もとに、戻った。
 
 

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種なしサクランボ?

 
 先週、梅雨に入ったと宣言された翌日は晴れたものの、ここ数日はぐずついた天気が続いている。
 前々日は、飲み会のため夜の9時半ごろに帰宅したが、猛烈な雷雨に会った。
 排水溝に収容できる量を超える降雨であった。
 道路には一面にわたって水が溜まり、高低に差があるところでは、滝のように流れ落ちていた。
 靴の中にも水が入り込み、歩くたびに靴の中で音がした。
 雷雨は予想されていたので大型のカサを持っていて、猛烈な時は雨宿りをしたものの、腰近くまでビショビショになった。
 今日も、午後は雨になるという。
 梅雨は、忘れることなくやって来た。
 4時半ごろには、夜も明ける様になった。
 間もなく、夏もやってくるだろう。
 季節も、知らぬ間に、着実に時を刻んでいる。
 
 朝食が終わった。
 食器を流しに出し、デザートの時を迎える。
 10年近く前、こちらに呼び寄せ、一緒に住むようになったときから、食事後には必ず牛乳を飲んでいる。
 果物類は、おやつとして食べていたようだが、目に見えるものは全て食べてしまうようになってから、隠さざるを得なくなったため、牛乳とともに食後のデザートとして出している。

 ちょっと前までは、イチゴが主流であった。
 すこし季節が早いとは思ったが、1度、スイカを買い求めた。
 やはり、甘さはなかった。
 温室栽培の技術が進んでいるようで、色は"真っ赤"で見事だったが、旬ではなかった。
 現在は、サクランボが旬である。

 こちらの地でのイチゴの旬は終わったが、田舎では今が旬である。
 露地物の最盛期である。
 姿かたちは昔と立派に様変わりしていても、懐かしい"香りと味わい"があると感じるのは、気のせいだろうか。

 田舎の地物が手に入ったので、買い求めていたサクランボと合わせて小皿に盛った。
 凄まじい勢いで口に入れようとするのを、たしなめる。
「種のないサクランボは、美味しいね」
 奇妙なことを言う。
 こちらが食べるサクランボには、間違いなく"種"は入っている。
 "種なしサクランボ"など、聞いたことはない。
 問うと、
「種の入っていないものがあるよ」
と、重ねて言う。 
 もしやと思い、食べているのを横目で、注意して見る。
 イチゴを食べた時に、言葉を発している。
「それは、イチゴだよ」

「何を言っているの、サクランボよ」
 
 

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ティッシュで遊ぶ 

 
 食器洗いをしていると、ゴソゴソ音がする。
 寝室に向かう足音ではない。
 振り返ってみる。
 こちらに背中を見せ、何かをしている。
 新しいテッシュの箱を開けている。

 脇には、半分も使っていない箱が2つあるのだが、なぜか3箱が揃っていないと満足しないらしい。
 ずいぶん前から、3個を並べるようになった。
 気が付いた始めのころ、なぜなのか何度も聞いたが、満足な答えは返ってこなかった。
 それ以来、封が開けられた箱が、常に3箱並んでいる。
 理由は、今もって分からない。

 その内の1箱のテッシュが無くなったらしく、新しく開けた箱からテッシュを取り出し、空になった箱に移し替えている。
 新しい箱は、ぎっしりと入っているので、空になった箱に詰め替えても、全部は入らないらしく、余った分を他の2箱に振り分けている。
 詰め替えた後、空いた新しい箱は、破られ捨てられた。
 元の3箱の仲間たちは、何事もなかったかのように、隙間なく横一列に並べられた。

 3箱のテッシュの隣には、大学ノートと筆箱が置かれている。
 座っている所からは、左手の位置で、手が届く距離にある。
 大学ノートと筆記用具は、もう1年以上、使われていない。
 それでもなお、いずれ"ご主人様がご所望"であろうことを待ち兼ねているように、定位置に控え続けている。

 昔は、その日の出来事を書いていた。
 その内、徐々に書かれる内容が変化しはじめた。
 テレビに映る文字を書くようになったのも束の間、テレビの片隅に表示される時刻が対象になった、
 最後は、単に鉛筆でノートをなぞるだけで、読めなくなった。
 それを1日中、続けていた。
 見知らぬ土地で、知り合いもいず、寂しい時を過ごすために見つけた唯一の楽しみだったようだ。
 ミカン箱に、5箱もたまった。
 毎日デイサービスに行くようになってからは、書くこと自体も"お仕舞い"となった。

 当たり前であるが、当時は何が書かれているのか、覗いて見ることなどしなかった。
 一緒にいると、小さな変化に気づかないものである。
 認知症のせいなどとは、思いも寄らなかった。
 単なる年のせいと思い込んでいた。
 後の介護生活に入る"きっかけ"の1つになった。
 緩やかで気がつかなかったが、いま振り返ってみると、徐々に症状が進んでいたのが明らかに分かる。
 後の祭りである。

 ほどなく、真ん中の箱から、テッシュを取れ出そうとしている。
 きれいに並んだ"隊列"が、崩れた。
 気になったらしく、直そうとしているが、今度はうまくいっていない。
 その内の1箱をつかみ、並べた2箱の上に積み上げた。
 座ったまま、左側にある箱を片手で直そうとするのであるから、うまくいかない。
 あきらめて別の箱を重ね、きちんと形を整えようとする。
 また、崩れる。
 何度も、繰り返している。

 そこには、時間に追われることのない世界があった。
 今日も、新しい遊びを見つけたようだ。
 
 

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居間に浮島ができた

 
 飽きることなく、朝がやってきた。
 夜明けごろから、居間の方から騒々しい音がしていた。
 ドアを開ける。
 一歩踏み出た途端、見えるはずのない姿が、なぜか見える。
 台所近くに、座っている。
 コタツ兼テーブルも、いっしょに移動している。

 台所と居間は、L字の形でつながっており、バリアフリーにしたから、ドアや段差などの境界となる障害物はない。
 L字の角を境界とすれば、明らかに台所への領土侵犯である。

 不思議な光景を理解できないまま、数歩進む。
 テレビの姿が、見えた。
 通電はされておらず、画面に映像はない。
 後ろ姿しか見えないが、夢の世界を透視しているのか、微動だにせず、前を見据えている。
 食事の時のエプロンも、しっかりと掛けている。

「おはよう」
「お帰り」
 半年前からか1年前からかは忘れたが、いっしょにいない時は、"外出している"と疑うことなく、確信している。
 説明しても理解できないし、面倒なので、今ではそのままに聞き流している。
 ずいぶん前から、座いすに座ると、座った位置に合うようにテーブルを手前に引いてしまう。
 座いすを、テーブルの位置に合わせるなどしない。
 席を立つたびに座イスは引かれるから、回数分だけ後退する。
 何回か繰り返されると、居間の壁や戸に当たる。
 これ以上は、後退することはない。

 気付くと直すが、また繰り返される。
 それでも、後ろ方向への後退だけだった。
 1メートル程度の後退は日常茶飯事なのだが、新たに左右へと、横の移動が加わったようだ。
 どのようにして横に移動したのだろうか、不思議である。
 いくら考えても、答えらしきものは、思い浮かばない。
 今まで、横へ移動した記憶はない。

 元の位置に戻す。
 きっと、新たな動きが発明されたようだ。
 食事を作っている最中は、移動しなかった。
 後片付けの間にも、それらしき動きはなかった。

 難問の解答を見つける楽しみが、また1つ新たに増えた。
 
 

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大好き"だった"海に向かう(2)

 
 最後の有料道路には入らず、10キロほど一般道を走る。
 ドライブを予定していなかったので、食べ物を仕入れたかったし、田園の景色も楽しみたかったからである。
 すぐにコンビニに入り、大好きなアイスクリームを求める。
 真夏のような青空には、アイスは良く似合う。
 外気温を見てみると、すでに27℃を示している。
 この時期の真夏日も、あながち嘘ではなさそうだ。

 田舎では、半月前に田植えが終わったばかりである。
 こちらの田んぼは、すでに青々としている。
 水面が見えないほど、生育している。
 さすがは、早場米の産地である。
 広大な田んぼが続いているのではなく、小さな田んぼで、形も様々なものが、あちこちに点在している。
 周りの建物を除外すると、昔懐かしい田園風景である。

 いつもなら、田んぼの稲には興味を示すのだが、今日はまったく反応していない。
 うれしそうな顔も消えている。
 かといって、不満そうでもない。
 無表情な顔をしている。
 最近は、家にいる時でも、無表情な時が多くなってきた。
 
 長い長い砂浜には、30ほどの海水浴場が連なっている。
 その中の4か所ほどが、"お馴染みさん"である。
 すべてが、海岸近くまで車で入れる砂浜だ。
 いつもの浜の1つの入口が見えた。
 いやに混んでいる。
 海水浴シーズンは避けているので、ほとんどの訪れる時は、閑散としていた。
 今日は、広い駐車場が、車で埋め尽くされている。
 こんなに混雑した時に来たことはない。
 入口の立て看板には、「7月1日から有料」と記載されているので、海水浴のシーズンでもない。
 戸惑うものの、海の見える最前列の空きスペースを見つけ、車を入れる。
 砂浜には、結構な人たちがいる。
 水辺には、あちらこちらに子供が遊んでいる。
 サーフィンを楽しんでいる人も、大勢見える。
 砂の流れ出るのを、せき止めているコンクリートの上では、ローラーボードにうつ伏せに乗った子供たちが、行ったり来たりして楽しんでいる。

 助手席からは、反応がない。
 いつもなら、
「波が荒いね」
「あら、また大波がくる」
「広々して、気持ち良いね」
「あそこに、人がいる」
など会話が始まるのだが、なぜか黙っている。

 いつもの海岸を訪ね回り、最後の海岸に至る。
 ここで、昼食となった。
 コンビニで買い求めた弁当を広げる。
 1年前までは、海の見える食堂やレストラン、1年中やっている海の家に入って地元の料理を味わうのも、ドライブの楽しみの1つだったが、今では無理となった。

 朝食が終わると、こちらは仮眠に入るのが常である。
 その間、助手席からは、波の状況の解説が続くはずである。
 まったく静かである。
 聞こえるのは、海岸で戯れる子供たちの嬌声だけである。
 光を遮るマスクの隙間から見ると、寝ている。
 小一時間ほどで、帰宅に向かう。
 早めの時間帯のせいか、渋滞の雰囲気もなく、あっという間に到着し、久しぶりの"ドライブの日"は終わった。


 翌日、朝食の最中、聞いてみた。
「昨日は、暑かったね」
 返事がない。
「昨日は、どこに行った?」
「老人会」
「海じゃなかった?」
「いや、老人会に行ったよ。楽しかった」
 忘れたというより、まったく記憶になかった。

 大好きだった"海"は、消えていた。
 
 

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大好き"だった"海に向かう

 
 昨夜までの雨が上がったようで、陽射しが差し込んでいる。
 まだ梅雨に入っていないが、雨の日は続いていた。
 空を見上げると、スッキリとした青空である。
 久しぶりの青空は、気持ち良い。
 朝食も終え、洗濯も終えた。
 本日は、人と会うなどの予定もない。

 老人会に行けないと分かると、すぐに寝てしまうようになったため、ドライブには、ずいぶん行っていない。
 "日曜日はドライブの日"、が消えて久しい。

 誘ってみた。
「行く?」
 最近、ドライブに行っていないからか、少しの間があって、返事が返ってきた。
 決まった。

 着替えるように促す。
 こちらも、着替えに入る。
「着替えが終わったよ」
と声がする。
 いやに早い着替えである。
 居間に戻ると、パジャマの上に上着を引っかけ、股引に履き替えた姿で待っていた。
 デイサービスに行く時の、手提げ袋もさげている。
 "なぜ老人会に行けないのか"のタダをこねないものの、相変わらず、デイサービスが頭の中を支配しているようだ。

 着替え直しをさせ、準備はできた。
 紙おむつも、持った。
 いつもの、行く前のセレモニーに入る。
「どこに行く?」
「どこでもいい」
「海、山?」
「どこでもいい」
 必ず海を選んでいたはずなのだが、前回から返事が変わった。

 車に乗り込む。
「海、山、どちらに行きたい?」
「海がいい」
 待っていた返事が返ってきた。
 決めてはいたが、いつもの海岸に向かことが了承された。
 60キロほどの距離を、自動車道で結ばれているから、1時間ちょいで着く。
 久しぶりの"ドライブの日"の始まりである。
 
 ラジオから、天気予報が流れる。
 昨日と打って変わり気温が上昇し、真夏日近くになるという。
 なるほど、青空だけでなく、入道雲らしき雲も湧き出ている。
 まるで、真夏のようである。

 助手席は、いつもの雰囲気ではない。
 自動車道に入ったとしても、都会の中だから、看板はいたるところに見かけ、読み上げる文字には事欠かない。
 "カーナビ麗人"と、会話を交わしてもいない。
 静かなのである。
 寝ているのでもなく、前方を見据えている。

 理由は、なんとなく分かる。
  ◇ "老人会"に向かうルートではない。
  ◇ なぜ、連れて行ってくれないのだろう。
 デイサービスに話題を振ってみた。
「昨日の老人会では、何をしたの?」
 予想通りだった。
「花を作った。いっぱい作った」
「歌を歌った。楽しかった」
「ゲームをした。おもしろかった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 昨日の出来事だけでなく、節分の豆まきの様子や、お雛様まで含んだ説明が始まった。
 助手席は、いっきに騒がしくなった。

 いつものシーンとは違うが、これでいいのだ。
 
 

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流れないものでも流したい

 
 いつものように、物音が仕出した。
 時計を見ると、いつもより30分ほど早い。
 昨日は日曜日で、午前中は何とか起こしておくことができた。
 ふとんに5、6回ほど入ったが、呼び戻したからである。

 最近は寝てしまうので、大好きな"ドライブの日"は、絶えて久しい。
 毎日のデイサービスに追われているからか、頭の中も"老人会"でいっぱいのようで、本人からも行こうとは言わなくなった。
 "お漏らし"が常態となってしまったため、こちらも強くは誘わないからでもある。
 だから、目を離すと寝てしまう。

 テレビにも興味はなくなっており、やることもない。
 デイサービスのような、付きっきりの相手などできない。
 午前中だけで、こちらが疲れてしまい、午後は放置した。
 昼食後は、必然的に"長い長い昼寝"となった。

 体力は十分に回復しているのだろうから、ある程度の活発な"夜のハイキング"は想定内である。
 1時間半程度で終わるであろう騒音を、気にしないように、意識的に聞き流す。
 "トイレハイキング"と名付けた動作は、今でも理解できない。
 用を済ますのではない。

 トイレに入る。
 トイレットペーパーを、カラコロと巻き取る。
 投げ入れ、水を流す。
 そして、出ていく。
 その間、10数秒。
 部屋に戻るや否や、再びトイレにやってくる。
 これが、1、2時間も続くのである。

 始まったばかりの頃、何度も何度も、何なのかを当人に聞いてみたが、回答はなかった。
 医師に問うても、納得できる答えは得ていない。
 "認知症だから"が、いま得ている解答である。
 
 ふと、背筋に冷たい感覚が走る。
 いやな予感がした。
 トイレに滞在している時間が、長すぎる。
 数分間も、留まっているのだ。
 いつもの行動パターンとは、明らかに違う。
 耳を澄ませ、音を聞き取る。
 水の音が聞こえるが、単に流れる音ではない。

 いやな気持ちが膨れ上がり、戸を開けて見る。
 トイレのドアは、開いたままになっている。
 そこに、便座の中に手を入れている姿が見える。
 駆け寄る。
 紙おむつを、押し込んでいる母がいた。
 押し込みながら、水を流す。
 周りは、水浸しだった。
 今回は早く気付いたため、トイレの所から外への流水は避けられたものの、マットなどは水浸しになっている。
 何をしているのか問うても、答えない。

 前回は専門業者を呼ばざるを得なかったが、今回は紙おむつだけだつたから、排除できた。
 4枚の紙おむつが、詰められていた。
 "お漏らし"が恥ずかしくて、流そうとしたのだろうと思った。

 取りあえずの処置をして、風呂に入れ、居間に戻った。
 漏らした紙おむつを入れたビニール袋が、そこにあった。
 そういえば、取り出した際、紙おむつは汚れていなかった。
 新しい物を詰めていたのだ。
 いまだに、理由は知り得ていない。
 大切な知覚が、また一つ、流れ消えたのだろう。

 出かける時は、水道を止めざるを得なくなったようである。
 
 

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