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七夕がやってくる

 
 迎えのため、介護センターに着く。
 入口の自動ドアが開く。
 正面の壁際で、職員たちが3人がかりで、何かをしている。
 笹竹だ。
 7月に入っている。
 今年も、七夕がやってくるのだ。

 天井につくほど大きな笹竹が、右にゆらり、左にゆらり。
 悪戦苦闘している。
 新たに、もう一人の職員がやって来た。
 右手に、ノコギリを持っている。
 ほどなく、根元を30センチほど切り取られた。
 先っぽは、まだ天井につかえてお辞儀をしているものの、跳ね返すほどの力は失っている。
 4人がかりで取り押さえられた笹竹は、下に設置された土台にくくりつけられ、覚悟を決めたようだ。
 まるで、うなだれているような姿にも見えた。

 竹は、"草"なのだろうか、"木"なのだろうか。
 今でも不思議で、解決できていない疑問の1つである。
 イネ科だから草なのだろうが、60年から120年も生きるという。
 最後には、いっせいに開花し、いっきに枯れるといわれる。
 何十年も生きているのだから、"木"の仲間に入れてあげないと可哀想だと思っている。

 幼いころ、日常の生活に、竹は密接にかかわっていた。
 その一つに、笹の若葉が青々とする季節には、必ず笹巻きを作ってくれた。
 2枚の笹の葉を三角形に折って、モチ米をつめ、ワラでしっかり縛り、複数個を束ねて、大きな鍋で水煮をする。
 できあがると、風通しの良い場所に吊るされる。
 出来上がりは、モチ米の粒がお互いに溶け合い、モチモチ感がなんとも言えないのである。
 蒸しては、あの触感は味わえない。
 水煮なので、笹の葉の香りも、気にならないほど淡い。
 砂糖をまぜ、甘くした"きな粉"を付けて食べる。
 至宝の時であった。
 育ち盛りだったし、お腹が満足する大好きな食べ物だった。

 簡単なようで、作るのは難しかった。
 縛るのだけでなく、モチ米の量も笹の葉の大きさに合わせて加減しないと、膨れて飛び出したりしてしまう。
 母は、次から次へと手慣れた動作で、仕上げていく。
 感心しながら、見ていたころが目に浮かび、懐かしい。
 もちろん、元気なころの母が、そこにいた。

 住まいは市街地のはずれといっても、近くに笹竹などなかった。
 遠くに採取しに出かけた様子もないのに、笹巻きの季節になると、いつも瑞々しい笹の葉があった。
 今でも不思議で、解決できていない疑問のもう1つである。

 急に、食べたくなった。
 自分では作れないし、今の母では無理である。
 来週は、定期の診療のため、帰省する。
 叔母に、電話をすることにした。
 
 


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