"ドライブの日"が、消え去った

 
 今日は日曜日、再開した"ドライブの日"である。
 いつもの儀式をつつがなく終え、大好きな海に向かう。
 小雨交じりの天候からか、自動車道は空いている。

「 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                        」

 帰宅後、今日のドライブの話しに移った。
「今日は、老人会に行ったよ」
「球投げをして、おもしろかった」
「踊りを踊ったよ、楽しかった」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「海なんかに、行っていないよ」

 すべてが、消え去っていた。

 この半年、進行が激しいと実感する。
 この冬は徘徊による凍死寸前も数回。
 排泄は、24時間垂れ流し。
 食事も、1人では無理になった。
 時おり、限界かと思うようになった。
 メンタルケアの医師の言葉が、頭にこびりつくようになった。
「寝た切りの方が、介護は楽ですよ」

 ドライブの途中は楽しそうにしていたから、それで“よし”としよう。
 

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チリ地震の余波

 
 今日こそ、目的の"常夏の地"へと向かう。
 朝食を、1時間早めに済ませた。
 主役は、早めの食事とは認識していないようだ。
 着替えに入ると、"老人会"に向かうと認識したようで、身体全身から、喜びの雰囲気が発せられる。
 日課の1つに加わった床ずれの処置をする。
 尾てい骨の所が、薄く出血している。
 医師からは、完治しているのだが、薄い皮膚しか蘇生しないため、柔らかいシールを貼って保護するように指示されている。
 本人は、何度聞いても、痛くないという。
 感覚を失ったのか、本当に痛みがないのかは分らない。

 車は、目的地に向かって順調に走っている。
 渋滞もない。
 助手席は静かなものの、今日は前方を見据えている。
 目的地までの自動車道は完成しておらず、いったん一般道に出て、再び自動車道に入る。
 もうまもなく、最終出口に着くはずだ。
 最後のSAに、寄る。
 トイレタイムではない。
 ここの"だれでもトイレ"は、駐車場から少し離れている。
 今の歩き方では、ちよっと無理だろう。
 地元の野菜が売っているので、覗いてみることにしたのだ。

 野菜類を仕入れ、手作りの弁当も手に入れ、本線に入る。
 料金所を出る。
 60肩になってしまい、右手が水平以上を上げると痛む者にとっては、ETCは有難い。
 知らず知らずのうちに、技術の恩恵にあずかっているようだ。

 市街地を避け、海岸に向かう。
 何度も訪れている地ではあるが、カーナビは助かる。
 一気に海が目の前に広がる。
「海が見えるよ」
 はずんだ声が聞こえ始めた。
 海岸をしばらく走ると、海と反対側に花畑が広がる。
 時おり、小雨まじりの天候なのだが、10数台の観光バスが見事といえるほど整然と駐車している。
 花畑の中には、花を求めた人々が群がっている。
 近くの"道の駅"の駐車場は、満車との表記が出ており、誘導員が入れない由を全身で訴えている。
 こちらは、レストランで食事が出来る状態でもないし、観光客を相手にしているこの場所で、海産物を買うつもりもない。
 ちっちやな渋滞を抜け、再度、海岸線に向かう。

 消防車が、カーン、カーンと鐘を鳴らして走っている。
 火事が収まりました、と知らせる時の動作なのだが、さっきも見かけた。
 助手席との会話も途切れたため、ラジオをつける。
 チリでの地震による津波のニュースを流している。
 どうも、そのことを住人に知らせているようだ。
 日本には、北海道が午後1時半ごろ、名古屋辺りには4時ごろ到達するという。
 今は11時、あと数時間でこちらにも津波がやってくる危険があるという。
 海岸の見えるところで昼食を取る楽しみは大丈夫のようだ。
 その後も、1時間ほど海岸を走るだけである。

 目的地に着いた。
 本来なら、浜辺で弁当を広げたいのだが、雨は止んだものの、屋外で楽しむ気温ではない。
 車内で、楽しむことにした。
 波は、やや大きいが、それほどでもない。
 砂浜からだいぶ離れた岩礁に打ち付ける波間に、カモメが群れをなしている。
 小魚でも、狙っているのか。

 さすがに、ウインドサーフィンなどをしている人は見かけない。
 雰囲気が暗い海も、なかなかオツなものである。
 ラジオは、津波に関する放送を、延々と流している。
 よほどの危険が迫っているようだ。
 眺めていたい気もするが、助手席は飽きたようだ。
 目的の海岸線に向かう。
 正月ごろでも迎えてくれる菜の花が、道の両側に満開になっている。
 2か月も持たないだろうから、植え替えているのだろう。
 何度見ても、延々と続く黄色い花道は見事である。

 目的は、遂げた。
 津波の前に、帰路についた。
 
 

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今日は東の海に変わった

 今日は日曜日、デイサービスは無い。
 元々、"ドライブの日"であった。
 主役は、ずいぶん前から"ドライブの日"を忘れ去った。
 こちら先導の、新たな"ドライブの日"が、今月に復活した。
 いつもの儀式を行い、海に向かうことになった。
 先週、何とか無事に終えることが出来たので、さらに遠くの最終目的である"常夏の海"に向かうことを決めている。

 スタートして、まもなく、
「老人会には行かないの」
と不満そうである。
 先ほど、
「海に行きたい」
と言っていたのに、すっかり忘れているようだ。
 ほんの少し、不満そうな雰囲気が、車中に漂う。

 ラジオから、向かう先の自動車道でトラックとトレーラーの事故があり、通行止めになって大渋滞とのニュースが流れた。
 大渋滞では、"お漏らし"で耐えられない。
 予約していたり、相手がいる訳でもない。
 目的地を変えることにした。
 南の海岸から、ずーと東の海岸に変えた。
 大きな灯台があり、元気な頃の大好きだった海岸である。
 全国的にも有名である。
 こちらは、渋滞もしていないようだ。

 快調に進む。
 気温は平年より低いようだが、車中は春真っただ中である。
 助手席が、いやに静かだ。
 見ると、"お休み"になっている。
 大好きなドライブ中に、眠るのは珍しい。
 昨夜も、布団をはだけて寝ていた。
 凍死寸前ではなかったものの、身体は冷えていたと思う。
 熟睡できなかったのだろうか。
 ポカポカした車中では、睡魔に襲われるのも当然であろう。
 しばらくは、景色も変化の乏しい自動車道である。
 心地良さそうな眠りを、邪魔する必要もあるまい。
 そのままにした。
 ただ、芳しいとはいえない臭いが漂い始めた。

 目的地に着いた。
 しょっちゅう来ていた、お気に入りの海岸であるが、"ドライフの日"が消えて久しい。
 1年ぶりだと思う。
 懐かしい灯台が、補修でもしているのか、周り一面に足場らしきもので囲まれている。
 とても奇妙な形をしている。
 ちょっと見では、灯台と思えないほどだ。
 灯台ですら、補修が必要なのだ。
 87年も生きれば、あちこちガタが来るのは当たり前だろう。

 今日の目的地は、ここしかない。
 帰りに、魚市場近くの魚屋に寄って、近海で獲れる生マグロを買うだけである。
 何の種類のマグロか忘れたが、安くて美味しい。
 半身で売っている。
 刺身にした残りの部位を醤油で煮ると、これまた不思議なほど美味しい。
 冷蔵庫に入れておくと、融け出した脂身と醤油がゼリー状になって、ホッカホカのご飯が何杯でも進むほど、とても合う。

 目覚めた助手席と交代して、こちらが、うたた寝する。
 シートを倒し、目隠しをする。
「今日は、波が荒いねー」
「あら、すごい波が来た」

 まるで、子守唄の様に聞こえる。
 さんさんと陽の光が降り注ぐ車中、記憶が薄れていく。

 ぶつぶつ言っている声で目が覚めた。
 隣りに駐車したドライバーの女性が、タバコを吸っている。
 それに対して、忠告をしている。
 もちろん、相手には聞こえていない。
 昔の女性は、タバコなど吸ってはならないとの、信念は忘れずに保持しているようだ。

 海を眺めるのにも、飽きたようだ。
 車を反転させる。
 魚屋にも、寄った。
 途中で、道沿いに点々として売っているイチゴも仕入れた。
 時間には、余裕がある。
 ちょっと寄り道ではあるが、空港の周りを一周して帰宅することにした。
 飛行機を見るのも、大好きだからだ。

 途中から、ドライブに飽きたのか、独り言が始まった。
 自宅で時おり発する、独り言である。
 こちらの独り言は、注意しても止めない。
 車中である。
 外に洩れても、移動している。
 他人に迷惑をかけることもあるまい。
 肉声のステレオ音に包まれながら、帰宅に奔走した。
 
 

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好きなオカズが変わった

 
 食事に入る。
 無心で食べている。
 テレビは、見ようともしない。

 そろそろ、口がいっぱいになった。
 お椀と箸を置くようにいう。
 少し多めに入ってしまったようだ。
 もぐもくしているが、なかなか飲み込めないでいる。

 主治医から、飲み込みについて、注意されている。
 食べ物の欠けらが肺の方に入ってしまうと、肺炎などの原因となり、亡くなることも多いそうだ。
 幸いなことに、むせることは、ほとんどない。
 箸も、上手とは言えないまでも、使って食べることができる。
 時たま、素手でつかむこともあるが、自分で食べれる。
 介護としては、楽である。

 ゆっくり飲むように指示すれば、味噌汁も、口の両脇から多少こぼれるのを我慢すれば、1人で飲める。
 飲むことが困難になったり、せき込むようになったら、とろみを付けるようにも言われているが、まだ大丈夫である。

 おかずも、通常のものを出している。
 介護生活に入って、消えたものは、骨付き魚である。
 それと、つまみにくい物は、天ぷらに加えたり、タマゴ焼きに入れたりして、つまみやすくしている。
 とても固い物も、避けている。

 この1年で、状態は大きく変わってしまっている。
 特に、数ヶ月前からの変化には、戸惑うばかりである。
 まともな食べ方ではなくなり、目は離せなくなった。
 ミカンを出しておいたら、いっきに口に入れてしまう。
 口からジュースが溢れだしても、次を入れようとする。

 大好きなおかずは、何といっても刺身である。
 刺身といっても、高級なものを好むわけではない。
 マグロ、一筋である。
 イカやタコなどの固い物は、口を付けても残す。
 アワビは見向きもしないから、食卓に登場したことはない。
 その他の白身魚は、気分が良い日には箸を付けるが、美味しそうな様子はうかがえない。
 それ以来、マグロ以外は、食卓に並ばない。
 詳しくは知らないが、マグロにはEPA、DHA、セレン、タウリンなどが含まれていて、高齢者には、とても良いと聞く。
 夏の最盛期を除いて、できるだけ出すようにしている。

 出せば、真っ先に食べてしまう。
 ひどい時には、ご飯も食べずにである。
 それが、今日は箸を付けていない。
 他のオカズを食べている。

「刺身は食べないの」
「食べるよ」
 やっと、箸を付けた。
 でも、今までの美味しそうな顔は、しなかった。

 ここ数週間、新たな話題を提供し続けてくれる。
 変化する出来ごとに、驚愕する日々が増えた。
 
 

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さらに"進化"した

 
 声をかけ、ふすまを開ける。
 やはり、布団をはだけて寝ている。
 あぶない経験をしたので、居間にあるエアコンから温風が入る様に、ふすまを少し開けてある。
 取り敢えずの、凍死の防止策である。
 室温を暖めていても、掛け布団なしのパジャマ姿で寝たら、冬場の今の時期は、やはり危険である。
 目が覚めるたびに、見に行くようにしているが、ほとんどがずれている。
 寒さを感じることは、すでに失っているようだ。

 介護生活に入る前のことを、思い出す。
 真夜中を過ぎると、1、2分ごとに入口のドアを叩く。
 叩くと、すぐに撤退する。
 数時間、疲れ切るまで、繰り返される。
 注意しても理解していないのだから、止めることは出来ない。
 耐えるしか、仕方がなかった。
 想像を超える辛さだった。

 体力の低下に伴って、夜のハイキングは減った。
 こちらの部屋の攻撃も、ずいぶん前に消滅した。
 ホッとするのも束の間、別の意味で、毎夜が戦場になった。
 "お漏らし"による体温低下も、重要なチェック項目となった。
 悩みは、尽きぬものだ。

 昨日まで、2、3割はこぼすものの、箸を上手に使って食べていた。
 一口サイズにしてあるが、それでもチョット大きい物は素手でつかんで食べるのは、ご愛嬌である。
 麺類は、食卓から消えて、久しい。
 すすることが出来なくなっているからである。
 デイサービスでも麺類を残すと聞いた時、家での状態を告げたら、母のメニューから消えたそうだ。

 今日の食事の仕草は、明らかに異常だ。
 箸で掴むものの、7、8割がこぼれる。
 ちょっと目を離したすきに、リスの頬の様に、はち切れんばかりに膨らんでいる。
 食べ物でいっぱいになった口に、味噌汁を注ぎ込もうとするが、入るはずもなく、ほとんどがこぼれる。
 それでも、次のものを押し込もうとする。
 注意しても、目がうつろだ。
 理解はもとより、聞いている様子もない。

 テレビで映していたスプーンで食事の介助をしている姿が、頭いっぱいに広がった。
 
 

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ドライブの記憶が消えた

 
 3日前に"ドライブの日"が、久しぶりに復活した。
「今日は天気が良いね」
 時々つぶやくが、実際の晴天を指していたのではなく、心が弾んでいる時だと、この最中に判明した。
 霧雨が降っていたにも関わらず、同じ言葉が、何度も繰り返されたからである。
 今朝は、間違いなく晴天である。
「今日は天気が良いね」
が、ピッタシの天候である。
 "ドライブの日"にも、絶好だ。

 いつもの会話を交わす。
「どこかに行きたい?」
「行きたい」
「どこに行く?」
「どこでもいい」
「海、山?」
「海」
「太平洋、日本海?」
「日本海」

 前回は久しぶりたったので、どの位のドライブ時間に耐えられるか分らなかった。
 まず1時間ちょっとで行ける、最も近い砂浜に向かった。
 今日は、倍近い距離のところを選んだ。
 昔と比べて長くなった着替え時間を経て、出発した。

 時おり、何かをつぶやいているが、高速走行の音にかき消され、良く聞き取れない。
 話しかけている様子ではない。
 聞き流し、一目散に目的地に向かう。
 車の数は前回の時よりも多いが、渋滞の気配はない。
 リズミカルなエンジン音の中、陽の光がさんさんと降り注ぐ。

 何かが、昔と違っている。
 つぶやいている声が小さいのか。
 違う。
 目に飛び込んでいる文字を読まなくなったのか。
 何やら、つぶやいているから、こちらは良く分からない。

 そうだ。
 "カーナビ麗人"と会話をしていないのだ。
 今までは、カーナビが発する"音"に相対応していた。
 久しぶりだったので、"知り合い"ではないと思ったのか。
 それとも、人ではないと理解したのだろうか。
 前回も、相対応していなかった。
 聞こうとも思ったが、なすがままにした。
 間違っていることだし、強要することでもないだろう。

 "海"に着いた。
 前回は外海だったので波が荒かったが、今日は湾の内側なので穏やかである。
 ずいぶん前から、波が穏やかだと"太平洋"、大波だと"日本海"と、なぜか呼んでいる。
「今日の日本海は、穏やかだねー」
 "日本海"と"太平洋"が入れ換わっている。
 象徴的に言っていることだから、その時の気分で良かろう。

 例年よりも、気温が低いという。
 それでも、釣り人たちなどが、あちこちに見受けられる。
 海水浴シーズンでなければ、砂浜で釣りをしても良いようだ。
 しばし、眺める。
 お菓子も、楽しむ。
 投げ釣りの仕草や、人が戯れるのを、楽しそうに見ている。
 今日は、しばらく大丈夫のようだ。
 シートを倒して、うたた寝する。

 視線を感じて、目を開ける。
 シートを戻す。
 こちらを向き、何度も見ている。
 何かを言いたいようでもない。
「何?」
「大きな観音様がある」
 なるほど、海に向けて止めた車の右の方角に、観音様がこちらを向いているのが見えている。
 目的があるわけでないので、観音様に寄っていくことにした。
 観音様にご挨拶をして、次の海岸で3分の1をこぼしながらの昼食も終え、途中の走行中に両手をベタベタにしながらのアイスクリームも楽しみ、ひと噛みしかしないミカンも味わいながら、帰路につく。

 夕食も、食べ終えた。
 明日の下ごしらえも、済ませた。
 団らんに、入る。
「何が一番面白かった?」
「ボール投げ」
「ボール投げ?」
「今日、老人会でやったよ」
「今日は、どこに行った?」
「老人会」

 今日の"ドライブの日"は、すべて消えていた。
 
 

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屋内で遭難?

 
 クマ笹が、風に吹かれ、音を出している。
 夢だった。
 不思議な夢だと、苦笑する。

 再度、眠りに就こうとする。
 かすかな音を感じる。
 耳を澄ます。
 確かに、音がしている。
 14階だし、夏ではないので、ベランダの戸も閉めてある。
 泥棒に入られるような財産が無いことは、専門家なら一目瞭然だろう。

 音は、洗い場から聞こえる。
 一気に眠気が吹き飛ぶ。
 飛び起き、洗い場に入る。
 パジャマ姿の母がいた。
 デイサービスに行く時に持っていく手提げ袋を、両手で抱えている。
 声をかける。
 返事がない。
 繰り返し、声をかける。
「動けない」
 かすかな声が、口から洩れでる。
 身体に触れる。
 冷たい。
 手足だけでなく、背中も冷え切っている。
 とても、生きている人の体温ではない。
 抱きかかえ、すばやく居間に運ぶ。
 一瞬、救急車の手配を、と考える。
 まだ意識は、しっかりしている。
 大丈夫のようだ。
 とりあえず、生き返った。

 1度、布団をはだけで寝たために、同じように体温が下がってしまったことがあった。
 それ以来、"お漏らしによる感電を覚悟の上で、電気毛布も取りだした。
 居間の暖房も点けておいて、暖気が入り込むように、母の寝室のドアを開けておくようにしている。
 洗い場までは、想定していなかった。
 失策であった。

 ベランダから外を見る。
 粉雪が、舞っていた。
 
 

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ドライブの日が再開された(2)

 
 夕食時に、今日の感想を聞いてみた。
 返答がない。

 どこに行ったかを聞いてみる。
「野球を見てきた」
「スキーを見てきた」
「かけっこを見てきた」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
 何のことか分らない。
 似たようなことを繰り返す。
 食事を準備している間、テレビを見ていた。
 そこに映っていた内容のようだ。

 さらに、話しが続く。
「女の人が、子供を抱っこしていた」
「頬をつけていた」
「手をつないで、歩いていた」
「バスに、ぎっしり人が乗っていた」

 こちらは、渋滞で止まっている時に見た記憶だろう。
「商店街を見に行った」
があったからである。
 
 帰路の際、
「空き家が多いねー」
を繰り返していた。
 シャッターが閉じているところは、すべて空き家だという。
 祭日だから、銀行などはシャッターが閉まっている。
 空き家だと裁定されたら、銀行などは驚くだろう。
 一般の住宅も、家の前に車など何も置いてなければ、空き家だといっていた。
 田舎の家は、空き家も同然になっている。
 それを思い出したのだろうかと心配したが、そうではなかった。
 乗車時の新しいフレーズが、また1つ増えた。 
 
 次の話は、デイサービスの話しのようだ。
 楽しそうに、話している。
「車の中から見たよ」
「今日は、知っている人が、だれもいなかった」

 ここまでは、理解できた。
 1つだけ理解できないことが、1つだけあった。
「飛行機に乗ってきた」
 今日は、空港近くを通らなかった。
 また、空に飛行機を見かけることもなかった。
 それなのに、何度も、真剣に繰り返す。
「いつもは飛行機で来る人が、今日はバスで来た」
とも言う。
 最後まで、意味を推定できなかった。

 父は、母を飛行機に乗せてあげたかったようで、果たせなかったのを気にしていた。
 喜寿のお祝いに、約束を果たした。
 沖縄への行き帰りに、初めて飛行機を経験した。
 観光用のヘリコプターは何度も乗ったが、本格的な飛行は、この1回だけのはずだ。
 どうも、その経験とは無関係のようだ。

 ドライブの楽しみに、食べ物がある。
「美味しいね」
といっていたのに、こちらも、すっかり忘れている。
 ここ数カ月で、大きく変わっていた。

 大好きな海も、消えていた。
 
 

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ドライブの日が再開された

 
 久しぶりに、"ドライブの日"の復活である。
 一応、朝食の時に聞いてみた。
「どこかに行く?」
「行く」

 毎日、デイサービスの送迎の際にも車に乗るものの、たかだか数分の乗車である。
 とても、ドライブとは言えまい。
 長距離ドライブは、昨年11月の診療のための帰省以来である。
 冬場の薬は、3月中旬までの分をもらっているが、記録的な降雪なので、その時までに融けるか心配している。
 最後の"ドライブの日"は、それよりも随分前だった。

 紙オムツは、充分過ぎるほど積んである。
 最悪のための着替えも、搭載済みだ。
 
 車に乗って、"ドライブの日"の儀式を行う。
「どこに行く?」
「どこでもいい」
「海、山?」
「海」
「太平洋、日本海?」
「日本海」
 以前と変わらない、出発前の会話が交わされた。

 デイサービスに向かうときは、裏路地を数百メートル走るだけで、大通りは通らない。
 久しぶりに大通りを走る。
「もうすぐ、葉でいっぱいになるね」
 しばし、何のことか分らなかった。
 繰り返している。
 何のことなのか、真剣に思い巡らす。
 道路沿いに植えられている街路樹のことのようだ。
 剪定されていて1枚の葉も付けていないが、幹はメタボのように太くたくましい。
 枝切りされた枝も、筋骨隆々のマッチョのようで立派である。
 寒空に寒々と立ちすくむ、日本古来の樹木とは違う。
 車の中は少し暑めだから、春を感じとったようだ。

 しばらくすると、
「天気が良いね」
という。 
 見事な曇り空である。
 おまけに、時おり霧雨が降ってくる。
「天気が良いね」
 何度も繰り返す。
「霧雨が降っているよ」
 問いかけへの答えは、返らない。
 じっと、前方を見据えている。
 きっと、心が和やかな日は、晴天のように感じるのだろう。

 久しぶりのドライブだから、今の様子は分らない。
 コンビニのトイレを借りる段階は過ぎてしまい、迷惑のかからない"だれでもトイレ"が必要だから、一番近い海岸にした。
 1時間ちょっとで着いた。
 寒空で、かつ霧雨も降っている天気である。
 海に出かける物好きは、いないようだ。
 駐車場には、1台の車もない。
 遠くまで広がる砂浜にも、人影は見当たらない。
 気温は低そうだ。
 窓を開ける勇気はない。
 ラジオを消す。
 打ち寄せる波の音が、かすかに聞こえてくる。
 風は吹いていて、飛ばされた砂が、砂浜の上を舞っている。
 まだ、昼食には早い。
 コンビニで買ってきたお菓子を、車中で広げる。
 果てるともなく打ち寄せる波の姿を、眺めている。

 人々が遊んでいると、動きに合わせた声を発するのだが、相手がいないので無言で眺めている。
 車中が暖か過ぎるためか、睡魔が襲う。
 シートを倒し、うたた寝する。

 目が覚める。
 30分弱が過ぎていた。
 助手席も、"お休み"していた。
 誰もいない海岸に、飽きたようだ。
 今度は逆に、こちらが打ち寄せる波を眺めていることにした。
 まもなく、助手席も目覚めた。
 ペットボトルのお茶を、うまそうに飲み始めた。

 次の海岸に向かう。
 実に道路も空いている。
 あちこちに、海鮮を売り物にした食堂もあるのだが、"お漏らし"が常では入れない。
 コンビニで、こぼしても大丈夫なオカズの入った弁当を求める。
 目的の海岸に着く。
 こちらの広い駐車場にも、車の姿は無い。
 車中で弁当を広げる。
「美味しいね」
 上機嫌である。
 再開して、良かった。

 人のいない海岸は、面白そうではないようだ。
 時間も充分あるので、帰路は一般道を通ることにした。
 3、4か所の渋滞には見舞われたが、1か所を除けば、通常のひどさではなかった。
 予想した時間より、はるかに短い時間で帰宅できた。
 久しぶりの"ドライブの日"は、無事に終了した。
 
 

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節分は大切な目印

 
 一昨日、よっぽど面白かったらしく、
「老人会で豆を、まいたよ」
を繰り返していた。
 節分だった。
 前日までは、ちゃんと"明日は節分"と覚えていた。
 なぜか当日の朝は失念してしまい、聞いて思い出した。
 最近のスーパーは、商魂たくましい。
 節分にちなんだコーナーが、大々的に設けられる。
 否が応でも知ってしまうのに、である。
 忘却する遺伝子は、確実に引き継いでいるようだ。

 豆だけでなく、"恵方巻き"と称する海苔巻きに人が群がっている様子を、テレビで何度も流していた。
 関西地方では、昔から食べられていたと聞く。
 地方独特の風習を、マスコミが取り上げる。
 それらの中から賛同を得られた風習が、新たな伝統として、全国的に引き継がれていくのだろう。

 子供のころは、豆をまくのは長男か、内孫の男子の役であり、女性がまいたという記憶はない。
 鬼などの悪霊を払う行事だからと、勝手に理解していた。
 デイサービスで豆まきが出来るようになって、うれしくて仕方がないのだろう。
 最近では、父親が鬼の面をかぶって鬼の役をやると聞いたが、そのような芝居があったとは記憶もなければ聞いたこともない。
 威厳のあった父親に、豆をぶつけることなど想像すらできない時代であった。

 節分は、とても重要な日を控えている。
 母の誕生日が、5日なのだ。
 雪国での立春は、まだまだ冬の真っただ中であったが、やがて訪れる春を期待させる頃である。
 立春を迎えてすぐだから、縁起が良い日といっていた。
 今年は、満87歳、数えで88歳となる。
 米寿である。

 夢の世界が大半になったとはいえ、身体は元気で迎えた。
 母の兄弟・姉妹も似たような歳を重ねているから、こちらに呼ぶこともできまい。
 正式なお祝いは、雪が解けてから、田舎で開催となる。
 平日だから、近親者を呼ぶことも遠慮しよう。
 2人だけでの、お祝いである。

 あまり好きではないが、バースデーケーキは準備した。
  祝 米寿 ○○○おばあちゃん、おめでとう
のメッセージも付いている。
 赤飯も手配した。
 骨付き鶏のモモ肉は大好きなのだが、今は食べるのに苦労する。
 美味しいと評判の焼き鳥屋から、モモ肉の骨を取り去って、食べやすい大きさしてもらった。
 大好きなマグロは、寿司が好きなのだが、刺身とした。
 ハレの日には、必ず食膳に供される田舎の汁物も、昨日から仕込んである。
 その他も、果物も、揃えた。
 大好きな食べ物は、思いつくまま揃えた。
 今日だけは、食べたいだけ食べさせよう。

「今日は、何の日?」
「   」
 返事がない。
 料理を並べた際、テーブルの真ん中を空けておいた。
 バースデーケーキを置き、ロウソクを灯す。
 書いてあるメッセージを読むように、促す。
「祝 米寿 ○○○おばあちゃん、おめでとう」
 正確に読むのだが、意味が理解できていない。
「○○○って、だれ?」
「私」
「米寿、おめでとう」
 キョトンとしている。
 
 祝宴を開始する。
 口いっぱいに詰め込むのを注意しながら、食事は進む。
「何歳になったの?」
「82歳」
 しばらくして、同じことを聞いてみる。
「何歳になったの?」
「84歳」
 少し近づいたりするが、正確な歳に達することはなかった。
 80歳代では、多少の歳の違いなど問題ではなかろう。

「美味しいね」
 この言葉は、何度も繰り返された。
 間違いなく、喜んでいた。
 "米寿"は無理としても、自分の誕生日の祝いだと理解したかは、最後まで怪しかった。
 
 

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