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2009年7月

赤くないスイカは美味しい

 朝食が終わり、後片付けも終わった。
 食後のデザートの時間である。

「このスイカは、おいしいね」
 スプーンで削ぎながら、必死に食べている。
 相変わらず、口いっぱいに含む。
 口に入れること、噛むこと、飲み込むことの連動は失っている。
 よく老人がモチをノドにつかえたと、正月などに報道されるが、とても1人でモチなどは食べさせられない。
 ゆっくり食べるように促す間もなく、食べ終える。
「スイカ、おいしかった」

 今日は、久しぶりに豪華なデザートのはずだった。
 本物のマスクメロンだった。
「メロンだよ」
「スイカじゃないよ」

と繰り返しても、しばらく経つと、
「このスイカは、おいしいね」
で片付けられた。
 初めて食べたのではない。
 一年間の空白があったとしても、毎年食べている。
 色形も、まったくウリとは違うのにである。
 不思議である。

 立派なマスクメロンなど、自ら購入するほどセレブな生活はしていない。
 お中元でいただいたものである。
 箱には、食べごろが添えられていた。
 その日が来るのを、楽しみに待っていた。
 やっと、その日が今日だった。
 昨夜から冷蔵庫に入れて、用意は万全だった。
 それが、スイカになるとは想像しなかった。

 子どもの頃、マスクメロンを食べた記憶は出てこない。
 そのかわり、ウリは豊富にあった。
 今思うと、マスクメロンほど甘くはなかったようだだが、当時の子どもにとっては、大変甘かった。
 満腹するほど、露地物が豊富にあった。
 熟する前に採取し、店頭で食べごろを待つなどしなかったから、おいしかったのは間違いあるまい。

 まだ1個、残っている。
 明日のデザートも、マスクメロンである。
 新しい記憶は完全消失するものの、昔の記憶は消えないそうだ。
 むしろ、昔の記憶が前面に出てくると、主治医は言っていた。
「ウリだよ」
といってみよう。

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最近のお年寄は元気

 
 最近、"中高年"の言葉を、良く耳にする。
 新聞に掲載されたり、テレビで放送されたりする場合は、善い事より、どうしても悪い事の方が多くなる。
 中高年が万引きしたとか、異性に対して嫌がらせをしたとか、おばあちゃんのパックを奪った者を捕えてみたら、中高年たったとか、とにかく最近の中高年は元気が良い。
 定年を過ぎても、昔とはずいぶん変わっている。
 現役時代にはできなかった趣味などに没頭したり、孫たちに囲まれたりして、静かに余生を楽しむ時代ではないようだ。

 つい先日も、中高年のグループが遭難したとかで、一日中、中高年の文字が躍っていた。
 遭難は、学生や若者の専売特許だったはずだ。

 一昔前は、"中高生"がマスコミを賑わしていた。
 万引きなどは、中高生のための言葉だった。
 中高生、中高年、一文字違いだが、ずいぶん世の中が変わったものである。
 それとも、せちがらい世の中にでもなったのだろうか。

 ところで、中高年とは何歳のことを指すのだろうか。
 "中年太り"といっても、"中高年太り"とは言わない。
 中年とは、壮年期を過ぎた頃から初老までの頃だろうから、40代から50代であろう。
 その先は、老人といっていたはずである。
 最近は、中高年と一括りに言っているのだろう。
 つまらないことが、気になるものである。

 うちの後期高齢者は、一点を除けば健康そのものである。
 蒸し暑さも何のその、夏バテなどは無縁である。
 今日もその元気な後期高齢者は、デイサービスで楽しい時間を過ごし、早目のお休みに入っている。
 食べるものを食べてしまえば、明るかろうとも、起きているように注意しようとも、止めることなどできない。

 公園で遊んでいる子供たちの元気な声が聞こえている。
 夏休みなのだ。
 まだ、セミの声は聞こえない。

 しばし、静かなヒトトキを味わっている。
 至宝の時である。
 
 

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夢の世界に地震が起こった

 
 声をかける。
 動きを察知するまで、繰り返す。
 まず、おむつを交換させる。
 近ごろは、おむつの交換から、1日が始まるようになった。
 初診でアルツハイマーと診断され、介護3と認定されたが、知り合いのところと比較すると、進行は穏やかである。
 時おり、症状が進んでいることに気付き、驚くことはある。
 ゆっくりではあるが、着実に進んでいるのも認める。
 現実をひしひしと感じ、将来の不安も持つようになっている。

 テレビから、外国でマグネチュード7.8の大きな地震が起きたとテロップが流れる。
 日本への津波の心配はないという。
 まもなく、地震大国のメンツにかけたのか、今度は国内で、震度3の地震が起きたとアナウンサーが告げている。
 近い場所のようであるが、揺れは感じなかった。

 食事の準備ができた。
 食事が始まった。
 しばらくすると、
「地震が長いね」
という。
 先ほどのテレビの影響だと思い、聞き流す。
 テレビで見たことを、現実のように話すことがある。
 いつものことと、気にもしなかった。

「揺れが長いねー」
 また同じことを言う。
「揺れていないよ」
「揺れているよ」
「ほら、揺れているじゃない」

「天井が揺れている」
 単なるテレビの影響でもなさそうだ。
 顔色は悪くない。
 食欲は、いつもと変わらず、暑さにもめげず、旺盛である。

 食事が終わった。
 何かをさせた方が良いとの忠告で、食べ終わった食器を、数メートル離れた"流し"に持っていくことにしている。
 立ち上がると、よろよろしている。
「まだ揺れている」
「天井が、ぐるぐる回っている」

と、症状は続いているようだ。

 "脳梗塞"、"脳溢血"の単語が、頭に浮かんでくる。
 左右のどちらか半身の力が抜け、箸などを落としてしまう。
 これはなかった。
 片目ずつ隠して調べてみたが、両目とも見えるという。、
 手足のしびれも、ないという。
 ろれつも、回っていない。
 めまいほどではないが、ふらつきはあるようだ。
 先週の定期診療では、血圧も問題ないといっていた。

 昨夜は、暑かった。
 夜の活動も活発ではなかったようで、睡眠は妨害されなかった。
 ひよっとしたら、熱中症か。
 お年寄は、家の中にいても、なるという。
 夜中に、水を補給したかどうかは分からない。
 足がつったともいっていないし、吐き気、顔面蒼白でもない。
 本人は、いたって元気である。

 食器の足片付けをする。
 食後のデザートの時間だ。
 地震は続いているというが、旺盛な食欲は変わっていない。

「今日は老人会を休んで、寝ていたら?」
「いや大丈夫」
「行く」

 きっぱりと、言い放った。


 少し心配していたが、いつもの元気な姿で、デイサービスから帰って来た。
 
 

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初夏の診療帰省(3)

 
 メンタルケアの病院に着く、
 建物が見えたころから、助手席は静かになった。
 予約券を入れ、待合室に向かう。
 元気がなく、何も話さない。
 椅子に座ると、心なしが、うなだれている。
 夢の世界の住人になっても、病院嫌いは治らないらしい。

 予約の時刻になっても、声がかからない。
 徐々に、待合室が混んでくる。
 廊下沿いに並んでいる診療室の入口を見てみると、今日は4人の医師が診察をしている。
 ほかの3人の医師のところには、患者が出入りしている。
 こちらの担当の部屋には、だれも入っていない。
 15分待った。
 スピーカーからは、呼び出しの名前は流されていない。
 通りがかった看護師に、聞いてみる。
 急患が出たため、もう少し待ってほしいという。
 メンタメケ科で急患?
 素人だが、何となく変である。

 遅れること30分、早足で見覚えのある白衣の人がやって来た。
 急ぎ足である。
 急患を診ていた様子とは、やはり違う。

 名前が呼ばれた。
 診察室に入る。
 こちらの不機嫌さを感じ取ったらしく、いやに愛想が良い。
 今の医師とは、何となく肌が合わない。
 そういう気持は以心伝心、相手にも伝わるものである。
 別に意地の悪い医師だとか、大柄だとか、なのではない。
 ただ、気心が知れていた前任者と、どうしても比較してしまうからである。
 運の悪い医師である。
 短い問診は、終わった。

 一転、"患者"は快活になった。
 一刻も早く立ち去ろうと、席を立つ。
「お世話になりました」
「さようなら」
 瞬く間に、診療所から脱出した。
 追いかけるのが間に合わないほどの、素早さである。
 職員たちであろうが、付添い人や患者であろうが、お構いなしに、出会う人すべてに挨拶をしている。
「お世話になりました」
「さようなら」

 毎度のことである。

 来た時とは別人のように、すたすたと車に向かう。
 外の道路沿いに建っている薬局に見向きもしないで、車に乗り込もうとする。
 止むなく車中に入れ、1人で薬を受け取りに向かった。
 車中には、1人のえびす顔が残った。
 
 

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初夏の診療帰省(2)

 
 快調に、田舎に向かっている。
 車の数は、めっきり減った。
 助手席も、読み上げる文字も探すのに飽きたようだ。
 朝食にすることにした。

 パーキング内で、離れた所にある休憩所に、朝食を並べる。
 品数は少ないが、外で食べる朝食は格別である。
 口からこぼれても、お茶をこぼしても、むせて米粒などをふき出しても、何の心配もない。
 注意の言葉をかけることもなく、なすがままにした。
 気温は、寒くもなく、暑くもなく、心地よい。
 この季節、虫などが飛び交う心配もない。

 あちこちに、同じような朝食の時を迎えている人たちが見受けられるが、最近は年配者が多くなった。
 昔と違って、帰省の際に見かける運転者も、高齢者が多い。
 高齢化社会は、間違いなく訪れているのを実感する。
 こちらも、後期高齢者と準・後期高齢者である。
 いつもと違う格別の味を楽しみ、朝食が終わる。

 遅めの出発であったから、順調な走行といっても、途中で自動車道をおり、一般道をのんびり走り、自然の風景を楽しむほどのゆとりはない。
 ひたすら、突き進む。
 田舎に向かう分岐点に入り、本道とお別れする。
 もう少しで、田舎である。
 
 あと10キロほどで、田舎のインターチェンジである。
 ポツリポツリと、数を数えられるほどの遠慮しがちな雨粒が、落ちてきた。
 暗黒の雨雲に覆われているのでもない。
 ものの1、2分ほどで、突然、激しい雨に見舞われる。
 一寸先も見えないほどの豪雨である。
 ワイパーを最速にしても、前面の景色が瞬く間に消える。
 走行している車がほとんどないとはいえ、危険なほどの雨が車を覆い続ける。
 歓迎の儀式にしては、あまりにも激し過ぎる。
 スピードを控え目に走行していると、止む時も瞬時であった。
 ホッとする。

 そうだ、アジサイだ。
 アジサイを訪ねるのも、今回の帰省の目的でもあった。
 すっかり、忘れていた。
 デイサービスで作ったアジサイも良かったが、また違う意味で自然のアジサイが咲き誇っている姿を見せるのだ。
 頭に、アジサイの場所が、あちこち浮かんで来た。
 
 

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初夏の診療帰省

 
 目覚まし音が、聞こえる。
 出発の時刻を知らせる音だ。
 すでに、夜は明けている。

 声をかける。
 いつもなら、数回で起きてくるのだが、今日は反応が鈍い。
 倍以上、繰り返し声をかける。
 寝惚け眼で出てくる。
 すっきりした顔で出てくるはずなのに、いつもと違う。
 "夜のハイキング"が、特別に激しかったとは思えない。
 聞いても答えは無いだろうから、疑問は解決できまい。

 出発時刻も。近づいて来た。
 オムツを交換し、着替えを促す。
 来ている下着の上に、新しい下着を重ね着しようとしたり、パジャマのままズボンをはこうとしたりと、着替えの儀式を、一通りこなす。

 オムツも、積んだ。
 手土産も、積んである。
 昨夜に作った朝食も、持った。 
 診察の予約券も、入っている。
 再確認が終わり、準備は万端となった。
 さあ、出発である。

 単なる出発の時を、迎えただけではない。
 2人だけで過ごせる"時"の始まりでもある。
 会話が激減した昨今では、貴重な時間になった。
 エンジンを音をたてる。
 少しの間をおいて、カーナビ麗人が声をだす。
 しばらく、カーナビ麗人に話しの相手を譲った。

 高速道に入る。
 いつもより30分遅いせいか、車の数が多いような気がする。
 かといって、渋滞の雰囲気などはなく、その恐れも感じさせないほどの台数で、スムーズに進む。

 薄い雲が、空一面、覆っている。
 雨をもたらすような雲ではない。
 純白のカーテンのようで、真横にカーテンのたわみが臨場感を表している。
 触れたら柔らかそうで、絹のような雰囲気がある。
 明るいが眩しくはなく、雨雲の暗さはまったくない。
 やはり、厚手の純白なカーテンのようである。
 これから始まるドラマを、予感させる。

 風がない。
 このような日には、霧に出会う場所がある。
 電光表示板には、そのような注意は表示されていなかった。
 まもなく、その地点に至るが、無用の心配であった。

 空には、やや明るさが減ったものの、相変わらず真っ白がカーテンが覆っている。
 霧に出会わなかった代わりに、車内が臭って来た。
 オムツを交換すべく、次のパーキングに車を向けた。
 
 

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七夕がやってくる(3)

 
 介護センターの、自動ドアが開く。
 笹竹は、ずいぶんと賑やかになっていた。
 短冊は白い色のままだが、ずいぶん数が増えている。
 4本ほどの"輪っか綴り"も、加えられた。
 七夕は、こうでなくてはならない。
 赤、黄、青、ピンクなどが輪になり、笹竹と天井を結んでいる。
 いよいよ、七夕のイベントの始まりである。

 まだ、枯れた笹竹を着飾るには、白い短冊の方が多すぎて、華やかさには欠けている。
 一番星、二番星も、網飾りも、吹き流しも、投網もない。
 都会では、田舎のような"決まり"はないようだ。
 この介護施設には、大勢の人が集う。
 日にちを重ねるごとに、にぎやかになることだろう。

 まもなく、職員に連れられて出てきた。
「さようなら」
「お世話になりました」
「元気でね」
「またね」
・・・・・・・・

 一人ひとりに挨拶をしながら、元気に出てきた。

 車に乗り込むと同時に、おしゃべりが始まる。
「今日のお昼は、・・・・・」
「おやつに、・・・・・」
「・・・・・をやった。楽しかった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 
、遂に、話しに出てきた。
「今日、七夕を作ったよ」
 今日から、話しの内容が"七夕"に代わった。
 短冊を作った、短冊に字を書いたと、くり返し言っている。

「何をお願いしたの」
「何だったんだろうかねー」
 元気なものである。
 関連の行事は、数日間は続けられる。
 週に1回しか来ない人もいるので、大体、1週間は続く。
 しばらくの間は、七夕の話しが繰り返され、話題には困ることはなさそうだ。

 七夕ということは、7月。
 今年も、半年が過ぎたことになる。
 早いものだ。
 年を重ねたせいか、以前の"あと半分しかない"という気持ちから、"あと半分もある"と考えるようになった。
 どう考えるかは考えようだが、"あと半分もある"と考える方が、幸せな気持ちになれる。
 これも、不思議な疑問のうちの1つである。

 ふと、思い出す。
 あのアジサイは、どうなったのだろう。
 いま七夕が飾られている同じ場所の天井には、ちょっと前に"アジサイ"が吊るされていた。
 あまりにも、短命だった。
 
 

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七夕がやってくる(2)

 
 次の日の朝、瑞々しかった笹竹は、枯れ姿に変わっていた。
 青々として、4人の職員たちを翻弄していた面影はない。
 昨夜の抵抗に疲れたのか、それとも悟ったのか、静かな姿に変わっていた。

 七夕に関するものは、会話に出なかった。
 塗り絵をやったのだの、踊りをやったのだの、ボーリングをやったのだの、ごちゃまぜな会話の中にも、間違いなく出ていない。
 笹竹を設置したのが昨夜だったたから、七夕の準備はこれから始まるのだろうと考え、あえて質問もしなかった。


 迎えに訪れると、真白な短冊が10数個ぶら下がっている。
 いよいよ、七夕が始まったようである。
 枯れた笹竹に、白い短冊だけがぶら下がっている。
 ふと、昨年も同じ様なスタートであった気がする。
 白だけでは、彩りに欠ける。
 やはり、七夕は、華々しい方がいいと思う。

「今日のお昼は、・・・・・」
「おやつに、・・・・・」
「・・・・・をやった。楽しかった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 いつもの、パターンが始まった。
 しかし、七夕の話しは出てこない。

「今日は、みんなで習字をやったよ」
 これだと思った。

「七夕様に、何をお願いしたの」
「してないよ」
「入口に、笹が飾ってあったよ」
「していないよ」
「短冊がぶら下がっていたよ」
「作っていないよ」
 話しの様子からは七夕の雰囲気が感じられず、どうも本当の"習字"をしたようだ。
 とすれば、ぶら下がっていた短冊は何なのだろう。

 介護センターは、バリアフリーになっているので、靴を履いたまま入っていける雰囲気があるのだが、土足厳禁になっている。
 どこからが境界なのか、いまだに知らない。
 入口には、多数のスリッパが供え付けてある。
 履き替えてまで、短冊を見るのも"変かな"と遠慮した。
 まさか、給料を上げてほしいとか、勤務時間を短くしてほしいなどと、職員が書いてあるわけもなかろう。
 急に、"誰が、何を"書いたのか、興味が膨らんだ。
 次回、ちょっと覗き見してみよう。

 今日は、きっぱりと返事をしていた。
 時系列に混ぜこぜになっているものの、まだ記憶の部分は大丈夫だと、一安心した。
 梅雨の晴れ間のような日だった。
 
 

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七夕がやってくる

 
 迎えのため、介護センターに着く。
 入口の自動ドアが開く。
 正面の壁際で、職員たちが3人がかりで、何かをしている。
 笹竹だ。
 7月に入っている。
 今年も、七夕がやってくるのだ。

 天井につくほど大きな笹竹が、右にゆらり、左にゆらり。
 悪戦苦闘している。
 新たに、もう一人の職員がやって来た。
 右手に、ノコギリを持っている。
 ほどなく、根元を30センチほど切り取られた。
 先っぽは、まだ天井につかえてお辞儀をしているものの、跳ね返すほどの力は失っている。
 4人がかりで取り押さえられた笹竹は、下に設置された土台にくくりつけられ、覚悟を決めたようだ。
 まるで、うなだれているような姿にも見えた。

 竹は、"草"なのだろうか、"木"なのだろうか。
 今でも不思議で、解決できていない疑問の1つである。
 イネ科だから草なのだろうが、60年から120年も生きるという。
 最後には、いっせいに開花し、いっきに枯れるといわれる。
 何十年も生きているのだから、"木"の仲間に入れてあげないと可哀想だと思っている。

 幼いころ、日常の生活に、竹は密接にかかわっていた。
 その一つに、笹の若葉が青々とする季節には、必ず笹巻きを作ってくれた。
 2枚の笹の葉を三角形に折って、モチ米をつめ、ワラでしっかり縛り、複数個を束ねて、大きな鍋で水煮をする。
 できあがると、風通しの良い場所に吊るされる。
 出来上がりは、モチ米の粒がお互いに溶け合い、モチモチ感がなんとも言えないのである。
 蒸しては、あの触感は味わえない。
 水煮なので、笹の葉の香りも、気にならないほど淡い。
 砂糖をまぜ、甘くした"きな粉"を付けて食べる。
 至宝の時であった。
 育ち盛りだったし、お腹が満足する大好きな食べ物だった。

 簡単なようで、作るのは難しかった。
 縛るのだけでなく、モチ米の量も笹の葉の大きさに合わせて加減しないと、膨れて飛び出したりしてしまう。
 母は、次から次へと手慣れた動作で、仕上げていく。
 感心しながら、見ていたころが目に浮かび、懐かしい。
 もちろん、元気なころの母が、そこにいた。

 住まいは市街地のはずれといっても、近くに笹竹などなかった。
 遠くに採取しに出かけた様子もないのに、笹巻きの季節になると、いつも瑞々しい笹の葉があった。
 今でも不思議で、解決できていない疑問のもう1つである。

 急に、食べたくなった。
 自分では作れないし、今の母では無理である。
 来週は、定期の診療のため、帰省する。
 叔母に、電話をすることにした。
 
 

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