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2010年1月

びろうな話し

 
 昼間は、春のような暖かさになるそうだ。
 しかし、朝の気温は、まだまだ冬の冷たさである。
 ふと、冬と夏、どちらが好きになったかと、己に問うてみる。

 今の時期は、戸を開け放つと、冷気が一気に入ってくる。
 とても、開けたままにはできない。
 どうしても、お漏らしの臭いが、部屋中に充満する。
 消臭剤などを、あちこちに設置していても、"80余年の経験を重ねてきた臭い"には、太刀打ちできない。
 起きてから居間に行ったばかりの時は、ひどく感じる。
 臭いを感じる器官は、臭いに対して順応するらしく、しばらく経つと、不思議なもので、あまり気にならなくなる。

 夏は開けっ放しが、似合う季節である。
 14階だから、いつも風通しは良い。
 最近は様々な規制が強化されたようで、排気ガスなどの臭いを感じることもなくなったし、都会特有の臭いも消えた。
 問題は、お漏らしである。
 気温が上がるにつれ、強烈な臭気に変わる。
 1晩が過ぎた臭いは、冬場の度合いとは比較にならない。

 何事も、良い点があれば、良くない点が伴っているものだ。
 と、合点がいく。
 冬と夏、どちらも好きな季節だと思う。

 子供のころ、トイレは汲み取り式であった。
 みんなが集う座敷からは、離れた場所にある。
 かつ、北側に設置されている。
 小窓は開け放たれているものの、臭気を隠すことはできない。
 夏には、便器に木でできたフタが添えられる。
 ハエの増殖を防ぐためと、臭いの拡散を少しでも少なくしようとの配慮だろうが、臭いの漏れを防ぐことなど、とてもできない。
 そんな環境で育った。
 お陰で、今の状態も何とか、しのげる。
 有難いものだ。

 起きるように、声をかける。
 すでに、"匂って"いる。 
 起きてきた。
 明らかに、パジャマは濡れている。
 今日は、背中の中央より上の方まで浸透している。
 加えて、"大"の香りも加わっていた。
 いつもの1日が始まった。
 
 

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大寒には甘酒が似合う

 
 今日は、大寒。
 早いもので、1月も3分の1が過ぎた。
 大寒とは、立春までの期間を示すとも聞いているが、やはり"1番寒い日"のことだろう。
 昨日と打って変わって、暖かい。
 天気予報では、4月の陽気だという。
 明日まで春の訪れの気温が続くが、あさってからは、また冬に逆戻りするそうだ。

 子供のころ、大寒の日は、嫌いだった。
 日の出前の暗いうちに起こされ、ポンプで水を汲む。
 すでに水道は引かれていたのだが、なぜかポンプを使う。
 大寒の日には、嫡子が新しい水を汲むという慣習があった。
 理由は知らない。

 幼きころから、剣道をやらされた。
 祖父のせいである。
 武士道がどうの、生きる道とはどうの、子供の頭では何のことやら、さっぱり理解できなかった。
 大寒の日には、必ず寒稽古があった。
 お城の中に設けられた道場に、無条件に行かされる。
 当時の田舎は雪が多く、とても寒かった。
 すべての扉は開けられ、寒稽古が始まる。
 いくら運動をしようと、寒さに唇は凍り、手足は冷え切った。
 早生れのため身長が小さかったからなのか、子供用がなかったのか覚えていないが、竹刀も重かった。
 帰りには、ずるずる地べたを引きずりながら、家路につく。
 毛糸で編んだ手袋では、寒風を防げない。
 冬場は霜焼けが当たり前、とても痒かった。

 家に帰った時の、唯一の楽しみは、甘酒である。
 掘りゴタツはあったのだが、封がしたままで、豆炭を入れた移動できるコタツを使っていた。
 その中に、布で包まれた炊いた米と麹が入っており、翌日か翌々日には甘酒が出来る。
 とても美味しかった。
 若かった母が出してくれる甘酒には、甘さだけでない、えも言われぬ暖かさがあった。
 寒稽古は小学校へ入学する前に、祖父の死去で解放された。

 そうだ、1パック残っている。
 正月用として買い求めた甘酒が、残っている。
 早速、書かれているレシピ通りに水を加え、加熱する。
 出来あがった。
 便利な世の中である。
 熱さを感じることも、おぼつかなくなっている。
 このままでは、口の中がヤケドをしてしまうだろう。
 すぐには出せない。
 しばし、冷めるのを待つ。

「美味しいね」
 今の時代でも、大寒の日には甘酒が似合う。
 
 

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遅れた鏡開き

 
 すでに、鏡開きの日は過ぎている。
 今年はショートステイに行っていたため、そのままにした。
 小正月も過ぎてしまったが、古き良き時代の風習も薄まり、個々人にあった新たな解釈での習慣で"楽しむ"時代だから、多少の日にちの誤差は許されるだろう。

 早朝早々、着飾った鏡餅を開いた。
 昔は木づちで叩いて割ったものだが、今回買い求めた鏡餅は、小分けされ1個づつバックされている。
 "開封"との言葉が、合っている。
 田舎から送ってくるものも、わざわざ切ってくれて、10個ほど毎にポリ袋に入れてある。
 単なる贈り物ではなく、心遣いがこもっている。
 冷凍庫に入れれば、それなりに持つのだが、冷蔵庫では数日しかもたない。
 防腐剤など使用していない証拠でもある。
 冷凍庫に入れておくと、カビなどには耐えるものの、数が月も経つと、密封していても水分が氷として分離するのか、乾燥したようになって美味くない。
 それと比較して、買い求めたバックされた餅は、信じられないくらい持つ。
 昨年、5個ほど常温で放置し。楽しみも含めてチェックした。
 数カ月はなんのその、蒸し暑い夏場も、しっかり耐えた。
 ひっくり返しながら良く観察していたのだが、カビなどが発生する様子は、まったく見せなかった。
 師走に入って、開封し、食べてみた。
 まったく問題なく、美味しかった。
 保存法の進化のすごさを垣間見た。
 現在、非常食にも組み入れている。

 鏡開きは鏡開きとして、食べる餅は田舎から送ってくれたものを使うことにした。
 雑煮にするのが本来なのだが、まとまって供すると、口に入れること・噛むこと・飲み込むことが連動しなくなっている今の状況では心配である。
 磯辺焼きにすることにした。
 1個の餅を半分に切り、さらに半分にする。
 少し小さすぎるような気もするが、止むをえまい。
 ガスレンジでも、ちゃんと焼ける金網を備えてある。
 さっそく、取りかかる。

 香ばしい香りが、部屋中に漂う。
 すでに匂いにも反応が鈍いようで、気付いた様子は示さない。
 小さく切った方から、焼けてくる。
 小皿に注いだしょう油につけ、再びあぶる。
 焦げる匂いと相まって、得も言えぬ香りが充満する。
 海苔で包み、渡す。
 やはり小さすぎる感は否めない。
 ゆっくり食べるようにいって、様子に注意する。
「美味しいねー」

 正月の終わり告げる風景は、子供のころのままだ。
 いや、1点だけ違う点がある。
 "焼き手"が、逆になっている。
 
 

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要介護5になって初めてのお泊り

 
 帰宅すると、留守電を知らせるLEDが点滅している。
 ほとんどの伝言は、売り込みか何かで、こちらにとっては用のないものである。
 再生して聞いたことのない声だったら、マンションがどうの、健康に良い食品があるとか、投機で財産を増やしませんかとか、保険がどうの、などなど聞きあきた内容が多い。
 困るのは、ほんのわずかではあるが、"とても重要"な伝言が入っている場合があるからである。
 "とても重要"なことといっても、おめでたい話は少ない。
 通常の要件ならば、こちらが在宅してくるころを狙って、電話をかけてくる。
 そのころ合いから外れた伝言は、当然、予想をしていない出来事を伝える内容となる。
 聞きなれた声だったら、まず不幸を知らせる伝言だ。

 再生をする。
 親戚や縁者ではないようだが、聞き覚えのある声である。
 定形の挨拶が、まず聞こえる。
 次いで、本題に入る。
「ショートステイの利用料金の計算を間違えました。金額は○○○円です」
 そういえば、要介護5に変わったのに、入所の際に渡された請求書の金額は、今までと同じような数字だったのを思い出した。
 要介護5になってから、初めてのショートステイである。
 入所者の相手をしている職員たちは、忙しい。
 その職員たちが計算するのだから、間違いもあろう。

 ショートステイの抽選に当たって、いま入所している。
 今回、送り届ける際、そんなに抵抗はされなかった。
 "お泊りの老人会"は、今でも行きたくない様子が、ひしひしと伝わってくるのだが、
「出張で家にいないから、食事はどうする?」
「老人会に、1人で行くの?」
の論旨で押し切って、連れて行った。
 相変わらず、元気のない、しぶしぶの入所であった。
 今回も、後ろ髪を引かれながら、施設を後にした。

 迎えに行く日がやってきた。
 指定の時刻に着くように、家を出る。
 一段と寒くなっている。
 車で迎えに行くといっても、エンジンが温まる距離ではない。
 とても、車内が暖まる時間はかからない。
 少し早めに家を出て、今どき進化した車には必要もない暖気運転を、数分、駐車場で行った。
 車内が、暖かくなってきた。
 サイドブレーキを下し、迎えに出発した。

 土曜日は、1階にある事務所は休みである。
 平日はここで支払いを済ますのだが、土日は介護をしている職員が行う。
 休みのはずなのに、今日も机に向かって数人がいた。
 前回から、数人が出勤している。
 何のための出勤かは分らないが、支払いを受け付けようとする雰囲気は、全く感じられない。
 挨拶も省略なのは、お役人のお役人たる所以であろう。
 エレベーターに乗り込み、5階に向かう。
 2階から4階までは特別老人介護の施設であるから、途中から人が乗ってきたことはない。
 今日も直通で向かっており、程なく到着した。

 ドアが開くと、耳慣れない嬌声が聞こえる。
 元気の良いお年寄りが、入所しているようだ。
 係員に声をかける。
 いつもなら、その声を聞き分け、にこやかな顔を見せるのだが、こちらを見ようともしない。
 要介護5、息子の顔も見忘れたのか、ちょっと心配である。

 職員に促され、帰宅できると認識したようだ。
 にこやかな顔を向ける。
 いつもの顔に戻った。
 大好きな果物も、いっぱい準備してある。
 さあ、帰ろう。
 
 

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春の七草

 
 早いもので、もう8日、"春の七草"の日が過ぎた。

 子供のころの田舎は雪の真っただ中、七草摘みなどできる環境ではない。
 しかし、伝統儀式として粥は食べていた。
 塩漬けを水で戻した大根の葉は入っていたが、ほかは何が入っていたのか思い出せない。
 塩サケをほぐしたものが入っていた記憶もあるし、梅干し味だったようでもある。
 正月の残りでも入れていたのだろう。
 学校で教わったのか、長老たちに聞いたのか、春の七草の 「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」 は知っていた。
 しかし、春の七草が揃ったのは、故郷を離れた以降の年代で、スーパーなどで売られるようになってからだと思う。

 母は、粥を好まない。
 理由は、知らない。
 都会に連れてきてから粥を食べる日は、春と秋の2回、七草の日だけである。

 当日の朝食を食べている時に、テレビで放送しているのを聞いて、春の七草の日であることに気付いた。
 前の日には覚えていたのだが、起きがけの日課になった"作業"に追われ、ついぞ失念した。
 粥は、朝に似合う。
 夜に出されると、病人かと戸惑う。
 よって、次の日に食べることにした。

 昨年に続き、友人からおくられた粥を食べることにしていた。
 有名なホテルの名を冠した粥セットである。
 レトルト食品として、様々な種類がケースに入っている。
 その中から、鮭の名の付いたものを選んだ。
 大根の葉は、ベランダで栽培している。
 ニラも使えそうだ。
 雪国育ちは、決められた7種類などに、こだわらない。

 今夜は、もう1つ主役がある。
 こちらも年末にいただいた"餃子"である。
 餃子で有名な地区からのもので、名前も聞いた記憶がある。
 大晦日の夕飯に、同封されたレシピ通りに作った。
 パリパリ感が出て、良くできた。
 食卓に出すと、あまり評判は良くなかった。
 理由は、すぐに推察できた。
 同日、年越しソバと一緒に再チャレンジした。
 今度は、フライパンに並べた餃子の下を、ちょこちょこ動かし、カリカリにならないようにした。
 付いてきたタレも、食べづらそうだったので、出来あがる寸前にふり掛け、さらに蒸らす。
 その時も、カリカリを避けるため、餃子を動かし、下に汁をしみ込むせる。
 最後に、ふたを取って、余分な水分を飛ばす。

 出来た。
 七草ではないが、見事にきれいな粥もできた。
 緑色の大根とニラが、鮭のほぐした身と良く合う。、
 その上に、イクラが覆い、赤いカマボコ1枚が彩りを添える。
 このまま、ふーふー言いながら食べたいのだが、熱いまま出したのでは、口の中がヤケドする。
 今の母には、熱すぎるものは厳禁である。
 しばし、程よく冷めるのを待つ。

 ギョウザは、作っている途中に味見を済ましている。
 タレとからんで、もちもち感があり、うまく出来あがった。
 お粥も、当然、うまい。

 食べながら、可笑しさが、こみ上げる。
 葉大根のタネは、田舎のスーパーで買ってきた。
 ニラは、田舎の畑から植栽した。
 この2つ以外は、すべて"もらいもの"なのだ。
 イクラも、カマボコも、追加した鮭も、デザートとして出したイチゴも、味噌汁の味噌やその中に入れたワカメと卵までも、いただきものである。
 米ですら、母の妹が送ってきた。
 最近、ネットの普及と相まって若者も含めて、"お取り寄せ生活"が増えていると聞く。
 これでは、"いただきもの生活"である。

 感謝のうちに、食事も終盤にさしかかる。
 前掛けの上に、こぼれたもので、まるで花が咲いているようだ。
 箸の使い方が怪しくなったものの、まだ自分で食べている。
 パリパリ感から、もちもち感に変貌したギョウザが、先に"完食"された。
 
 

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夜中の演奏は身体が冷える(2)

 
 今夜も、"演奏"している音が、かすかに聞こえる。
 ずいぶん前には、ドア越しに何度も注意したが聞き入れられることはなかった。
 床を直接叩いているのではなく、敷布団の上から叩いている。
 時おり、意味不明のうわ言を唱えているが、小さい声である。
 隣家に聞こえるほどの音量ではない。
 階下の住人に迷惑をかけるほどの振動でもなかったから、今までは、なすがままにしていた。
 
 小1時間経った頃、悪いとは思ったが、そーっとふすまを開け、寝室の中を覗く。
 今日の朝、"事件"が起きたからである。
 エアコンは居間にあるが、母の寝室にはない。
 夜半を過ぎるころには、それなりに深々と冷えてくる。
 毎夜の"お漏らし"が日常的になったため、万が一の感電を避けようと電気毛布の使用を止めていた。
 今年の冬は、医者の勧めもあって、湯たんぽを買ってきた。
 石油ストーブ、電気ストーブなどは、危険すぎて使えない。
 急きょ、今夜から電気毛布を引っ張りだし、セットした。
 "凍死"より"感電"を選んだ。
 説明書を読むと、日常の防水の加工はされているようだ。

 すでに室内の気温は、寒さを感じるほどまで冷えている。
 常夜灯のぼんやりした光の中に、主役が浮き上がって見える。
 やはり、布団から両手を出している。
 交互に上下し、パタパタと叩いている。
 単純ではあるが、すごくリズミカルである。
 音楽の素養があるとは、ついぞ知らなかった。

 よく観察する。
 両腕を駆使しているから、胸から上が剥き出しになっている。
 運動をしているといっても、 一晩中、両腕を布団の中から出していれば、身体は冷え切ってしまうはずである。
 寒くなってから、朝起きるようにいっても、なかなか出なくなった理由がわかった。

 大きく動いた。
 両手を布団の中に入れた。
 演奏は続くが、掛け布団はしっかりとかかっている。
 大丈夫のようだ。

 翌朝、元気に起きてきた。
 取り敢えずの問題は、解決したようだ。
 今夜も、暖かいステージで演奏会が繰り返されるだろう。
 
 

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夜中の演奏は身体が冷える

 
 今日も、布団を叩く音がこだまする。
 体力が落ちたため、トイレ・ハイキングは消えたものの、代替えとして、新たな行動を"考案"した。
 寝たまま、布団から腕を出し、パタパタと叩いている。
 かつてのトイレ・ハイキングは1、2時間でお開きになるが、こちらは夜通し続く。
 寝たままだから、体力の消耗も少ないのだろう。

 最近、朝に声をかけても、なかなか起きてこない。
 すぐに起きてこないのは前からだが、10分近くも出てこないと、心配になってくる。
「朝だよ」
「    」
「起きる時間だよ」
「    」
「朝ごはんの時間だよ」
「    」
 返事がない。
 いやになるほど、声をかける。
 ずいぶん時間が経過すると、もぞもぞ動いているような音は伝わってくるが、はっきりした音にはなっていない。
 おかずの1品は出来あがった。

 ふすま越しに、しつこく催促する。
 かぼそい声がする。
 聞き取ろうと、耳を傾ける。
 今までにない言葉が、耳に入る。
「起きられない」

 始めは、いよいよ起きることも、忘れたのかと思った。
 布団がすれる音はするものの、起き上がったような音は伝わって来ない。
 どうも様子がおかしい。
 急いで、ふすまを開ける。
 布団の上で、うごめいていた。

 掛け布団ははだけ、パジャマだけの姿で、もがいている。
 布団からは、完全にむき出しになっている。
 冗談で笑える状況ではなさそうだ。
 起こそうと、身体に触れる。
 信じられない間隔が伝わる。
 全身が冷たくなっている。
 とても生きている人間の体温ではない。

 急いで、居間に連れて行き、こたつにもぐり込ませる。
 大丈夫かと聞くと、大丈夫と答える。
 寒くないかと聞くと、寒くないと言う。
 すでに寒いとの感覚も、鈍くなっているようだ。
 食後に飲む牛乳を温め、飲ませる。
 程なく、体温は戻った。

 その後の食欲は、旺盛だった。
 そして、元気に"老人会"に向かった。

 "室内で凍死"では、シャレにならない。
 
 

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正月も無事に越した

 
 今年初の"老人会"に、生き生きとして出かけて行った。

 正月は、大半を夢の中で過ごした。
 都会で正月を迎えるのは、もう何年になるだろうか。
 4、5年は、経ったと思う。
 正月は、田舎で迎えないと、つまらない。

 都会にも、母の実弟の家族が住んでいるものの、弟と奥さん共に川岸の向こうに行って久しい。
 息子とは、冠婚葬祭で会うだけの付き合いである。
 代が代わっても、田舎では付き合いが続く。
 都会では家も狭いし、行き来を遠慮しているうちに、遠ざかってしまうのは仕方のないことだろう。
 かといって、別に仲が悪いわけではない。
 都会での付き合い方だと割り切っている。
 その他にも、結構な数の親戚や縁者はいるものの、用もなく訪問しあう関係ではない。

 こちらの子である私の兄弟は、仕事の都合とかで来なかった。
 孫は、2人目の曾孫の臨月を迎えている。
 よって、水入らずの正月を過ごした。

 28日に、出来合いを買ってきた鏡餅をセットした。
 テレビの題の上に置いてある電話機を移し、その上に置いた。
 テレビを見るたびに、きらびやかな鏡餅が見える。
 興味を示さなかったのだが、
「あの人形は、きれいだねー」
 それ以降も、人形と断定したままである。

 大晦日と元日には、ひっきりなしに電話がかかる。
 田舎の親戚からである。
 父と母は共に長男と長女ではあるが、兄弟たちもすでに隠居している身である。
 ヒマだから、というわけでもなかろうが、気にせずに長々と楽しい会話が続くのだが、当人は熟睡中である。
 ディサービスも休みなので、"老人会"に行けないと判断するや、寝室に閉じこもり、夢の中の正月を楽しむのを、止めることはできなかった。
 食事を除いて、毎日約20時間を夢の世界に滞在していた。
 電話口に出ても誰だか分らないとは思うが、電話で話しが出来た人はいなかった。

 元旦を迎えた朝、最初に口にするものがある。
 梅干しとシソの葉を、湯呑み茶碗に入れる。
 そこに砂糖を加え、熱湯を注ぐ。
 家族そろって正月の挨拶をして飲むのが、家風である。
 今年も、伝わってきた流儀に従う。
「このお茶は、おいしくないね」

 おせち料理を並べる。
 正月だと認識したかどうかは怪しいが、
「きれいだね」
と、喜んでいた。

 甘酒も、
「おいしいね」
 ノドに使えるのを心配して、半分に切って焼いた磯辺餅も、
「おいしいね」
 田舎から送られてきたリンゴは、噛むのが面倒なようで、
「もういらないよ」
と不評だったが、イチゴは分ったらしく、
「このイチゴは、おいしいね」

 不安というより、恐怖に近い正月は、無事に過ぎた。
 ディサービスだけでなく、医師も休みだからである。
 後は、親戚たちが送ってくれた餅や新米、田舎の料理やその具材などの消化である。
 籠城戦でも、1か月は持ちそうだ。
 
 

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