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2009年8月

パソコンも認知症?

 
 今日で3日目、パソコンが使えない。
 2日前、いつものように、電源を入れた。
 通常より、立ち上りに時間がかかっていると感じていたら、
 "ネットワークへの接続を失敗した"
と、メッセージが出た。
 言い訳のメッセージは、今まで見たことのない内容であった。
 それから、ネットにつなぐことが出来なくなった。
 持ち合わせの知識をフルに使って、修復しようと何度も試みたが、徒労に終わった。

 モデム/ルーターとつながらないことが原因のようなので、まず回線のサービスセンターに電話をした。
 機械による案内が始まり、質問をしてくる。
 言われるがまま、指示どおりに答えに該当する番号を押していると、
 "後ほど相対応する順番が来たら電話をする"
と返答がある。
 さすが、日本最大の通信会社、おっとりしている。
 「たかがネット、つながらなくとも人生は変わらない」
とでも言っているようだ。
 相手が人であれば懇願もできようが、相手が機械では、手立てはない。

 しびれを切らすころ、電話がかかって来た。
 あれやこれやと、矢継ぎ早に、いろいろな指示が出される。
 やったことのあるものもあるが、初めて試みる操作もある。
 1時間半を超えた。
 相手も、想定外の時間を食っていると感じのか、想定した手立てを出しつくしたのか、次の指示の間隔が空くようになった。
 どうも回線が原因ではなさそうだと感じ始めた。
 相手も、そう結論付けたようで、プロバイダーに聞いてほしいと言ってきた。
 了解である。

 プロバイダーに電話した。
 こちらは、人間様がすぐに出た。
 似たような事を、一通り繰り返した。
 改善される雰囲気は、まったく無い。
 時間だけが過ぎていく。
 受話器を当てている耳が痛くなる。
 暗黙のうちに、今日はこれくらいにしようという雰囲気に包まれる。
 相手の話では、プロバイダーの問題でもなさそうだと、思い始めたのも、中止しようと判断する理由でもあった。
 いろいろ試し、充実した日であった。

 翌日、プロバイダーではなく、パソコン・メーカーのサービスセンターに電話した。
 こちらも人が相対応したが、総合受付のようで、マニュアル通りであろう簡単な質問の後、パソコンを購入してから1年を経過しているので、有料になるという。
 どうするかを重ねて聞いてくるが、パソコンが使えないのだから、「止めます」といえる客などいるのだろうか。
 承知すると、請求書を送るので、郵便番号から住所、電話番号、フルネームをしっかり質問された後、担当者から電話をするという。
 
 1時間も過ぎたころ、電話がかかって来た。
 昨日に試された様々な操作を、重ねて試みる。
 同じことなのだが、自分の指示で試さないと納得がいかないらしい。
 試みて、そして、すべてうまくいかない結果が待っているのは、当然である。
 電話の向こうで、心なしか、沈黙が多くなってくる。
 "だから言っただろう" というのをジッとこらえて、次の指示を待つ。

 ふと、似たような情景を思い出した。
 介護の生活に入った時、いろいろな病院を回った。
 いま住むところと、田舎にある病院などを、である。
 行くたびに、同じように検査を行って、不思議に思った。
 いま住んでいるところでは、毎年、無料検診の案内が来る。
 毎年欠かさず受けていて、結果はファイルに綴じてあった。
 それを持っていくのであるが、なぜか同じ検査を病院ごとに行わされたのである。

 しばらくすると、状況を総合的に判断して、対処方法を探してから再び電話をするから、いったん電話を切るという。
 有料であるから、他社のせいにする態度ではない。
 続きは、明日にしたいと申し出ることもできないようだ。
 このまま待っても、良い知恵もなさそうだし、了解する。

 故障は直らないものと、あきらめの気持ちに変わったころ、電話がかかってきた。
 指示どおりに、操作を繰り返す。
 30分ほど繰り返しているうちに、突然、復帰した。
 あまりにも、あっけない復帰であった。
 さすが、有料の"サービス"である。
 礼を言って、電話を切った。

 昨日の真夜中にも、電話があった。
 受話器を取ると、認知症を元に治すやり方が見つかったという。
 あまりの喜びで、目が覚めた。
 夢だった。
 
 

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同じ棟に同じ仲間がいた(2)

 
 老いた女の人が、介護センターの職員に連れられて、エレベーターホールの入口の前までやってきた。
 職員との間の会話は、まったく成立していない。
 会話に飽きたから、黙っている様子でもない。
 職員が話しかけても、まったく反応していないのだ。
 認知症が、ずいぶん進んでいる様子が、うかがえる。

 職員が見ている方向に、目をやる。
 白髪の年老いた男の人が、1人待っていた。
 いることに気付かなかったが、こちらの人は、たまに見かける。
 80歳は優に超えていると、見受けられる。
 時折、公園を、一歩一歩確かめながら散歩していた。

 職員は、ひと言ふた言、話すと、帰って行く。
 入口の自動ドアが開き、2人で手を取り合いながら入ってくる。
 介助しているのだが、なんとなく微笑ましい、
 先ほどから、迎えを待っていて、様子を眺めていたようだ。
 同じデイサービスだと分かったらしく、話しかけてくる。
 形通りの挨拶をする。
 何階に住んでいるのか、名前は何、デイサービスは週に何回だの、矢継ぎ早に聞いてくる。
 話し相手が見つかって、鬱積を吐露しているようにも思える。

 エレベーターが、やってくる。
 ドアが開く。
 乗り込んでも、話しを止めようとしない。
 話し相手に餓えている聞き方だったので、出来るだけ応えてやろうと返事をした。
 女の人は、母より1歳若いとのことだから、相方の男性は、さらに2、3歳ほど年上だと思われる。
 頭だけはしっかりしているが、歩き方はおぼつかない。
 こちらの人にも、介護が必要な状態だ。

 10階に住んでいるという。
 ここに住むのが、5年目だそうだ。
 年老いたため、引っ越してきたという。
 玄関の鍵を掛ければ済む。
 1戸建てのように、前の道路を掃除する必要もない。
 玄関前の通路でさえ、管理する人がちゃんとやってくれる。
 強いて言えば、ベランダの掃除くらいであろう。
 ゴミ出しも、各階にはダストシュートが付いていて、ほんのちょっと歩けば、いつ何時でも捨てられる、
 目の前には公園もあるし、スーパーも公園内にある。
 年老いた夫婦だけなら、1戸建てより生活環境は良いだろう。
 近所付き合いが希薄な点だけが、難点である。

 お子さんは、との問いに、遠くにいるという。
 なぜか、悲しそうな顔をする。
 人それぞれの人生がある。
 それ以上、追及しなかった、

 10階に着いた。
 ドアが開く。
 別れの挨拶をする。
 2人が出るのに、ずいぶん時間がかかった。
 "老々介護"なる言葉をよく耳にするが、聞いている状態より、もっと大変な人を目のあたりに見て愕然とする。
 可哀想にもなってきたが、奥さんは幸せか。

 手伝いもしてあげたいが、こちらも同じ身の上である。
 ままならない。
 ドアが閉まり、さらに上昇する。
 暇ができたら、話し相手に訪ねてみよう。
 田舎の銘菓でも、手土産にもって。
 
 

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同じ棟に同じ仲間がいた

 
 迎えの時を知らせる調べが鳴る。
 土曜日は、デイサービスの車で、送り届けてもらっている。

 介護センターは、4、5百メートルしか離れていないのだが、送迎者の最後に降ろしてもらうように頼んである。
 最初の頃、真夜中に向かおうとして、家から出てしまう。
 方向感覚など失っているから、行き着くことはない。
 とんでもない所で、警察に保護される。
 そんなことが繰り返されたから、"老人会"は遠いのだ、と思わせるために、送迎の際は遠回りすることにした。
 送ってもらう際にも、同じようにしてもらっている。
 その効あって、徘徊は激減した。

 外出着を羽織り サンダルを突っ掛け、家を出る。
 先月は雨が多かったが、8月に入り中ごろになると、夏らしく、太陽がまぶしい日が続いている。
 今日も、平年並みとは言うものの、暑い。
 田舎と違って、周りはコンクリートだらけ、焼け石に囲まれているようなものである。
 暑さに嫌気をさしたのか、セミの鳴き声も聞こえない。
 そんな中でも、子どもたちは元気に公園内を走り回っている。
 まだ、夏休みの最中だったのだ。

 約束の時刻ちょっと前に、待ち合う場所に着く。
 1、2分遅れだけと、なかなか正確な時刻に、やって来た。
 毎日100人ほどを介護している大きな介護センターであるから、小型バスより大きく、普通のバスに近い大きさがある。
 少なくとも、2台は見ているが、何台あるのか分からない。

 送迎車が停まる。
 こちらを見つけたようで、係員がシートベルトを外した途端に立ち上がり、降車しようとしている。
 係員の静止など、お構いなしだ。
 大慌てで、2段ほどの段差を駆けおり、出ようとする。
 係員は苦笑いをするものの、笑顔は絶やさない。
 さすが、人を取り扱っている専門家である。
 上手に操り、無事に降車させる。
 その見事さには感心するだけでなく、敬服の念がわいてくる。

 お礼の挨拶をすませ、ゆっくりエレベーターに向かう。
 同じ車から、もう1人の老いた女の人が降りて来て、職員に助けられながら、こちらの後をゆっくりと追ってくる。
 いくつもの棟があるので、いずれかの棟に住んでいるのだろう。
 エレベーターホールに、着く。
 運悪く、全てのエレベーターが動いており、待機しているエレベーターはなかった。
 ボタンを押す。
 やってくるのを、しばし待つ。

 先ほどの人が、介護センターの人に連れられて、こちらに向かってやってくる。
 同じ棟に住んでいるようだが、見かけた記憶はない。
 近くにいくつかの介護施設があるので、同じ施設に通っている人が、同じ棟にいるとは思わなかった。
 住んでいる棟も、日本の人口の構成と同じように、高齢者が増えているようだ。
 
 

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晩夏の朝が過ぎていく

 
 セミが、しきりに鳴いている。
 ベランダのガラス戸2つすべてを、全開する。
 玄関の方に行き、こちらのドアも半開きにする。
 清々しい風が、どっと吹き込んで来る。
 熱帯夜だったが、朝の風は気持ち良いものだ。
 セミの鳴き声も、風に乗って、部屋中に響き渡る。

 昨日までの様子とは、少し違うようだ。
 ミンミンゼミの鳴き声をかき消すように、アブラゼミの鳴き声が圧倒している。
 明らかに、数による勝利だ。
 陽が高くなるにつれ、アブラゼミの方が元気になる。
 コンクリートの味気ない空間に住んでいるせいか、昆虫の鳴き声は、心を和ませるものである。

 田舎では、月遅れのお盆が過ぎると、日中の気温が暑い日でも、夜にはいっきに下がり、しのぎ易くなる。
 盆地の所以である。 
 そして、"びぐらし"が、夕方の音の空間を占める。
「カナカナカナ」
と鳴く音は、暑かった夏の終わりを告げる風物詩でもある。

 同じ夏の終わりを知らせる昆虫がいる。
 "すいっちょ"である。
 体長は2~3センチ、全身緑色をしていて、確かキリギリスの仲間だったと記憶している。

 電灯を消し、眠りに入ろうとする頃、かすかな鳴き声が、暗闇の中、聞こえ始まる。
 ウトウトする頃には、どこからか部屋にやって来て、
「スイーッチョ、スイーッチョ、スイーッチョ」
と、枕元近くで澄んだ鳴き声を奏でる。
 コオロギは家の中まで入ってこないが、すいっちょはお構いなしに入ってくる。
 真っ暗闇の中、吊った蚊帳にしがみつき、鳴く。
 メスを呼んでいるのだろうが、その鳴き声には、過ぎゆく夏をいとおしむ韻律がある。
 いま住む所で、すいっちょの鳴き声は、聞いたことはない。

 やっと、ゴソゴソする音が、寝室から聞こえ始めた。
 しばらくすると、無言で起きてきた。
 おむつを、交換させる。
 下着もパジャマも、着替えさせる。
 朝一番の儀式を終える。

 その後、テレビのコンセントを差し込み、定位置に座り、食事のための前掛けをし、じっと待っている。
 いつもの工程を、何事もなかったように、こなした。
 今日は、セミが鳴いているとは言っていない。
 鳴き声は、聞き飽きたようだ。

 ベランダに、日差しが、さんさんと降り注いでいる。
 今日も、暑くなりそうだ。
 
 

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新しい記憶が消えた

 
 カーナビ麗人が、
「この先は渋滞」
と、しきりに告げている。
 この先は右だとか、しばらく真っ直ぐだとかには、時おり返事をしていたものの、渋滞との言葉には興味がないらしく、話し相手をやめてしまっている。
 事故があったとかで、渋滞の先は交通止めだと言い始めた。
 交通情報を流している周波数のボタンを押す。
 甲高い女性の案内が、室内に充満する。
 合成された音声なのか、まわりの騒音に負けず、良く聞き取れる。
 交通止め解除の見通しは、立っていないという。
 もうすぐ家に着くほどまで進んでいたが、止むを得まい。
 2つ手前で、自動車道をおりることにした。

 一般道も、結構、混んでいる。
 別に急ぐ必要もない。
 家も、近い。
 車の流れに任せ、中央の車線を変更なしに、ノロノロ進む。

「すごく高い建物だねー」
「すごいねー」
「あら、あそこの建物も、すごいねー」

 助手席から、嬌声があがる。
 車の前方ではなく、左わきのガラス戸越しに、外を見ている。 
 腰をひねって、ガラスに顔を押し付け、歓声をあげている。
 年齢の割に、身体の柔らかさは、見事なものだ。
「こんなに高い建物は、初めて見た」
「あら、また大きな建物があるよ」
「あっちにも」
「すごいねー」

 飽きもせず、感嘆しきりである。
 道路沿いに建っているビルなどは、ガラス戸に顔を付けても、最上階は見えないらしい。
 なんとか見ようとして、必死にチャレンジしている。

 建物に付いている看板を読み始めた。
「○○○は、高いねー」
「すごいねー」
「△△△は、もっと高い」
「こんなに高いのは、初めて見た」
「あら、◇◇◇は、すごく高い」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 文字は、正確に読んでいる。
 昔に得た知識の記憶は、健在のようである。
 大したものだ。
 ケガはしないだろうから、為すがままにした。 

 1週間ぶりに帰る。
 住まいの14階についたら、どのように言うのだろうか。
 帰宅の楽しみが、1つ増えた。

 この1週間で、この10年間の記憶が"リセット"されたようだ。
 
 

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真夜中に演説する

 
 夜半、何かの話し声で、目が覚める。
 玄関の方からではない。
 深夜で寝静まったとしても、各戸との防音はしっかりしているから、隣人の話し声が聞こえたことなど、一度もない。
 外から聞こえてくるのだろうか。
 熱帯夜から逃れるために、ベランダのガラス戸は、3、40センチほど開けておいた。
 多少の風さえあれば、風通しは良すぎるほどある。
 その風に乗って、話し声も入り込んでいるのだろうか。
 
 14階に住んでいると、階下を行き交う人の声がよく聞こえる。
 地上では、塀や木々、生垣、建物等で、ある程度 遮蔽されるのだが、空に向かう方向には音を遮るものなどない。
 想像する以上に、はっきりと聞こえる。
 ケンカをしている甲高い声などは、人影を見失うほど遠くの人の声も、よく聞こえる。

 この話し声は、外からのものではない。
 他には、人はいないはずだ。
 そーと、居間に入り、寝室の方に耳を傾ける。
 やはり、母の部屋からだ。
 ふすま越しに聞こえる。
 昔のことを話している。
 独り言のような、ボソボソした話しぶりではない。
 時おり見かけるのとは違い、はっきりした声だ。
 相手がいて、それに対して一方的に話すやり方である。
 まるで、演説だ。
 見事な話し方である。

 しばし、耳を傾ける。
 聞いたことのある話もあるが、初めて聞く内容が多い。
 初めて聞く話しは、若いころの話しのようだ。
 嫁ぐ前の話しも、あちこちに出てくる。
 センテンス毎には、それなりのまとまりはあるようだが、全体的な脈絡はない、

 聞いているうちに、いかに母のことを知らないかを思い知る。
 一緒に生活していても、相手の気持ちや立場を察することの難しさを、しみじみと感じる。
 友人はもとより、たとえ夫婦であっても、親子同士であっても、お互いに、心底から理解しあえる難しさの所以であろう。

 状況から類推すると、寝ながら話しているようだ。
 時おり、ふとんを叩く音もするから、手足も使って、演説していると思われる。
 ノドは乾かないのだろうか。
 風通しが良いと言っても、真夏の夜である。

 声をかけようとしたが、思い止まる。
 "夢の中での話しには声をかけてはならない"、と教えられたことを、思い出したからである。
 魂を黄泉の世界に連れていかれるとかだった。
 送り出すには、まだまだ早すぎる。
 
 

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本物のスイカも美味しい

 
 朝食が終わり、後片付けも終わった。
 食後のデザートの時間である。

 ここ数日は、スイカが続いている。
 昨年までは、大きく切ったものをスプーンで食べていた。
 今年は、おぼつかなくなったため、4分の1に切ったものを、さらに2、3センチ幅に切って出している。
 日々の小さな変化には、なかなか気付かないものだが、1年ごとの動作を見ると、やはり激変している。

「今日のスイカは、美味しいね」
 昨日食べたものを切り分けたものだが、ご愛嬌であろう。
 スイカの味どころか、食べたことすら忘れ去ったようだ。
 元々、いやなことは忘れる性質である。
 苦労して育ったようだから、忘れようとしているうちに、そのような性質になったのかも知れない。
 今では、前の日のことなど、すっかり忘れてしまう。

 期待通りの言葉が発せられた。
「こんなに美味しいスイカは、初めて」
 ニコニコしながら、言う。
 口の両端からスイカの汁を垂らしながら、獣のように喰らいついている点を除けば、どこにでも見かける食後のひとときである。
 食事の時と同様に、声をかける。
 口の中がなくなるまで、次を食べないように促す。
 なぜか悲しくなる。

 昔の子供のころを思い出す時、懐かしさで楽しくなる時もあれば、悲しい状況ではないのだが、なぜか胸が熱くなる時がある。
 幼年時代の"追憶"なのか。
 それとも、過ぎ去りし、2度と会えない時への想いなのか。

 今日は、セミがやけに元気に鳴いている。
 数日前から鳴き始めたが、今日は大勢のセミが競っている。

 スイカには、セミの鳴き声が、良く似合う。
 まさしく、夏の風物詩である。
 今日は、暑くなりそうだ。
 
 

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何かを急ぐ

 
 朝食の準備をしていると、背中の方から、独り言が聞こえだした。
 前々から、ボソボソ言ってはいたのだが、最近は、はっきりと言うようになり、回数も増えた。
 食事が終わってからなど、することがなくなると言う傾向があるのだが、今日のように、食事を待っている時に言うのは珍しい。
「早く、早く」
 お腹が空いたから、の意味ではない、
 食事が終わってからのセリフの中でも、
「早く、早く」
は、メインの言葉である。
 何を急いでいるのかは、未だに意味不明である。
 その後の行動を含めて考えても、何かを待っているのでもなく、意味も持っておらず、単に発音しているだけと思われる。

 デイサービスに行っている時にも、同じセリフを言っていると、職員たちから聞いている。
 相手をしてもらえない時などに、起きるという。
 せっぱ詰まった言い方ではなく、聞き取れるか取れないかの音量だという。

 家では、テレビに向かって言う時もあるし、時計に向かって言う時もある。
 外に目をやっていう時もあるし、明らかに目の焦点が合っていない状態で言っている時もある。
 たまにではあるが、ドライブの最中に突然に出て、ビックリすることもあった。

 言い方は、その時その時のバリエーションもあるが、別に急いでいるような言い方ではない。
 始めの頃は、気になって仕方がなかった。
 今では、大概なことに動じなくなったから、答えを求めて頭の中を奔走させることはしなくなった。
 "なるようになる"、自然体である。

 食事になると、独りごとは消えた。
 その代り、昨日のデイサービスの出来事を、繰り返し始めた。
 聞き流す。
 ポツリと、
「セミが鳴いている」
という。
 食事の準備をしている時には気付かなかったが、階下の公園で、確かに鳴いている。
 それも、ミンミンゼミだ。
 心が和む。

 田舎では、ミンミンゼミが鳴くと、盛夏である。
 暑さの峠を越え、夜には涼しくなる。
 今年も、元気に夏を過ごせそうだ。
 
 

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